偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
対象の規模が大きくなればなるほど、自分の頭(こうべ)が稲穂の様に垂れて来る。最終的には『拝む』というのだから、従業員を神の様に崇めることが求められる、という印象を得るわけだが、実際にはどうか。逆に松下幸之助にこそ『経営の神』の称号が与えらえたのではないだろうか。それは一体どういうことか。拝んでいたのに、拝まれる結果になったのは。
例えばこういうことになったのだ。
『一従業員に対し、権利を行使して命令するなら誰にでも出来るが、頭を下げてお願いするとなると、これは素晴らしい経営者だ。だが、稀に『拝んでくる』ような人間がいる。一従業員に対してだ。そんな人がいるのか。いないならこの人はなんだ。神だ。いや、神様ということではない。要は、それだけ希少であり、厳かな存在なのだ。彼を丁重に扱わなければならない。彼という御輿を、しっかりと担がなければならない。』
例えば世界のトップに、『四聖』に数えられる、
孔子、
ブッダ、
キリスト、
また、イスラム教のムハンマドを入れて、その様な人間が挙げられるわけだが、彼らがもし、ぞんざいな人間で、どこにでもいる様な人格だったなら、彼らを『人間のトップ』として認める人は激減していただろう。規模が大きくなればなるほど、人間離れしなければならないのだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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