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ワイパー『人は共通の敵を持つと 隣の者を味方だと錯覚する』

例えば中学生の頃、反抗期の少年の敵は、『親』や、『教師』であることが多い。不満があるのだ。そして周りを見渡せば、何人かは同じような境遇の人間がいる。彼らはそれで意気投合し、友人になるが、不満が溜まった彼らのやることといったら、もっぱら『憂さ晴らし』である。その延長線上には、犯罪もあるだろう。もちろんそういう絆の中から本物の関係も生まれることもあるが、それは、稀なケースである。大概は、『憂さ晴らし』で利用しあっているだけだ。それが、心底で思っている感情である。

 

付き合いの悪くなった人間が出れば悪く言われるので、居場所をなくすのを恐れたその人間は蟻地獄にハマる。ほんのちょっとの『憂さ晴らし』のつもりがいつの間にか、後に引けない状況にまで、陥ってしまう事になる。本当の友人であればそういう時、こう言うだろう。

『あいつはもう頑張るんだから応援しようぜ!』

 

だが、不良の世界でその言葉はなかなか出ない。というか、それが出るんだったら、むしろ彼らは、不良ではない。本当の味方とは、『不良交友』の中にはない。

 

『人は共通の敵を持つと 隣の者を味方だと錯覚する』

 

『不良交友』の中には、本当の味方はいない。だが、その『不良交友』の中に居た『A君』を、『良好交友』に引っ張り出せば、『A君』は、本当の味方になるだろう。つまり、『A君』が悪だとか、そんな浅はかなことを言っているのではない。悪なのは、『不良交友』という、関係性なのである。本当の友人とは、外的方向が同じだけでは成り立たず、内的方向が同じでなければならないのだ。

 

byトーマス・フラー

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。