偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
中には、『愛されて当然』的なことを考える人間もいる。そういう人間はわかりやすく、自惚れているのがわかる。私の様な人間からすれば、
ということになって終わりだ。
ということなのである。
ということなのである。私は口調が激しいだけで、私以外の大勢の人間も同じような感想を抱き、『結局』そうした人物を心底から愛せない、という事実があるはずだ。
私の両親は、私にクリスチャンになることを強要して育てた。この時点で、私の口調が荒い理由が浮き彫りになるはずである。私は、強要されて育ったのだ。従って、そのようにして一方的に自分の考えを押し付ける人間を、心底から、もうトラウマ的に拒絶するようになってしまったのである。
両親の願望は、『愛し、愛される』ことだった。クリスチャンの自分達を愛されたかったし、そして自分達は、クリスチャンの子供を愛したかった。だが、その結果が強要であり、今日の私の絶対的無宗教者の人格の形成だ。今では逆に、感謝している。そうした抑圧がなければ私はきっと、確固たる意志と主体性を持ち、この世に同調、追従せず生きていくことは出来なかった。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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