『ヒト』を最適化しよう。

錦織圭『やりたいプレーと勝つプレーが違うので、今、自分と闘っています。』

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ふむ…。

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考察

『やりたいプレイ』はエゴだ。『勝つプレイ』はそれとはまた違う次元のものである。例えば私は、スポーツが好きだが、ある一定のラインまで進むと、『苦手』だった。どういうことかというと、身体を動かして、自分の好きなようにプレイするのは好きなのだが、それで相手と対戦して、勝利するということになると、また勝手が変わってくるのである。

 

例えば、反則プレイすれすれの行動を取ってくる選手がいるわけだ。そういう時、極端な性格の私は、相手をぶんなぐって喧嘩にした方が早いと考え、それをしないなら、スポーツマンシップに則って、一切そういうことのないようにプレイしたい。

 

しかし、強引に攻めて来る人間は多く、あるいは、自分とは違う思想を持っている選手とぶつかるとき、相手とのその勢いとのずれにたじろぎ、(そこまでして勝とうとは思わないなあ)などと、一歩引いてしまった自分がいたのである。サッカーでもバスケでも、どんなスポーツでもそうだ。

 

 

従って、スポーツ自体は身体を動かすことが好きなので好きなのだが、どうも『勝敗を決めるときに動く人間心理』が苦手らしい。(そこまでして勝つことに、何か意味でもあるのか)という気持ちに支配されてしまうのである。

 

それはおそらく、幼少期の頃のトラウマが影響しているかもしれない。幼少期、私は父親に理不尽に投げ飛ばされた。恐らく、状況を後で冷静に考えると、父親の、単なる子供達に対する威厳の誇示だった。

 

しかもそれについて謝罪すらせず、『死ね!』と言ってしまった私も私だが、しかし10歳にも満たない私を理不尽に投げ飛ばし、その言葉の意味も理解していない私に対し、『死ねとは何だ!』と言って、更に力づくで押し付けたことは、私の心に深い深い傷を与えたわけである。以来私は、(そんなことまでして勝つことに、何か意味でもあるのか)と思うようになったということだ。

 

従って、私はスポーツに対してもそういう考え方になった。だから、そういう相手の人間心理が介入しない、剣道やボクシングなら、私はどこまでも追求できる感覚があった。

 

ただし、そういう一人のスポーツでも、相手と対戦するときがくる。そんな時には、やはり『やりたいように動く』だけでは、『勝ちを狙いに来ている』相手には、勝てない。

 

だが、ここが例によって私らしいのだが、ある剣道の練習試合でも、私は『勝ち』にこだわることが出来ず、引き分けになってしまった。気迫では間違いなく勝っていたのは自分でわかったが、一本を入れられなかったのだ。

 

その剣道の試合で、9年の経験を持つベテランが味方にいたのだが、その大将は、私のように気迫を丸出しにしているわけではなかった。しかし、相手に一本も取らせないし、軽やかに一本を決めて、確実に勝利を収めた。

 

彼のおかげで、我がチームは準優勝することができ、彼自体で考えるなら、彼は誰にも負けていなかった。

 

 

自分は、スポーツや格闘技を通して、『相手に勝ちたい』と思う気持ちはあまりない。だが、『負けたくない』と思う気持ちはあり、たとえ試合では負けても、(まだ俺は死んでないぞ)ということで、心では負けを認めていないところがある。

 

それはおそらく、幼少期の経験も影響していて、『勝ち負けにこだわる人間の姿は、無様である』という刷り込みのせいなのだ。従って、今も私はボクシングの練習をし、トレーニングを欠かしていないが、そのどれもが独学であり独自のもの。自分のやりたいようにやり続けている。

 

従って、私は剣道やボクシングの試合に出ても、中途半端な位置までにしか行けないだろう。それは私が、勝ちにこだわっておらず、その道で生きていく覚悟もなく、『勝つプレイ』を自分のものとしていないからだ。

 

 

 

 

MEMO
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