『ヒト』を最適化しよう。

『生きるのは過去でも未来でもない。『今』だ。』(2ページ目)

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先延ばしにしていると、人生の楽しみは半減する

実に50の職業経験と、世界40か国の旅を経験した有川真由美の著書、『遠回りがいちばん遠くまで行ける』にはこうある。

先延ばしにしていると、人生の楽しみは半減する

 

『やりたいこと』を先延ばしにしては、人生の楽しみは半減します。多くの人は、『老後になったら、好きなことをしよう』『老後のために蓄えよう』なんて言いますが、可能性を探ってみたら、いまでもやれることはいくらでもあるはず。”未来”は”いま”の積み重ね。充実した”いま”を作り出せたら、きっと、さらに味わい深い”未来”がやってくると思うのです。

 

未来とは、『今』の延長線上にあることを再認識せよ。

 

『いま』に集中する

2006年に『ニューズウィーク』誌日本版にて『世界が尊敬する日本人100人』に選出された、曹洞宗徳雄山建功寺住職、増野俊明の著書、『心配事の9割は起こらない』にはこうある。

『いま』に集中する

 

過去の出来事を思い出してはクヨクヨしたり、落ち込んだりする人がいます。過去に縛られている、といっていいでしょう。禅には、『一息に生きる(いっそくにいきる)』という言葉があります。文字通り、一呼吸するその瞬間、瞬間を一生懸命に、ていねいに生きなさい、ということです。

 

やはり、仏教でいう『三世に生きる』も同じ意味ですね。三世というのは、『過去』『現在』『未来』のこと。人はその三世のつながりの中で生きていますが、現在を生きているとき過去はすでに死に、その現在もたちまち過去となって未来に生まれ、それが現在となるのです。

 

このような、生まれては死に、死んでは生まれる、という『生死』の生きるということだと、この言葉は教えています。言葉を換えて言えば、死んだ過去のことを思い返してみても仕方がないし、まだ来ない未来のことはそこに生まれてから考えるしかない、ということでしょう。つまり、私たちには『いま』をどう生きるかしかないのです。

 

過去、現在、未来。その時間の感覚をもう一度立ち止まり、再認識せよ。

 

今日の仕事は今日の分だけ

早稲田大学商学部を卒業後、様々な経歴を経て、クリスチャン女性の国際的なグループ『Aglow International(アグロー・インターナショナル)』に所属する中村芳子の著書、『聖書88の言葉にはこうある。

今日の仕事は今日の分だけ。明日の仕事まで手を出さない

 

仕事をちょうどいいだけやる、というのは案外むずかしい。人には2つのタイプがある。明日すればいいことも今日出来る分はやっておこうという人。仕事熱心とされるが、頑張りすぎて体を壊したり燃え尽きやすい。

 

自分もつらい、まわりにも心配をかけてしまう。今日中にやるべきこともまあ明日やればいいやという人。ノルマが達成できなかったり、スケジュールどおりに仕事が進まない。信頼を失う。自分も困るし、まわりも迷惑だ。毎日、『今日の分だけ』やろう。スケジュールを立てる時には、腹八分目に余裕を持たせる。ぜったいに予定外のことが起こって仕事が増えるから。

 

紀元前1500年ごろ、イスラエル民族はエジプトを脱出してカナン(源氏あのイスラエル地方)に定住するまで、砂漠を40年間放浪した。食べ物がない時には、天から『マナ』という白く甘いパンのようなものが降ったとされる。毎日、その日食べる分だけが降った。欲張りな者が多めに集めて貯めておいても、その分は虫が湧いて腐ってしまった。多すぎず、少なすぎず、その日の分だけ、これが神様の加減だ。お手本にしよう。

 

『聖書』

主はモーセに言われた。『見よ、わたしたちはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示通りにするかどうかを試す』(出エジプト記16:4)

 

パン

 

この黄金律は、遥か紀元前の時代から何ら変わることが無い不変の法則だ。

 

過去に支配されない生き方

アドラー心理学に造造詣の深い岸見一郎・古賀史建の著書、『嫌われる勇気』にはこうある。

過去に支配されない生き方

 

哲人『まさに。われわれはタイムマシンで過去にさかのぼることなどできませんし、時計の針は巻き戻せません。もしもあなたが原因論の住人になってしまえば、過去に縛られたまま、この先ずっと幸せになることができなくなります。』

 

青年『そうですよ!過去は変えられないからこそ、この生は苦しいのです!』

 

哲人『苦しいだけではありません。過去が全てを決定し、過去が変えられないのであれば、今日を生きるわれわれは人生に対してなんら有効な手立てを打てなくなってしまう。その結果どうなりますか?世界に絶望し、人生をあきらめるようなニヒリズムやペシミズムに行きつくことになるでしょう。トラウマの議論に代表されるフロイト的な原因論とは、かたちを変えた決定論であり、ニヒリズムの入口なのです。あなたはそんな価値観をお認めになりますか?』

