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2019年鑑賞映画(IQ.)

全『1286』作品

目次

2019年

 

『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』

ついに終結した、40年前に始まったこの世界で最も有名な宇宙の物語。SFを普段全く観ない家族ですら、この映画を勧めたら観始めた。これはそういう映画である。もちろん、それは世界で動く大きなうねりに影響されたのも理由の一つだろう。見なければ置いてけぼりにされる、そういう気分になってしまうのである。だが、どんな理由であってもこの映画はそれだけのエネルギーをこの世に生み出した作品だった。スカイウォーカーは、ジェダイは、彼らの宇宙は一体どうなってしまうのだろうか。答えは映画で観てみよう。

 


参考
『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』youtube

 

『パリより愛をこめて』

誰が見えもギャングに見間違えるスキンヘッドのジョン・トラボルタのジャケットで、『愛をこめて』などと言われても全くピンと来ない。だが、このタイトルは奥が深い。これは、彼の言葉ではないのだ。では一体誰の言葉なのか。誰がパリで『愛』と真剣に向き合ったのか。そして、この只者ではない風貌をしたジョン・トラボルタは何者なのか。『ワックス』と名乗るこの男の予想できない爽快な生き方に巻き込まれながら、一人の男が人生の奥深さを知る。

 


参考
『パリより愛をこめて』youtube

 

『ルパン三世 THE FIRST』

ルパンにはまだまだ謎が多い。完全にそれらが明かされていないのがこの作品の魅力の一つだ。次元はシティハンター並みの射撃力を持っている詩、五ェ門は居合という剣術だが、ゾロといい勝負をしそう。そしてルパンは冴羽リョウと怪盗キッドを混ぜたような人間で、彼自身も祖父のルパン一世の実力を完全には知らない。モンキー・パンチが生んだ日本の天才泥棒は、彼亡き後の世界でも、いつまでも生き続けるだろう。

 


参考
『ルパン三世 THE FIRST』youtube

 

『ニキータ』

フランスで活躍するスパイ。だが、活躍と言っても彼女は決して望んでスパイになろうとしたわけではなかった。リュック・ベッソンが『レオン』を生み出す前に世に打ち出した代表作である。女心をよく理解したストーリーであり、多くの女性が節々に共感を得られるだろう。だがその反面、彼女が生きた人生はとても数奇なものだった。

 

『ブライトバーン/恐怖の拡散者バトル・フィールド』

タイトル、キャスト、クオリティ、そのすべてが一流とは言えないが、これが『スーパーマンのもう一つの方向』と考えれば、この作品には奥行きが出る。確かに、皆がみんなスーパーマンのように正義のヒーローになるわけではないはずだ。彼のような方向性に逸れる可能性だってある。これは、スーパーマンと酷似した状況で育った、一人の少年の物語である。

 


参考
『ブライトバーン/恐怖の拡散者』youtube

 

『バトル・フィールド』

『征服王ウィリアム ソード・コンクエスト』が、『ノルマン・コンクエストに至るまで』という設定の映画で、バトルなどは何の臨場感もない映画とするなら、これはそのバトルに焦点を当てた映画だ。しかも、その映画の話の続きで、ウィリアム1世がイングランドを制圧した後の、同じ1066年の話である。この映画の監督は「U2」「Blur」、ジャミロクワイなどのミュージックビデオの編集を手がけたジム・ウィードンで、映像がスタイリッシュなのが特徴。

 

この二つの映画も、『ガリア戦記』を描いた『グレート・ウォリアー』も、娯楽レベルで映画を楽しむ人には価値は分からないだろう。私とて、歴史を学ぶ前だったら低く評価したはずだ。(退屈だ)と。だが、歴史を学んでからは見える世界が変わった。例えばこの映画なら、終わり方がああなるのも、『アングロサクソン人はノルマン人に支配された』という絶対的な時代背景があるからこうなるし、その中で、『こうして抗う人々もいた』という事実を描写したいのだということが、伝わってくるのである。どちらにせよ、ノルマン・コンクエストについて描いているとても貴重な映画だ。

 


参考
『バトル・フィールド』youtube

 

『征服王ウィリアム ソード・コンクエスト』

『ノルマン・コンクエスト』とは、イギリスの歴史において、現在に至るまで外国の勢力による侵攻・征服が成功した最後の事例であり、ノルマン人がアングロサクソン人の支配するイングランドを制圧した歴史上の重要な出来事である。1066年、ノルマンディー公ギヨーム2世は海を渡ってイングランドを制圧し、イングランド王ウィリアム1世として即位し、ノルマン朝を開いた。この映画はそこに至るまでにウィリアム1世がどのように成長したかを、ドキュメンタリー映画のような雰囲気で描く映画である。

