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ココ・シャネルとはどんな人物か

ココ・シャネルとは

フランス実業家1883年8月19日にフランスで生まれたココ・シャネルは、現在では世界の高級ブランドの代名詞とも言われているシャネルブランドを立ち上げたフランスのデザイナーです。

 

本名は『ガブリエリ・ボヌール・シャネル 』。もともとは『古い価値観にとらわれることなく美しい女性像を作りたい」』というポリシーを持って立ち上げられたブランドの創設者となると、さぞかし華やかで贅沢な幼少期を過ごしてきたのではないかと想像してしまいますが、実際の彼女はとても貧しい幼少期を過ごしました。

 

12歳の頃、母親が病死し、その後すぐに父親に捨てられたシャネルは、孤児院や修道院付属学校でなどで育ちました。施設で裁縫を学んだ途端、類稀な才能を発揮したと言われています。しかし、シャネルはその豊かな想像力で過去を作り上げ、貧しい出生を隠しました。

 

その後、エティエンヌ・バルザンという男性と付き合うも、身分の低いシャネルは愛人になるしかありませんでした。しかししばらく経ち、彼の裕福な仲間の中にいた、『ボーイ』と呼ばれたアーサー・カペルという男性に強く惹かれることになるシャネル。このカペルはその後、シャネルがパリに帽子店を出す際の出資者となりました。その後も様々な人脈に助けられ、シャネルは次々と新しい波を起こしていきます。

 

1914年、第一次世界大戦が勃発して、社会の在り方が一変。男性は戦争に駆り出され、女性が社会を支えることになりました。つまり、それまで女性が長い間禁じられていた就職が許されることになるのです。

 

戦争

 

第一次世界大戦によって女性たちは自立を獲得し、社会的な立場の変化はファッションにも反映されました。シャネルはこの時代を、

世界の滅亡と新世界の誕生。

 

と表現しています。そして、

『私は歴史を目撃し、好機をつかんだ。』

 

と言いました。その後、シャネルはパリでも新店舗を開き、見事にビジネスを軌道に乗せました。

 

この時代、シャネルよりも優れたデザイナーはたくさんいました。しかし、彼女は『波』に乗り、『波』を創り出すのが上手かった。例えば、当時シャネルよりも人気があったデザイナーに、ポール・ポワレがいました。東洋風で幻想的な彼のスタイルは爆発的な人気を得ましたが、20年代になると徐々に時代が『シンプル』なものを好むようになり、時代との乖離を生み出すことになります。しかしシャネルはその『波』を掴むことに長けていた。

 

そしてシャネルは、自身の精神を表す『エレガンス、ミステリー』という思いを込めた香水、『CHANEL No,5』を発表し、その名を不動のものにします。シャネルは女性が好む香りを知っていたのです。一方、ポワレの香水は濃厚すぎて、やはり時代に合わなくなっていったのです。

 

46歳になったシャネルは、ある恋をし、結婚を意識します。相手は英国一の富豪、ヒュー・リチャード・アーサー・グロウヴナー(第2代ウエストミンスター公爵)。超有名人だった二人は常にゴシップの標的でした。二人は愛し合っていました。しかし、跡継ぎを求めた公爵にとって、46歳のシャネルは高齢過ぎました。それに気づいたシャネルは自ら決断を下し、こう言いました。

 

この言葉に秘められているのは、シャネルのプライドだったのです。

 

シャネルの人生を考えてみると、恋をたくさんしたり、強い人脈を利用したり、流行の波を掴んだりと、シャネルの純粋なポテンシャル以外の力を巧みに利用した印象を持ちます。では、シャネルはただ『自分以外の力』をうまく使っただけのラッキーな女性だったのでしょうか。

 

シャネルは言いました。

 

実際には、彼女の周りにあった様々な『波』は、彼女のこの言葉に秘められる『プライド』が引き寄せたものだったのです。シャネルの人生は、普通の人なら諦めてもおかしくない場面がたくさんありました。しかし、彼女は諦めなかった。そして、ココ・シャネルは伝説となったのです。 彼女の代表作は、彼女が挫折的な意味も含まれた長い休養期間を経て、70歳を過ぎてからの作品でした。

 

シャネルの映画としては『ココ・アヴァン・シャネル』がありますが、これは彼女の恋愛にスポットを当てて描いた女性らしい作品となっています。

 

 

また、1986年に制作された『シャネル シャネル』という映画は、彼女の仕事に焦点を当てたドキュメント風の作品になっています。この両方の映画を見れば、彼女の生きざまが見えてくるでしょう。

 

 

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