偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
『何も怖れない』ではなく、『誰も恐れない』だ。つまり、『人』である。そうじゃなければ、例えば『鋭利な角に思い切りミドルキックをかます』ことも、怖れない人がそこにいることになる。しかし、実際にそういうことをしたら、たちまちスネは骨折し、大量の流血と共に、激痛に襲われ、悶絶することになる。足を失うこともあるかもしれない。それがわかっているはずなのに、それをするということは、『勇気』ではなく『無謀』だ。
ここで言われているのは『勇者』についてである。勇気ある者、それが勇者だ。だとしたら彼は、無謀なことをする人間ではない。勇気が必要なことが出来る人間だ。中国唐中期を代表する文人、韓愈は言った。
相手は人だ。どんな人間であろうと、人は人だ。だとしたら、限界がある。有限だ。それを理解している人間は、むしろ有限を大切にしようとして、配慮する。配慮するということは、敬意を示すことになるから、シラーの言う『後者』の様な人間にはならない。後者は、『多くの人から怖れられている』わけで、だとしたらそこには、意図的な営業が介入している。つまり、そういう風に演出したのだ。操作した。あるいは、見下し、敬意をおろそかにした。その結果、畏怖され、そういう人物像になった。
しかし、シラーの言う『前者』はそれとは一線を画す。わかりやすいのは、映画『13人の刺客』で登場するこの言葉だ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
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