 

だから派手さを期待してはならない。テレビ番組の特集で途中に差し込む『当時の様子』的な考え方、そして、『ノルマン・コンクエストに至るまで』という設定を最初から分かっていれば、貴重な映像である。

 


参考
『征服王ウィリアム ソード・コンクエスト』youtube

 

『キャロル』

正直言って、彼女らが美しいから印象がいいだけで、もし登場人物がそうではなく、あるいは私と同姓のゴリゴリの男性らだった場合、私はこの映画を評価できない。差別したくはないが、拒絶反応が出るのが本音なのである。だが、同性愛者にも様々な人がいて、ハッテン場のようなところで男をあさったり、性的に汚れていたり、乱れていたりする人もいるなか、彼女らは違う。容姿だけではなく、ここにある愛が、とても美しく感じるのである。

 


参考
『キャロル』youtube

 

『ドクター・スリープ』

『シャイニング』をリアルタイムで観た人からすれば鳥肌ものだろう。なんといっても40年という時間が空いているのだ。40年後にまだ物語が続いているというのは、感慨深いものである。少年は、あの時死ななかった。死んだのは父親だけだ。以来、雪が降らないところへ移り住み、忘れてきたつもりだった。だが、どうしても避けて通れない運命だったのだ。

 


参考
『ドクター・スリープ』youtube

 

『武士の家計簿』

武士とはいっても、色々な生き方がある。武士とは名ばかりの、刀を振り回すごろつきのような者もいれば、武士の鏡のような、一目置かれる者もいる。そして、彼らのように数字の計算が得意な人間もいる。それは、中国の武将、劉邦を支えた名称たちの話を知っている人なら、理解の早いところである。

 

『秦』の次を獲るのは『項羽』?『劉邦』?『漢』の皇帝の器がわかる『蕭何の武功』の逸話とは

 

監督 森田芳光
脚本 柏田道夫
製作 元持昌之、岩城レイ子、三沢和子、真壁佳子、池田史嗣
製作総指揮 原正人
飛田秀一
豊島雅郎
野田助嗣
出演者 堺雅人
仲間由紀恵

 

『LOOP/ループ -時に囚われた男-』

途中まで、いかにもありそうなシナリオだという目で観たが、途中から少しそれが覆されつつあった。だが、結果的には疑問点が多々残る、消化不良の映画となった。なぜこのような現象が起きたのかがわからないので、『未来のミライ』を観たときに感じた違和感と同じものを感じたというわけだ。

 

 

『キング・アーサー』

イングランドがまだ『ブリテン』と言われている時代、やはりこのあたりを支配しているのはローマ帝国だった。ローマ帝国の最後の『最後の善なる皇帝』マルクス・アウレリウスが死亡してから100年経ってもローマ帝国は何かと争いを続けていて、ブリテンを侵攻、そしてこのあたりにあった少数民族は、ローマ帝国に組み込まれた。時は452年。そうした事情でローマと組んだ民族出身の騎士アーサーは、名剣エクスカリバーと仲間たちと共に、ローマの支配からついに自由を勝ち取る瞬間を目前としていた。

 

だが、そこに立ちはだかったのはゲルマン系の民族であるサクソン人。彼らはのちにこのヨーロッパ人のルーツになる民族。『イングランド』の語源となったのはアングロサクソンだ。アングル人ジュート人サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称である。この中でアングル人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いた。

 

このように、様々な民族が勢力を競い合い、ここでその縄張り争いを繰り広げ、定着していった。これは、まだイングランド(イギリス)がこの世に登場する前の、そうした民族同士の競り合いと「アーサー王と円卓の騎士」をモデルにした、『あったかもしれない』歴史の旅である。

 

 

『グレート・ウォリアーズ』

カエサルが行った『ガリア戦争』、その詳細を書いた『ガリア戦記』も有名である。しかし、実はこの戦争で対峙したガリアのウェルキンゲトリクスには、相当てこづったのだ。もし彼が一つ選択肢を変えていれば、この戦争でカエサルは死んでいただろう。色々と映像やキャストに気になる点はあるが、歴史を知っている人からすれば重要なシーンだ。

 

 

