偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
人間というものは『歯車』。人間関係というものは『異なった形の歯車のかみ合わせ』である。それを円滑にするために必要なのは例えば、『礼儀』である。これはまるで『潤滑油』だ。異なった歯車がスムーズにかみ合う為に必要な、グリースである。
その『礼儀』の中には『社交辞令』というものがあり、人間関係の絆の深さには、身内、親友、恋人、同僚、顔見知り等といった差がある。『歯車がかみ合う』ことはつまり、自分との価値観が合うということを意味し、人間関係の絆の深さは、親密である。
しかし、『かみ合わない』ということはつまり、その逆である。70億人も人間がいればそれだけ環境の差異があり、パラダイム(思想、価値観、考え方)、宗教、笑いのツボ、好き嫌い、趣味嗜好は異なるわけで、『かみ合わない人』というものは、必ず出て来ることになる。
それは、ダイバーシティ(多様性)だ。それ自体はいい。だが、そんなダイバーシティの中、社交に置いて自分と相手との関係をスムーズにするためには、先ほど言ったように『潤滑油』を大事にするか、あるいはここで言う『距離感』を大事にするかが、必要である。
私なども『THE・個性』のような歯車の為、私と『かみ合う』人など、ごく稀である。だから私は上に挙げた二つの方法のうち、孔子の言葉の超訳として、
と書いていることからもわかるように、ほとんどを『距離感』で持ってコントロールして、人間関係を回している。表裏的な人間に成り下がるくらいなら、私は『距離感』の方を取る。好き嫌いがはっきりしているのが、私の本当の声だ。だから連城三紀彦のこの言葉の意味が、よく理解ってしまう。往々にしてそんな私の歯車が『音を立てて軋む』ときは、そんな『距離感』を見間違えた人間との、人間関係の上で起きる場合である。
そして往々にして『相手が見間違え』、『相手が軋んで、自滅し、時には折れる』。『折れた』ことで、逆に私の『確固たる歯車』とのかみ合わせが良くなることもあるし、その逆も然りである。一つ言えることは、『私の歯車は、確固たるものである』ということだ。それが本当かどうか気になる人は、例えば下記の記事を見ると良いだろう。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
🧭『38の黄金律』へ
※『38の黄金律』は、有料コンテンツとしてより深い考察をお届けしています。
🔎 名言の背景にある“思想の源流”を探る
※『黄金律』以外の知的コンテンツのほとんどは無料です。