偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
だから『依存』するのはいささか浅薄である。更には、ショーペン・ハウエルがこう言っているように、
その書物に依存したり、読書に依存したりする行為には、メリット以上にデメリットが潜んでいるのである。例えば私の親などはクリスチャンであり、当然バイブルにあったのは『聖書』だった。しかし、おかしいのは、それをバイブルとしているはずのこの両親に、首をかしげざるを得ない言動が見受けられたのが、一度や二度ではないのだ。彼らが完全ではないのか、聖書が完全ではないのか、キリスト教が完全ではないのか、恐らくその答えは、全てだろう。
例えば、ガリレオとコペルニクスが『地動説』を説くまでは、キリスト教で信じられていた『天動説』が常識だった。
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しかし真実は、『地動説』に近かったわけで、
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更には、地球も太陽も、宇宙の真ん中ではなかったのだ。しかし、この時代の人間は、『天動説を信じていた(間違った事実を、真実だと勘違いしていた)』のである。
それに、キリスト教を作ったのも、それを世界宗教にさせたのも、イエス・キリストではなく、『パウロ』だ。『新約聖書』の大部分を書いたのはこのパウロだが、彼は最初、対立するユダヤ教徒であり、キリスト教徒迫害の先頭に立っていた。だが、ある日イエスと出会い、考えを変えた。しかし、パウロが『会った』のは『生前のイエス』ではなく、『(復活した)神であるイエス』であり、『十二使徒』を軸に考えるなら、自分こそは十三番目の使徒ではなく、『最初の使徒』であり、特別なのだということを主張する点において、当時このパウロに関しては様々な問題点が見られていたという。
そんなパウロが作った本の正確性はどうだろうか。権威ある本といっても、すべては人の書いたものだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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『人の評価に依存することの愚かさを知れ。依存しないなら強い。』