アメイジング・グレイス

誰もが聞いたことがあるはずの名曲、『アメイジンググレイス』。実は、あの歌がこの世に生まれた背景にあったのは、人類が刻んだ哀しい黒歴史だった。その尾は今も尚引いてしまっていて、この世界の悪しき因子として世界中に散りばめられている。黒人に対する奴隷制度問題である。

 

イギリスの政治家、ウィリアム・ウィルバーフォースは、ヴィクトリア女王よりも優れた偉人かもしれない。ヴィクトリア女王は、大英帝国のトップに君臨し、その恩恵を食事から側近の世話まで、甘んじて受け入れた。だが、その豪華で贅沢な暮らしの元になっているのは、奴隷制度で『所有』する奴隷の労働力と、世界各地にある植民地なのである。

 

しかし、確かに難しい選択肢がちらつく。『イギリスがやめてもフランスが横取りするだけだ!』それはその通りだっただろう。奴隷制度、帝国主義の渦中にあって、ウィルバーフォースとピットが立ち向かうために燃やした正義の炎は、この世界に永遠に残る、勇気の炎である。きっとあなたは、映画の最後に流れる『アメイジンググレイス』を観て、背筋を伸ばすことになるだろう。

 

桜田門外ノ変』

1860年、桜田門外の変は起きた。それは1853年にペリーが黒船でこの国に来航し、開国を強引に要求してから7年後のことだった。井伊直弼は、多くの尊王攘夷反対者の意志を無視して、これを受け入れた。そして、吉田松陰橋本佐内といった重要人物を処刑し、尊王攘夷派に火をつけてしまった。

 

だが、彼らはとてつもない覚悟をもってこの革命に挑んだ。ほとんどテロリズムであり、実際に彼らはテロリストとして扱われた。犯人たちはその後一体どうなったのか。歴史の教科書には出てこない、彼らの信念と覚悟、そしてその後を描いた、重大事件の真相を見よ。

 


参考
『桜田門外ノ変』youtube

 

『ナポレオンに勝ち続けた男-皇帝と公爵-』

この映画に、ハリウッド映画のようなエンターテインメント性はない。このタイトルにあるウェリントンの登場シーンも少ないし、ナポレオンとウェリントンの火花を散らす壮絶な喧嘩を見たい場合は、お勧めできない。『ワーテルロー』で多少そういう映像を見ることができるから、そっちを見た方がいいだろう。だが、私はこういう映像があってもいいと考える。きれいごとではない醜い人の本性が露呈する、戦争という地獄。おそらく、地獄をイメージして描いているのだろう。ド派手な演出よりも、真実の実態にスポットライトを当てた、禍々しい戦争の実態である。そこには、決して戦争を正当化するべきではないという、製作者のメッセージが込められているように見える。

 

 

『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』

これは映画というよりもドキュメンタリー映画である。まるで、美術館でダヴィンチの絵を見に行くつもりで、この作品を見るといい。だから、これが美術館で流れていたとしても何ら不思議ではない。気持ち的にも、そういうスタンスを整えることが求められる作品である。ダヴィンチは絵だけではなく、大砲、運河、街に至るまで、様々な物を作った。医学の勉強をし、人体の研究をし、論理的に美術と向き合い、二次元の絵が当たり前だった時代に、パラダイム転換をもたらせた。

 

 

マグダラのマリア

レオナルド・ダ・ヴィンチの名作『最後の晩餐』で、イエスの右隣にいる人物が女性っぽく見え、これがマグダラのマリアでないかと噂されたことがある。この人物は、591年にグレゴリウス1世が『娼婦』だったと主張し、以来長い間誤解され続けてきた。だが、2016年に最新の結論が出たのだ。これは、マグダラのマリアがイエスにとってどういう存在だったかをようやく描けるようになった、新しいこの時代の切り取りである。

 

 

『THE PROMISE 君への誓い』

1914年のオスマントルコ。第一次世界大戦を目前にして、少数民族であるアッシリアjン、ギリシャ人、アルメニア人たちは戦々恐々としていた。ムスリムであるトルコ人たちが、いくつかの戦争を経て、キリスト教徒に対し敵意を抱くようになり、アルメニア人などのクリスチャンを信仰する少数民族を排斥するようになった。

 

トルコは現在このアルメニア人虐殺事件を公式に認めていないが、この騒動によって、実に150万人ものアルメニア人が命を落としたのだ。核爆弾で死亡した人々が10万~20万人。そう考えたとき、これがどれだけの規模の問題だったかが垣間見えるのである。しかも、新生トルコになった後も、ケマル政府はクルド人に対して独立を認めず、弾圧している。したがって、トルコ近辺で少数民族が排斥されている事実が存在することは確かなのである。

