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天動説を否定した件でガリレオよりもひどい目に遭った人がいた!

今、太陽の周りを地球が回っているということは誰もがわかることで、知らない人も調べればすぐにその事実を見つけられるようになっている。

 

天動説

地球の周りを太陽が回っているという考え。

地動説

太陽の周りを地球が回っているという考え。

 

しかし、ガリレオコペルニクスが『地動説』を説くまでは、キリスト教で信じられていた『天動説』が常識だった。

 

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しかし真実は、『地動説』に近かったわけで、

 

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更には、地球も太陽も、宇宙の真ん中ではなかった。しかし、この時代の人間は、『天動説を信じていた(間違った事実を、真実だと勘違いしていた)』

 

ブルーノという修道僧は、このコペルニクスが提唱した地動説を熱烈に支持し、自分が正しいと信じる世界の考え方を広めようといたるところで講演をしたが、これは当時の法王の天動説的常識や、聖書の教えに著しくそむくものだと考えられたので、1600年2月17日、ローマのカムポ・ディ・フィオリという広場で、火あぶりにされた。これに続いてガリレオは、コペルニクスの説の正しさを確信して意見を主張したが、宗教裁判にかけられ、無知な裁判官の前にひざまずかなければならなかった。

 

 

STEP.1
150年頃
プトレマイオス『アルマゲスト』(全30巻)、天動説にもとづく天文学の名著を大成する。

STEP.2
1492年
コロンブス、新大陸発見。

STEP.3
1529年
マゼラン、最初の世界一周航海。

STEP.4
1543年
コペルニクスが『天体の回転についてを著し、地動説を確立する。

STEP.5
1600年
ブルーノ、地動説を熱烈に支持し、異端の徒として火あぶりにされる。

STEP.6
1616年
ガリレオ、宗教裁判にかけられ、地動説の放棄を迫られる。

STEP.7
1642年
ガリレオが亡くなり、翌年ニュートンが生まれたのは科学史上の偶然。

STEP.8
1687年
ニュートンは1687年『万有引力の法則』を明らかにし、地動説は不動のものとなる。

STEP.9
1835年
コペルニクスやガリレオの地動説の思想をもった思想が、ようやくローマ教皇の禁書目録から完全に開放された。

STEP.10
1983年
あの宗教裁判から350年後の5月9日ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は、『かつてガリレオが教会側からの苦痛を被ったことを認める』と、正式に教会側の非を認めた。

 

 

ただ真実を発見し、それを伝え、人間の考えを『更新』しようとしただけで、ブルーノは命を落としてしまった。一体どれだけの時間見て見ぬふりをしていたのか。350年も自分たちの非を認めない人間に対して言える言葉など、『愚か者』の一言である。真理は、人間のためにあるのではない。人間が真理を見つけるだけなのだ。

 

エマーソンは言った。

Pythagoras was misunderstood, and Socrates and Jesus, and Luther, and Copernicus, and Galileo, and Newton, and every pure and wise spirit that ever took flesh. To be great is to be misunderstood….

(誤解されるのはそんなに悪いことだろうか。ピタゴラスは誤解された。 ソクラテスイエスルターコペルニクスガリレオ、 そして、ニュートンも誤解された。古今のあらゆる清純で賢明な魂も誤解を受けた。 偉大であるということは誤解されるということだ。)

 

そしてここにコペルニクスとガリレオの名が挙げられるのであれば、ブルーノの名前も挙げるべきである。ちなみに、人間の考えを『更新』しようとして処刑された人間には、もう一人の名を挙げておかなければならない。彼の名は『イエス』。蔓延していたユダヤ教の教えを『更新』しようとして、処刑された。そしてその事件がこの人間の世界に、甚大な影響を与えることになる。

 

人間というのは、自分たちの『居心地』を確保するためには、ときに人を殺すのである。

 

 

参考文献

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