 

連続する刹那

また本にはこうもある。

青年『では、人生はどんな姿だとおっしゃるのです!?』

 

哲人『線として捉えるのではなく、人生は点の連続なのだと考えてください。チョークで引かれた実線を拡大鏡で覗いてみると、線だと思っていたものが連続する小さな点であることがわかります。線のように映る生は点の連続であり、すなわち人生とは、連続する刹那なのです。』

 

青年『連続する刹那?』

 

哲人『そう。『いま』という刹那の連続です。われわれは『いま、ここ』にしか生きることができない。われわれの人生とは、刹那のなかにしか存在しないのです。』

 

というか、『今』しか生きることは出来ないのだ。どうやっても。

 

永遠なるいま

数々の偉人の人生を研究する、上智大学名誉教授、渡部昇一の著書、『エマソン 運命を味方にする人生論』にはこうある。

人間らしく生きるとは

 

『ところが人間は延期したり思い返したりする。現在に生きないで、目を背後に向けて過去を嘆き、あるいは自分をとりまく豊かさには気づかずに、未来を予見するために爪先立ちしようとする。』

 

人間は自分の本性に目を向けようとせず、過去やまわりのことばかり気にしている。それでは人間らしく生きられないのです。それよりも、『現在のことを考えなさい』とエマーソンは忠告するのです。

『過去も未来もどうでもいい。現在の自分の正直な心に浮かぶ考えを大切にして生きればいいではないか』と。

 

早稲田大学を経て、情報会社・出版社の役員を歴任した岬龍一郎の著書、『言志四録』にはこうある。

時々刻々と時間は移るが、つねに現在の時点に心を集中しておかねばならない。まだ来もしない将来を迎えることはできないし、過ぎ去った過去を追いかけても追いつかない。過去にこだわったり、来もしない未来に心を乱すのは、本心を忘れている状態である。

 

過去は及ばず、未来は知れず、いま、このときだけを考えろ、ということだ。現在、ただいま生きているこの瞬間が人生。これを西洋哲学では『永遠なるいま』という。みらいを大事にしたいと思うのならば、いまを大事に生きろということである。

 

どこに目を向けても答えは一緒だ。

 

『喫茶喫飯(きっさきっぱん)』

『PRESIDENT』、2016.4.4号にはこうある。

禅の金言36

『喫茶喫飯(きっさきっぱん)』

 

お茶を飲むときは飲むことに、ご飯のときは食べることに集中するという意味。仕事も没頭すれば楽しさが湧いてきます。シンプルに『今』に集中することが禅の教えの原点です。

 

『而今(にこん)』

同じく同書にはこうもある。

禅の金言36

『而今(にこん)』

 

『今』を大切に生きることです。戻ってこない『過去』や、まだ起きてない『未来』にとらわれ、後悔したり、不安を抱くのは、『今』をきちんと生きているとは言えません。

 

『歳月不待人(さいげつひとをまたず)』

同書にはまだある。

禅の金言36

『歳月不待人(さいげつひとをまたず)』

 

今日という一日は二度と帰ってきません。やる気が起きず、ダラダラと過ごしてしまうのは、確実に明日があるという思い込み。『今』を大事に生きることです。

 

『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』

まだ終わらない。

禅の金言36

『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』

 

足元を見つめなさい。思い通りにならない未来に不安を抱いても仕方ありません。自分の立ち位置を確認し、今できることに全力を注ぐ。未来は現在の延長にあるのです。

 

『一大事申今日只今心也』

更に続く禅の教えはこうだ。

禅の金言36

『一大事申今日只今心也(いちだいじともうすはきょうただいまのこころなり)』

 

大切なのは今の一瞬一瞬を精一杯生きること。苦しいことも、明日に先延ばしするのではなく、今日しかやるときはないのだと思って仕上げてしまうことです。

 

スティーブ・ジョブズもこの禅の教えを学び、『自分は何をやりたいのか』を考え抜き、生きる道を見出した。特にこの黄金律同様、『今を感じることの大切さ』を強く説いていたのである。

 

いま、この瞬間を生きる

儒教、仏教、道教を深く学び、足りない部分を補って創り上げた、洪自誠(こうじせい)の著書であり、川上哲治田中角栄五島慶太吉川栄治ら昭和の巨人たちの座右の書である、『中国古典の知恵に学ぶ 菜根譚』にはこうある。

目の前のことを淡々と片付ける

 

現代人は、何ものにもとらわれない無心な生き方をしたいと願っているが、『求めない』と強く思えば思うほど、かえって雑念が生じ、いつまでたっても無心の心持になれない。それは『求めない気持ちを求めている』からだ。

 

ではどうすればよいのか。大切なのは、過去の出来事にとらわれず、未来のことをあれこれ思い悩まない、そして今日の前で起きていることを淡々と片付けていくことだ。このような生き方を心掛けていれば、自然と無心の境地に入っていくことができよう。

 

目の前のことを淡々と片付ける

心理学者でストレス・コンサルタントのリチャード・カールソンの著書、『小さいことにくよくよするな!』にはこうある。

いま、この瞬間を生きる

 

かなりの部分、私たちの心の安定は、いまこの瞬間をどれぐらい生きているかにかかっている。昨日や去年起きたこと、明日起きるかどうかわからないことに関係なく、あなたが生きているのはいまこの瞬間なのだーいつも!