 

この時代のオスマン帝国の映画は『アラビアのロレンス』があるが、映像のクオリティで考えると、まるで違う世界を見ているかのように、圧倒的に違う。私は最近の映画の方が好きだ。

 


参考
『THE <b>PROMISE</b> 君への誓い』youtube

 

『マルクス・エンゲルス』

1843年ドイツ。イギリスで1733年頃から起きた産業革命から100年。それはすっかりこの世界に浸透し、人々の生活はより利便性が増す一方のはずだった。だが、この革命のせいで人々の間に大きな格差が生まれるようになり、ブルジョワジー(資本家)とプロレタリアート(労働者)という決定的な階級の差異が生まれた。人は平等ではないのか。このまま格差が生まれ続けていいのか。

 

そこに現れたのが、現実世界に最も影響を与えた哲学者カール・マルクスと、そのよき理解者である工場長の息子、エンゲルスである。彼らはちょうどその階級の違いによって対立関係にあったが、実際には論文を通して実力を認め合っていた。そして彼らから『共産主義(社会主義)』という、平等を目的とした世界を揺るがす概念が生まれる。それは、この後ソ連のレーニンが応用し、スターリンが悪用したことで、『冷戦』という大きな亀裂の原因ともなった因子だった。

 

だが、アインシュタインが核連鎖反応を科学者視点で純粋に発見したように、マルクスらも決してこの世界を壊そうとして立ち上がったわけではない。しかし、人間にとって極めて重要なワンシーンをこの目で見ておく必要がある。

 


参考
『マルクス・エンゲルス』youtube

 

グアンタナモ、僕達が見た真実

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロは起こった。そして、多くのアメリカ軍人は、ムスリム=『ジ・ハード』という穿った目を向け、厳戒態勢を取った。それが功を奏して、水際でテロを防ぐこともあった。ちょうど、警察の職務質問に似ている。越権的で高圧的な態度を取る警官に良い思いをする人はいない。しかし、それらの行為によって、実は犯罪率の減少が証明されているのである。

 

では、これは許されるだろうか。彼ら無実のパキスタン人が、グアンタナモ基地で体験した数年間の壮絶な拷問は、本当に必要だったのだろうか。

 

 

ライフ・イズ・ビューティフル

ホロコーストを描いた映画はいくつかあるが、これは異例の作品である。『シンドラーのリスト』然り、往々にしてその手の作品は、ただひたすらに哀しい。だが、このイタリア映画はそういう角度でこの歴史を捉えない。途中まで、チャップリンか何かの映画を観ているような気持になり、映画で笑わない私が思わず笑い声をあげてしまうほどである。

 

だからこそ、感動する。この映画がなぜこのような人物を主人公にしてホロコーストを描いたのか。そして、そこにあった芸術家のような見事な彼の生きざまを推測したとき、我々はただひたすらに感嘆し、この作品にひれ伏すだけなのだ。

 

 

高杉晋作はこう言って、しかしテロリズムに等しい革命を起こし、太く短い壮絶な人生を生きたが、本当にこの言葉通りに生きようとすると、彼のような男の生きざまがピタリ来るのかもしれない。

 

『国家の女リトルローズ

1967年のワルシャワ。社会主義政権下で自由を求める学生たちが1968年に起こした民主化運動(3月事件)の直前の物語である。シオニズムとは、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興運動(ルネサンス)を興そうとするユダヤ人の近代的運動のこと。つまり、シオニストというのはユダヤ人だ。当時のポーランドでは、ユダヤ人は肩身が狭い思いをすることになった。この物語で得をした人は誰もいない。誰も、いないのだ。

 

 

『ガーディアン ハンニバル戦記』

世界史上最高の名将『ハンニバル』と、それに勝利した『大スキピオ』。紀元前300年頃、アレキサンダー大王が世界を支配した数十年後のヨーロッパ、地中海を仕切っていたのは、北アフリカにあるカルタゴだった。だが、その80年後にはローマ帝国が台頭してくる。カルタゴとローマは、地中海の覇権をかけて戦争をする。『ポエニ戦争』である。ハンニバルについて正確に描かれた最近の映画はほとんどないので、とても貴重な映画だ。半分ドキュメンタリー映画のようにもなっているが、NHKあたりが作る歴史ドラマなどと比べれと、そのクオリティの差は雲泥である。

 

