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ルフィ『ジンベエの次にお前に会えるなんてラッキーだ!!!本当ありがとな!!!』

我々人間は、 相手を表層的な関係性や、 利害関係の不一致、 積み重なった私怨や怨恨や、 歪曲した独断と偏見によって『敵』だとみなすことがある。 例えば『害虫』は、『害』というぐらいだから人間の『敵』だと定める。しかし、そんな『害虫』も、時と場合によっては何かに有効にならないだろうか。

 

例えば、違う脅威を防いでくれることはないか。 その虫のおかげで、成り立っているものはないだろうか。 そう考えると、生物多様性や循環型社会然り、 我々の顕在意識など、あまりあてにならないかもしれない。 『生かされて』いたり、『気づかされて』いたり、『キッカケ』になっていたりするのだ。私は生涯なんの宗教も持たないと決めている人間だが、 最近『神』について勉強していると、 兼ねてから引っかかっていた『唯一神』の理解に一歩近づいた。

 

ユダヤ教やキリスト教はそれを『ヤハウェ、ゴッド、主』等と言い、 イスラム教ではそれを『アラー』と言う。 私は以前から、 『こんなに残忍な事件を起こしたり、 対立や戦争を巻き起こすような真似をし、 幾多もの宗教を乱立させてしまうようでは、 神の存在もたいしたことは無い』 と思っていたわけだが、 波乱万丈な人生経験と『知層』を積み重ねていくと、 先ほど挙げた『害虫』の件、あるいは『宇宙の覇者ヅラをしだした人間の人間本位』な件、 『どうやっても追いつきそうにない宇宙の実態』の件等を考えたとき、 どうも『その方がつじつまが合う』という発想も垣間見えてきた。

 

私にとってそういう発言は『神』を認めることになるので、 ある種屈辱なのではあるが、 だが、だからといってその感情を隠蔽し、見て見ぬフリをし、 あるいは『屈辱だから』などというあまりにもちんけで、 どこの誰もが持っているような『見栄』に人生を支配され、 器の小さい人間で一生を終えたくないという『プライド』がこれを書かせている。 我々『人間の理解』など、あまり関係ないのだ。 人間自体が、恒久的に矛盾していて、理不尽な存在なのだから。

 

『─よく生きてたもんだな麦わら屋 だがあの時のことを 恩に感じる必要はねェ あれはおれの気まぐれだ おれもお前も海賊だ 忘れるな』

『…ししし!!そうだな ”ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)”目指せば 敵だけど… 2年前のことは色んな奴に恩がある ジンベエの次にお前に会えるなんてラッキーだ!!! 本当ありがとな!!!』

 

全てを理解しようなどと、それこそ我々が『人間本位』である証拠だ。

 

(人間が理解できないことがあるわけがない)

 

という発想は、人間本位そのものだということなのだ。だがそれを踏まえたうえで私はこれからも、無神論者でいるつもりだ。確かに、(人間が理解できないことがあるわけがない)というのは人間の驕りだが、それでも

 

(人間が想像したことは、必ず実現できるんだ)

 

と夢抱く生き方に、 私は感動を覚えるからだ。 それは、この”無意味”で儚い人生に、 尊い”意義”を見出そうとする、 人間の”意地”なのかもしれない。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。