偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
偉人
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考察
例えば、フカヒレが大好物だという人がいたとしよう。彼女は、珍しくて、高級で、コラーゲンがたっぷり入ったフカヒレが大好き。しかし、それが、2週間、3週間と続いたらどうだろうか。あるいは、その期間の間は食事だけしかできず、運動も、人としゃべることもできない空間だとしたらどうだろうか。恐らく、フカヒレを二度と食べたくないと、思うようになるだろう。
聖書の『伝道者の書 5章』にはこうある。
『見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。』
彼女がフカヒレが好きで、最初は『美味しい』と思うことが出来たのは、『めったに食べられないから』であり、『ということはそれまで食べたいけど我慢していた』からであり、『当然その間には仕事も生活のストレスも身体の不調もあった』わけで、 そのフカヒレに辿り着く間に、『骨折る労苦』を経験しているのである。黄金の冠だけ持って人生を生きようと欲張ると、知らぬ間に持っていたその黄金の冠が、鉄の冠に変化してしまうのである。これは、『人間の仕組み』だ。機械に水をかけると故障する。それと同じように、ただこの事実をありのまま、受け入れることが正解である。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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