彼がなぜ世界史上最高の名将と言われたか。それは、この映画を観ただけではわからないだろう。だが、確かにその異名にふさわしい人徳と冷静な頭脳が彼にはあった。あのローマ帝国を滅亡寸前まで追い込んだのは、決定的な事実なのだ。つまり、もし彼が『名将』という純粋な称号が相応しくない『猛将』どまりの人間であれば、ローマ帝国はここで滅亡していたかもしれないのである。

 

『戦争と平和』

私が観たのは最新のドラマの方だが、オードリー・ヘプバーンの方を見たかったという本音もある。1805年のロシアは、まさにナポレオン戦争の真っ最中にあり、その時代を生きたロシアの人々のドロドロとした壮絶な人間ドラマが繰り広げられる。正直、最後まで観なければこの映画の真価は分からない。そこに至るまでに、何度もロシアの辛気臭くて暗いイメージを突き付けられた気がして、挫折したくなる。

 

だが、そこはトルストイだ。それすらも演出なのである。これは、単なる戦争の一コマを描いた映画というわけではなく、戦争という渦中でこれだけの群像劇が書けるというメッセージでもある。人が簡単に命を落とす地獄のような時代の中で、その一人一人にこうも濃厚なドラマがあるのだと。そういうメタメッセージ(暗に込められたメッセージ)が聞こえてくるのである。この映画からは、戦争に対する徹底的な批判と、『それでも決して戦争体験を無駄にしない』という、人間の矜持を感じた。

 

 

『グラディエーター』

監督のリドリー・スコットは、『ベン・ハー』と『スパルタカス』を観て、強い影響を受けた。2000年という人類文明の一つの節目に、人類の歴史に影響を与えた大帝国の分かれ目を描きたいと考えたという。彼の映画には、

 

  • エイリアン Alien (1979)
  • ブレードランナー Blade Runner (1982)
  • ブラック・レイン Black Rain (1989)
  • キングダム・オブ・ヘブン Kingdom of Heaven (2005)
  • アメリカン・ギャングスター American Gangster (2007)
  • ワールド・オブ・ライズ Body of Lies (2008)
  • ロビン・フッド Robin Hood (2010)
  • プロメテウス Prometheus (2012)
  • 悪の法則 The Counselor (2013)
  • エクソダス:神と王 Exodus:Gods and Kings (2014)
  • オデッセイ The Martian (2015)

 

など、錚々たる作品がずらりとあるが、このグラディエーターはその中でトップを誇る彼のヒット作となった。よく、古い伝説映画をリメイクすると『する必要がなかった』という声が上がるが、私は違う意見だ。ぜひ彼に『スパルタカス』をやってほしい。ローマ帝国の最後の『最後の善なる皇帝』マルクス・アウレリウスが死に、ローマ帝国は分裂したり飲み込まれたりして、ここから衰退の一途をたどることになる。この後もローマ帝国の形は残るが、ここが最盛期で、同時に斜陽のターニングポイントだった。

 

 

『クレオパトラ』

『トロイ』のアキレス、ギリシャのペルシャ戦争とペロポネセス戦争(スパルタ300人の伝説)と、アレキサンダー大王、ハンニバルスキピオに、スパルタカスの反乱を経て、カエサルとクレオパトラの時代になる。ヨーロッパの歴史というのは数百年に一度は必ず歴史的な人物が出てきて、歴史の記録に大きな痕跡を残す。では、クレオパトラという人物は、どういう人物だったのか。

 

 

彼女のこうした名言だけを見れば、彼女がその美貌を利用して野心を燃やした、現代の世ですらもどこにでもいる、単なる美女であり、それがたまたま皇族の地位にあったというだけのことだ。そして、確かに彼女はそのイメージ通り、30歳以上も離れたカエサルの愛人となり、その子供をローマの皇帝にしようと企てる。アレキサンダー大王が支配したエジプトのアレキサンドリアで生きた彼女は、何かと圧倒的な支配者や帝王に憧れがあったのかもしれない。

 

だが、映画を観ればそうした印象も少し変わるだろう。彼女は単なる野心家というわけでもなかったのである。一人の女性であり、そして高潔な精神を持った、女王だったのだ。

 

『アレキサンダー』

世界で三番目の世界帝国は、マケドニアのアレキサンダー大王の時代に存在した。アッシリア、ペルシャの次がそうだ。そしてその後、ローマ帝国の時代が到来することになる。しかし、若くして世界を獲ったと言われたアレキサンダー大王はヨーロッパの人々にとっては伝説的存在で、母親がアキレスの末裔、父親がタイタン、ヘラクレスの末裔だと言われるほどである。

