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ニーチェ『恋愛感情の中には、いつも若干の狂気が潜んでいる。とは言っても、狂気の中にもまた、いつも若干の理性が潜んでいるものである。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

ふむ…。

運営者

考察

今、とある人間のファンのコメントをよく見る機会があるのだが、客観的に見ていると、その人物のコメントには若干の狂気がある。好きでたまらないのだろう。だが、自分のそのエゴを何とかして押し通したいと思う気持ちに支配されているのだ。それが結果的に、相手の気持ちを考えない、押しつけ的なコメントになってしまっている。

 

まあ、もしこの人物の年齢が中学生以下なのであれば、こういうことは起こる可能性は高い。私だって、精神未熟なその時期に、そのようなコメントをつけるという機会があれば、後で振り返って恥ずかしいと思う様なことを書いた可能性が高い。

 

 

そして、狂気の中に若干の理性がある、というのは、当たり前だ。この後半の部分は別に、そりゃあそうだろう、ということだ。理性があるから『コメントを書く』という行動を取り、その他の生活をしている時に、通常通りにそれが行えるのだ。行えないなら、食事も排泄も睡眠もままならず、会話もできないから病院に行くしかない。

 

人間というものは常に理性を持って人生を生きている。だが、恋愛、飲酒、麻薬、大勢の人といる時等に、自分の人格の理性が薄くなる場合がある。しかしそういう時にも当然若干の理性がある。普通はその理性と、一人に(冷静に)なった時の理性との矛盾に気づいた時、虚しくなったり、妙な違和感を覚えたりするわけだが、その違和感を感じることが出来ない人間は、その『若干の理性』の自分の心境を、『自分の本心』だと錯覚してしまい、その状態が『狂気』に満ちているということを、俯瞰で見ることが出来ない。

 

そのコメントを書いている人間も、自分が今狂気に満ちているとは自覚していないだろう。しかしある日、必ずそう冷静に客観視することが出来る。今はただ、『若干の理性』の自分と『本当の理性』との矛盾に気づけていないだけだ。自制心が弱く、自分の気持ちを抑えられない。その事実を考えても、この人物の年齢が低い可能性があると、私は冒頭で分析したのだ。

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

Check

こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

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