偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
未踏未達の道を歩けば、そりゃあどこかに足の小指をぶつけてけがすることもあるだろう。何しろ、真っ暗闇の道を歩いているのだ。しかし、なぜかまだまだ前へ進めるのである。
まだだ。
まだだ。
不撓不屈の精神でとことん前へと突き進む。
確証などない。
保証などない。
未踏未達の道を歩いているのだ。
前例などないのだ。
当たり前のことなのだ。
どれぐらい歩いただろうか。
10代の頃の自分は、およそこんなに忍耐力はあっただろうか。運動をしたらすぐに休憩し、勉強で行き詰ったらすぐに投げ出し、しかし、そんな経験も全て、この道を歩くための糧となったのだ。
あの日、投げ出して、悔しい思いをした。恥をかいた。情けなかった。そして、人生が一度しかないことを知った。
自分に出来ることはなにか。生きている間に、何が出来るのか。
父親はもう死んだ。自分もいずれ死ぬのだ。
前に進むしかない。進まなくったってどうせ死ぬんだ。どうせ死ぬなら、この命、使い切ってから死んでやる。
そのときだ。
前に見えるのは確かにわずかだが、光だ。
その先がどうなっているかなどわからない。
だが、ひた歩け。
いずれにせよ終わる、この命。だったらせめて、自分の足で最後まで前に歩き続けたい。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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