 

映画ではアリストテレスが彼の知性の軸となる教師として登場するが、ある文献によると、アリストテレスは大した影響を与えなかったともある。だが、よく考えればアリストテレスが家庭教師をしたという事実は確かなのだから、あれほどの人物が教えた者に対した影響を与えなかったというのも妙である。

 

彼が支配した都市、アレキサンドリアは、エジプトにある。そして、その300年後にそこに存在したのが、かのクレオパトラである。彼女はそこでローマのカエサルと出会うのだ。『トロイ』のアキレス、ギリシャのペルシャ戦争とペロポネセス戦争(スパルタ300人の伝説)と、アレキサンダー大王、ハンニバルスキピオに、カエサルとクレオパトラ。このどれもが見逃すことができない圧倒的なヨーロッパの伝説的な人物と戦いの歴史である。

 

 

『トロイ』

紀元前1200年代。世界で最初の公式な戦争は、紀元前1285年頃にあったカデシュの戦い (古代エジプトとヒッタイト)である。実際にはもっと以前から存在したが、史上初の公式な軍事記録に残された戦争であり、成文化された平和条約が取り交わされた史上初となる戦いであるともいわれている。これは、ラムセス2世というファラオが参加した戦争だが、おそらく、モーセが存在していたなら、このラムセス2世と同時代だったと考えられている。よって、『エクソダス神と王』では、モーセとラムセス2世は兄弟のような友情で結ばれた友人として演出されている。

 

しかし、エジプトであったその戦争と同時代のギリシャで、『トロイア戦争』という戦争があった可能性があると言われている。これは、カデシュの戦いに比べて明確ではなく、あくまでもギリシャ神話の域を出ないものである。だから、この戦いに登場するアキレスも、本来ならギリシャの人格神として語り継がれるものである。これは、そのアキレスをあくまでも一人の人間と捉えた、壮大なスペクタクル歴史映画である。同じ時代にあった『アレキサンダー』は、実在したアレクサンドロスを描いた映画だが、その5倍も売り上げた、ヒット作だ。私は両方とも見応えがあり、歴史を学べて良かったととらえている。

 

 

ALWAYS 三丁目の夕日

1958年の昭和。この時代のことなら、現在おじいさんやおばあさんの世代の人々にとって、とても懐かしく感じることだろう。冷蔵庫、洗濯機、テレビは『三種の神器』と言われた。日本人の生活に徐々に欧米色が彩られていく初期のこの時代は、しかし、まだまだ日本古来のノスタルジックな光景がそこら中にあった。こういう映画はハリウッドのダイ・ハードとかターミネーターなどと比べれば、地味である。だが、そんな地味だが確かな現実を切り取った平和な日常は、皆が求めている素晴らしい日常だ。

 

 

『ビルマの竪琴』

戦争が終わった。時は1945年の8月になったからだ。ビルマ(ミャンマー)伝統の竪琴「サウン・ガウ」がある。だから、それを使って作品を作れば、それは戦争というあってはならない歴史の汚点と、その他の目立つ地域の影響で埋もれる、こうしたエリアに対し、人は目を向けるようになる。

 

戦争が終わった。日本軍は、なんとか日本に帰ることさえできれば、もう地獄のような体験をしないで済むはずだった。だが、男は帰らなかった。いや、帰れなかった。そこに多くの戦死体があるからだ。ビルマで竪琴の哀しい音色が鳴り響いた。そこにあるのは、大自然の真理と一体化した、繊細で厳かな、警鐘である。

 

 

『春の雪』

1912年の大正元年。確かに、大正時代の人々の生活を見ることができるのは貴重である。だが、時はまさに日露戦争直後で、第一次世界大戦もすぐそこに迫った戦乱の世。私はそれが気になって、こうした貴族とかいう越権的な人間には感情移入できない。それは、私の実家の隣に貴族にも似た資産家が住んでいて、彼らのことをろくに知らないまま30年以上も時が過ぎているからである。排他的なのである。

 

だが、さすが三島由紀夫。そうした一部の事情をそぎ落とせばここで描かれる純愛物語は、見応えがある。三島由紀夫は、自分の命を賭して武士のように命を使い切った男だ。そんな人間が戦争中に恋愛にうつつを抜かしている貴族の話をストレートに書いたとは思えないが、いや、私の見識の及ばない深い意味があるのだろう。

 

 

