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『クンドゥン』 レビュー(感想)と考察

『クンドゥン』

ポスター画像出典:『ヤフー映画

 

 

 

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『レビュー(感想)と考察』

ダライ・ラマ14世の半生を巨匠マーティンスコセッシが描いた伝記映画。チベットの最高指導者である彼が、インド亡命に至るまでの前半生を描いた伝記映画で、本人がさまざまなアドバイスを提供しているので信憑性は高い。

 

スコセッシはカトリックとして育ち、遠藤周作の『沈黙 -サイレンス-』を映画化したときも、映画の最後に日本にいるクリスチャンに『隠れなくていい』として応援し、少し偏った宗教思想を押し出してしまったが、こうして違う宗教にもスポットライトを当て、真剣に真実を描写するあたり、さすがである。説得力に大きな影響が出る。

 

マルクス宮崎駿、ソ連という大きなキーワードにも関係している。要は、『紅の豚』を観ても分かるように、共産主義の思想は元々、過激でも何でもなく、『ヒトラーたちのように、滅茶苦茶なやり方を強いる人間が正しいわけがない。人間全員が平等じゃなくちゃいけないんだ』という、ごく自然の、平和思想だった。だが、ソ連や過激な共産主義『をうたったテロリスト』や過激派の影響でその思想を持っている人=過激派、というイメージが染み付いてしまった。

 

例えば映画のwikipediaの一文を見てみよう。

ダライ・ラマは自ら北京に向かい、毛沢東と交渉することを決意する。側近たちは共産主義に嫌悪を隠さないが、ダライ・ラマは好奇心旺盛に子どもの合唱を聴いたりしている。毛沢東も彼を歓待し「母も仏教徒でした」と理解を示し、ダライ・ラマも一時は「仏教と社会主義には共通するところもあるから、共存は可能だ」とさえ思う。

 

ダライラマは純粋にそう思っただけなのだが、国家規模の巨大な陰謀に利用されてしまうのである。そしてチベットは、詳しく映像化できないような凄惨な状況に陥る。

 

マルクスは言った。

 

共産主義の創始者である彼のその発言は、まさに真理を突いている。・・が、しかしそれを受ける人々が未熟が故に『援用』が横行し、例えばチベットに対して『宗教は毒だから滅んでくれ』などという詭弁を盾にした暴挙が展開される。

 

私はとある本の内容を受けてから、ダライ・ラマ14世のことを高く評価している。『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこう書いてある。

私は現ダライ・ラマ14世、テンジン・ギャツォに十数回あったことがあるが、今までにいかなる人にも、彼ほどの慈悲の力を感じたことは無い。(中略)2001年、インドのダライ・ラマの住まいで、チベット人のリーダーであるダライ・ラマと、幼い息子を連れた一人のイギリス人との出会いを目撃した。イギリス人の妻は悲惨な状況で亡くなったばかりであった。この男の話を聞いたダライ・ラマは立ち上がり、彼と息子を抱きしめながら、二人とともに長い間泣いていた。

 

そしてイギリス人がキリスト教に長い間失望してきたので仏教徒になったと話すと、ダライ・ラマは自分の持っている、ギリシャ正教のキリストと聖母マリアの見事なイコン(絵画のようなもの)を取ってこさせた。それを男に渡し、こう言った。

『ブッダは私の道で、イエスはあなたの道です。』

 

男は非常に感動し、キリスト教信仰の道を再び見出した、と私に語った。この出会いには、写真もビデオ撮影もなかった。

 

彼は人格者だ。社会主義に関する当初の考え方も、インド亡命の動機と決断の根幹にあるものも、きっと純粋な想いだったに違いない。彼の人生は『観音菩薩』の所化だか生まれ変わりだか化身だか、そういう身分だけでも稀有なものだが、チベットという土地が更に世界的に珍しい。更に、生きた時代も動乱中の動乱で、実際に目にした光景が非常に珍しい。この世の99%が一生のうちに目にすることがない光景を目にしている人物だ。偉人の人生は、常に見応えがある。

 

 

『この映画のジャンル』

実話、偉人、宗教、

 

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