Index

リチャード・バック『学習はすでに知っていることの発見である。行為は知っていることの実践である。教育は、自分と同様、ほかの者たちにもその知識があることを気づかせることである。人は皆、学習者であり、実行者であり、教師である。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。

運営者

考察

学習は、すでに知っていることを発見すること。行為は、すでに知っていることを実践すること。教育は、自分と同様に、他の者たちにもその知識があることを気づかせること。だとしたら、皆、学習者であり、実行者であり、教師である。当たり前だ。

 

だが、最後の『教師』という部分は『当たり前』ではないかもしれない。人によっては、教育がなんであるかを理解していない。教育とは、相手の為を想って行動することだ。自分の為、が一片でも介入しているのであれば、そこに教育はない。

 

例えば、『それを相手がやってしまうと、自分の立場がなくなる』だとか。そういった『自分の為』は、無意識にでも少なからず介入するのが『当たり前』であるという常識が蔓延している。

 

しかしそれは『当たり前』ではない。例えば、アンドリュー・カーネギーの、

 

ここに書いた、『絵の描き方』について考えてみたときがわかりやすいはずである。

 

 

私は妹に、絵を描くことに億劫になってもらいたくないから、絵を描くことは簡単であると、教えた。

 

しかし、自分がそれを職業にしている者、それしか取り柄がない者、自分が、自分が、というエゴに支配されている者、人の才能に嫉妬し、蹴落として、自分の劣等感を慰めるような者は、絵を描くことは難しいと言い捨て、足を引っ張り、洗脳し、相手を委縮させ、そして自分の配下に置こうとするだろう。その様な人間は、およそ『教育者』と呼ぶに値しない者である。

 

全ての人間が『教師』だ。それが『当たり前だ』という責任感を持って行動すれば、その様な間違った方向に逸れることはないだろう。

 

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

Check

こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

🧭『38の黄金律』へ

※『38の黄金律』は、有料コンテンツとしてより深い考察をお届けしています。

 

🔎 名言の背景にある“思想の源流”を探る

※『黄金律』以外の知的コンテンツのほとんどは無料です。

関連する『黄金律

『知者?無知者?自分が振る舞っている人格はどっちだ。』

同じ人物の名言一覧

リチャード・バックの名言・格言一覧