影武者

1573年日本。時は戦国時代である。越後の龍、上杉謙信に、甲斐の虎、武田信玄。織田信長に豊臣秀吉に徳川家康といった、錚々たる人物たちが割拠した壮絶な時代である。面白いことに、この時代の世界もすごい。コロンブスが1500年頃にアメリカ大陸を発見してピサロ、コルテスがインカ帝国やアステカ王国を滅ぼす。イギリスにはエリザベス女王、フランスでは王妃マルゴがサン・バルテルミの虐殺で、ルターの宗教改革後の影響を受ける。黒澤明が、そんな戦乱の世で最も織田信長を苦しめた男と言われた、武田信玄の影武者の視点で日本の歴史を描く。

 

 

セブン・イヤーズ・イン・チベット

自分の内面に目を向けるのは誰もが避けることだ。精神未熟であればあるほどそういうことになる。外に目を向け、刹那を誤魔化す要素を探し、快楽や、あるいは何も考えずに済むことに打ち込んでとにかく目を逸らす。それが楽だからだ。人間は、本質的に楽ができる方向へと無意識に進んでしまうものなのである。

 

それはある場面では知恵となる。しかし、往々にしてはいけない。それを基本軸にしてはいけないのだ。やるべきことがあるということ。自分の心の目を向けることは、何よりも重要なのである。オーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーの実体験を基に作られた、チベットでの貴重な数年間の冒険。そこで彼は、若きダライ・ラマと出会った。私は彼の言葉で好きなものがあったが、彼は、少年時代から人格者だったようだ。

 

 

『ヴィクトリア女王 最期の秘密』

エリザベス女王が世界一有名な女王であり女性なら、ヴィクトリア女王は大英帝国の黄金期に君臨した実力者である。インド大反乱(1850年)から更に37年経った1887年イギリス。ヴィクトリア女王はすっかり高齢者となっていた。私はあのガンジーほどの人物がヴィクトリア女王に対しては敬意を払っていたのを歴史の勉強時に知ると、違和感を覚えた。何しろ、大英帝国のトップである彼女には遺憾に思うのが普通だからだ。だからインドはイギリスから独立したのである。

 

この映画を観ると、そんなヴィクトリア女王に対して少しは理解が深まることになる。かといって帝国主義が正当化されることはない。植民地化された人々は独立運動をして、今はもうそれが完全に時代遅れになっているように、黄金期に君臨していたからといって、イギリスとフランスの2トップ、もちろんスペイン等がやっていたことは間違いだ。ナチス・ドイツ、大日本帝国も同じことである。しかし、女王の立場は難しかったと言えるだろう。

 


参考
『ヴィクトリア女王 最期の秘密』youtube

 

『王妃マリー・アントワネット』

1770年、マリー・アントワネットがルイ16世の元にとついだときには、すでに王室は腐敗していた。ルイ14世の時代に『王権神授説』が唱えられ、絶対王政の体制が取られてから、ヴェルサイユ宮殿のような世界遺産ができたのはいいが、民衆との間には深い溝ができ、民衆の宗教すらそれを阻害するための危険因子として警戒された。

 

 

兼ねてからこの言葉の真意について論議されてきたが、あるフランス人の意見としては、『高い物が食べられないなら、安い物でも十分よ』という意味で、多くの人がこの言葉だけを短絡的に解釈して、浪費癖のある王妃のイメージを想像してしまっていたようだ。しかも、この言葉自体も、彼女が言っていたかどうかが定かではないという。

 

映画でも、これが彼女の言葉ではないと断言している。だが、続けて『そう言われてもおかしくない生活をしてしまっていた』として、結局彼女らに浪費癖があり、散在するだけの浮世離れした悪しき習慣があったというのである。仮面をつけて外で遊び、大きくお金を浪費。自分のドレス代は年間10億円というのだから、やはり彼女に悪い噂が立つのは仕方ない。

 

そこに起きるのが『首飾り事件』である。とにかく、王妃の支出が増えるたびに、国民の生活は窮地に陥り、聖職者と貴族は課税を免除される。包茎が理由でルイ16世とSEXすることができず、王室に窮屈さを感じていたことは同情するが、そんな事情を抱えている人間は大勢いるのである。『フランス革命』は起こるべくして起こった。これは、歴史をテキストで読んでも、こうして映像で観ても、やはり変わらない結論だと言えるあろう。処刑は、不安定だった国のブレーキ替わりであり、見せしめだった。ナポレオンが登場する直前のフランスの歴史である。

 

 