 

(中略)私たちにはいましかない、コントロールできるのはいましかない。いまこの瞬間に焦点を当てれば不安を押しのけることができる。不安は将来起こるかもしれないことによくよくすることで生まれる。

 

(中略)不安をなだめる最善策は、いま、このときを考えること。マーク・トウェインは言った。

『私は人生の苦難を味わってきたが、実際に起きたのはほんの少しだった。』

 

と。これ以上うまい言い方は私にはできない。いまこの瞬間を意識する練習をすること。その努力が生き方を左右する。

 

未来とは今日のこと。明日など存在しない

デール・カーネギー の著書、『道は開ける』にはこうある。

オスラー博士は、エール大学の学生たちにこう語った。

『君たち一人一人は、この豪華客船よりもはるかにすばらしい有機体であり、ずっと長い航海をするはずです。考えていただきたいのは、この航海を安全確実なものとするために、『一日の区切りで』生きることによって自分自身を調節することを学べということです。

 

ブリッジに立って、とにかく大きな防水壁が作動している状態を見てください。ボタンを押してみなさい、そうすれば、諸君の生活のあらゆる部分で鉄の扉が過去、息絶えた昨日を閉めだしてゆく音が聞こえるでしょう。またもう一つのボタンを押して鉄のカーテンを動かし、未来、まだ生まれてない明日、を閉めだすのです。そうしてこそ、諸君は今日一日安泰です。

 

過去と縁を切ることです。息絶えた過去など、死者の手にゆだねましょう。愚か者たちを不名誉な死へと導いた昨日など閉めだすべきです。昨日の負荷に加えて、明日の重荷まで今日のうちに背負うとしたら、どんな強い人でもつまずいてしまうでしょう。過去と同様、未来もきっぱりと閉めだしなさい。未来とは今日のことです。明日など存在しないのです。人が救われるのは今日という日なのです。

 

エネルギーの消耗、心痛、神経衰弱は、未来のことを気づかう人に歩調を合わせて、つきまといます。そこで、前と後ろの大防水壁をピタリと閉ざし、『今日、一日の区切りで生きる』習慣を身につけるように心掛けるべきでしょう。』

 

昨日のことを思い煩い今日をないがしろにする。明日のことを思い煩い、今日をないがしろにする。どちらにせよそれは、愚かなことである。何しろ、今日の延長線上こそが、明日なのだ。その今日をないがしろにし、未来ある明日などやってくるわけはない。

 

人生とは、生きることの中、つまり毎日毎時間の連続の中にある

本にはこうもある。

スティーブン・リーコックはつぎのように書き記した。

『人生の進み具合というものは、なんと奇妙なものだろう!小さなこどもは『もっと大きくなったら』と口にする。だが、どうしたことだ。大きくなった子供は、『大人になったら』と言うではないか。そして大人になると、『結婚したら』と言う。けれども、結婚したら一体どうなるか?考えがコロリと変わって、『退職したら』とくる。

 

やがて退職が現実のものとなると、自分の過ぎし日の光景を思い浮かべる。そこには木枯らしが吹き荒んでいる様だ。どういうわけか、すべてを取り逃がしてしまった。もはや過ぎ去ってしまったのだ。そして遅ればせながら、我々は学ぶ。人生とは、生きることの中、つまり毎日毎時間の連続の中にあるのだということを。』

 

時計

 

人間には様々な事情がある。この部下も、幼少の頃に事故で兄を亡くしたことが、彼の精神状態に大きな影響を与えただろう。例えば、

 

(んな地獄ってあるのかなあ。子供だから、わかんないや。…でも、待っていればきっと良いこともあるのかなあ。

 

そういう風に言い聞かせ、自分の精神が崩壊しないように、密かに自分を支え続けてきたのかもしれない。

 

だが、人生は一度だ。それは、二度、三度あるものではない。彼は、『命の尊さ』を教えてくれたその死んだ兄の分まで、人生を思う存分生き貫かなければならない。そしてそれは決して、やるべきことを先延ばしにし、他力本願で、反応的に人生を生きるということではない。その反対で、今日を全力で生き、自分のこのたった一つの意志で、主体的に人生を生きてみせることをいうのだ。

 

逃避しようが、立ち向かおうが、どうせ死ぬんだ。だが、『まだ、生きている。』ではないか。今を全力で生きるべし。

 

 

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