偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
逆に、『認められない』という人の心を覗いた時、その心は見えない鎖でがんじがらめになっている。あれもダメ。これもダメ。全て自分の許容範囲の中で動いてもらわないと気が済まず、ちょっとでも気に食わなければ、『思い通りにならない』と言ってイライラする。こうした人間が『自由』かどうか、考えてみればわかることである。
よく、『器が大きい人』の定義は、『鈍感な人』だと言う。私はそれが少し気に入らないが、この時点で私は既に『器が小さい』のである。本当に器が大きい人は、別に何にも気にならない。だからそういう人はまず間違いなく争いを起こさない。『気に入らない』とか、そういうことを言わない。『鈍感』というのはあえて悪く言っているのであって、良く言うとそれは『器が大きい』ということになるのだ。
『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。
人間は生まれながらにして自由ではなく、自由になっていくのだということを主張している点で、ソクラテス、ブッダ、イエスは一致している。人間は無知から脱却することによって、真実と虚偽、善と悪、正義と不正を区別することを学ぶことによって自由になる。自らを知り、自制心を持ち、分別を持って振る舞うことを学ぶことによって自由になる。
視野の広い深遠な知識を得て、無知から脱却し、この世に真の自由を見出す時、それは、この世の一切の森羅万象の存在を認めた時である。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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