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瀬戸内寂聴『煩悩を完全になくせばブッダですが、世の中はブッダばかりになってしまったら、ちょっと困るでしょう。』

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ふむ…。

考察

『小説を書くことは私にとって快楽なのです。この快楽を手放したくないという欲望が、私にはあります。煩悩は捨てなくてはなりませんが、私はいい小説を書きたいという煩悩だけは、いまも捨て去ることができません。死ぬまで煩悩を抱えて生きるのが、人間というものです。煩悩を完全になくせばブッダ(悟った人)ですが、世の中はブッダばかりになってしまったら、ちょっと困るでしょう。だから私は、そんなに立派なお坊さんではないのです。』

 

 

私利私欲、煩悩というものは、一生人間に付きまとう。よく、動物愛護の活動をする人間が、動物の肉を使った食品を食べたり飲んだりしているが、動物の殺生をしていないつもりでも、『している』のだ。『加担している』。自分たちが今いる場所、家、道路、利便性向上のために作ったインフラ、その下には多くの生物が存在していた。それを埋め立てて、我々はエゴを満たしているのだ。

 

そう考えると、衣食住すべてにおいて、現代の生活に合わせて人生を送るという事は、例え自分だけがそこに加担しなくても、『人間が加担しているのを見て見ぬフリをして、自分だけが聖人になったつもりでいる』だけで、実際には(自分だけ)という私利私欲、煩悩が頭を支配しているのだ。

 

ブッダは言った。

ブッダ

 

『煩悩を完全になくせばブッダ』と瀬戸内寂聴は言うが、かつて2500年前に実在した元祖たるブッダ、つまり『釈迦(ゴータマ・シッダールタ)』は、前述した私の考え通りに、行動しただろうか。乱立する異なった思想の人間達が行うこと、あるいは、自分の目の届かない範囲のところで行われている理不尽は、『あるかもしれないが、届かない』と、諦めた部分は、ないのだろうか。

 

もし『諦めた』のであれば、それは『私利私欲、煩悩』でなくて、何だと言うのだろうか。自分が出来ることだけを全力でやった、ということであれば、ブッダは賢人の名に相応しい。模範的な人間の姿が、そこに在る。だが、ブッダでさえ出来る限りの事しか出来なかったのであれば、我々皆とて、同じことなのではないだろうか。その意味で、煩悩とブッダと己の事について考え抜いている瀬戸内寂聴は、ブッダ(悟りを開いた人)の称号に近い境地にあるのかもしれない。

 

 

 

MEMO
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