偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
『与えること』と『受けること』は違う。まず、文字が違う。言い方が違う。表現が違う。同じ的を射ていない。相手に与える、相手から受ける、向こうへ、こちらへ、という流れる方向が違う。それなのに、『それは結局同じこと』というのは、どういう意味だろうか。注目するべきなのは、その次の言葉である。
『その人が開かれた生き方をしているか、閉じた生き方をしているかによる。』
開放的か、閉鎖的か。それによって、『与える、受ける』ということに対する考え方、捉え方が変わる、という印象を受けるような言い回しをしているわけである。まず真っ先に私が思いつくのは、私と、ある部下についてである。私は、THE・ポジティブ代表のようなネアカ人間である。部下は、THE・ネガティブ代表のような根暗人間である。
ここで見たいのは、
この記事だ。
私は、人に何かを主体的に与えた時、目に見えない『徳』や、喜びという心の『報酬』を『受ける』ことが出来る。しかし部下は、人に何かを与えた時、それは『強制的』であり、実は与えたくない。何が損で、何が得かを理解していないからだ。彼が求めているのは、小判でも真珠でもない。キャットフードや、穀物なのである。その両者の違いが、ヘンリー・ミラーのこの言葉と関係があるだろうか。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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