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ブッダ『食欲は誰にでもあると思う。そして、この世の苦しみも、誰もが味わっていると思う。…ということは』(超訳)

仏教の開祖 釈迦画像

内省

答えはこうだ。

 

『執着は罪』。

 

それをまず絶対原則として理解することが重要である。しかし『執着を捨てる』というと、なにかこう『手放す』ような、『損をする』ような、そういう感覚に襲われる人がいるのではないだろうか。とくにこの『食欲を捨てる』ということなど、特にそうではないだろうか。

 

だってそうじゃないか。食べないと人は死んでしまう。食べるために生きてるんじゃないか。食べるために仕事するんだ。やりたくもない仕事をさ。だって内から湧き上がってくるんだよ。それを欲望というのか何だかは知らないけど、こみあげてくるってことは、それは必要だってことでしょ。必要だから欲しくなるんでしょ。

 

そうだよ絶対そうだよ。だって、それを耐えたら苦しいじゃん。辛いじゃん。欲しくなるよ。我慢できないよ。する意味も分からないし。なんで我慢しなくちゃいけないの。それ食べると、スッキリするんだよ。イライラしなくなる。平静を保てるんだ。ああ欲しい。欲しい。腹減ったよ。

 

牛丼カレーに焼肉焼きそば、ラーメンかつ丼うな重天丼…食後にスイーツが食べたいな…

 

もういいだろうか。もうわかっただろうか。その苦しみの原因が、理解できただろうか。それが『執着』である。

 

ソクラテスは言った。

 

あるいはエコロジー思想の先駆者、ヘンリー・デイヴィッド・ソローは言った。

 

『食べるために生きている』のであれば、『食べるためには時には盗む』という方向に考えが向かってしまう。もちろんそういう状況もあるだろう。だが、日本人は震災の時、世界中から称賛されたではないか。『盗まない選択肢』を選んだことで、こう言われた。

 

世界一誇り高い民族。

 

欲望への『執着』を捨て、人間への『愛着』を持とう。罪を犯した自分には、およそ愛着など持てまい。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

参照文献

仏典

法句経76。

関連する『黄金律

『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』

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