『リベレイター 南米一の英雄 シモン・ボリバル』

歴史の勉強をしていると、南米大陸の話が割愛されがちであるということ。そして、シモン・ボリバルという男の圧倒的な存在感について、興味を持つことになる。例えば、私が持っているいくつかの歴史書も、南米大陸の話はほとんどなく、シモン・ボリバルについて書かれていたとしても1ページも用意していない。だが、彼こそは『大コロンビア、ボリビア、ベネズエラ第二共和国、ベネズエラ第三共和国』の初代大統領であり、ペルーの8代大統領である。

 

一体、どういう人生を生きればそういうことになるのか。そして、なぜ彼が『リベレイター(解放者)』と呼ばれているのか。彼が移動した距離は馬で10万キロ、アレキサンダー大王の2倍の領土を持ち、征服ではなく解放を目的として南米大陸を動き回った、ラテンアメリカの英雄である。

 

日本では、八甲田山での修行一つが映画化されたわけだが、ここで登場するアンデス山脈を越えるシーンは、それ一つで映画化に匹敵する大冒険である。女性、子供、老人、そのすべてがスペイン軍と戦い、自由を勝ち取るために奮闘した。そういう、ラテンアメリカの深く濃い歴史から目をそらしてはならない。

 

 

『仮面の男』

アレクサンドル・デュマの『ダルタニャン物語』をベースに作られた、『三銃士』のその後の話である。三銃士と言えば、ダルタニアンと共にルイ13世と戦ったフランスの騎士たちだが、これはその息子のルイ14世の話だ。この話は実によくできている。私は歴史を学んだ時、ルイ14世にある二つの顔に疑問を覚えていた。『太陽王』と呼ばれ、歴代最高の名君とさえ中国の皇帝も見習ったルイ14世は、ヴェルサイユ宮殿を建てたとき、お金が余っているわけではなかった。

 

そしてその後ルイ16世とマリー・アントワネットの時に『フランス革命』が起きる。それは、皇族だけが贅沢をし、貴族や聖職者は課税を免れ、第三市民と言われた一般庶民だけにしわ寄せが来たことが原因で起きた、必然的な革命だった。そして彼らはギロチンで処刑された。一国の王と王妃の残酷な最期に、世界中が震撼したのである。では、フランス革命というのはルイ16世とマリー・アントワネットの浪費と散財が原因なのだろうか。そう考えたとき、私がすぐに思いついたのがルイ14世の時代にあったヴェルサイユ宮殿の強引な建築である。

 

かつて、ムガル帝国5代目皇帝のシャー・ジャハーンは、愛妃ムムターズ・マハルの墓として、『タージ・マハル』を作った。その建築には18年とか22年の歳月が使われた。ルイ14世は、彼とほとんど同時代を生きた王であり、晩年は奢侈(しゃし)や戦費がかさんで国庫は激減し、衰退していった。ここにあるのは、王族の特権の乱用の気配である。そう考えたとき、ルイ14世というのは一体どういう人物だったのか。そういう疑問が頭をよぎるわけである。

 

そんな時、この映画で想像された通りのシナリオを当てはめた場合、見事につじつまが合うのである。しかも、『鉄仮面の男』というのは実際に存在していて、この映画のようにフランスのバスティーユ牢獄に収監されていた。当時フランスにあった様々な逸話や伝説を交じり合わせながらこの映画を鑑賞した時、この映画のタイトルが『鉄仮面の男』ではなく『仮面の男』ということであることさえも深い意味があるのだという妄想に浸ることができ、感心するのである。

 


参考
『鉄仮面の男』youtube

 

『ジェロニモ』

1886年、アメリカ大陸にいた先住民たちは、ついにこの地へ引っ越してきたイギリス人やフランス人たちによって淘汰されつつあった。その後、そこに多くのイギリス人たちが軸となって『アメリカ合衆国』ができ、フランス人の多くは上に行って『カナダ』を作った。総じて彼らは『白人』であり、先住民は『インディアン』と呼ばれた。それは、コロンブスが1500年頃にこの大陸をインドと間違えたことが原因だった。

 

1000年近く続いたインディアンの文化が、『明白な天命』という白人の自分勝手な都合によって滅ぼされていく。インカ帝国、アステカ王国、マヤ文明、そして数多くの部族に分かれたインディアン。最後まで抵抗した『ジェロニモ』と呼ばれたアパッチ族のインディアンは、この時代の変化に従う道を選ぶが、そこに残ったのは絶滅危惧種がこの世界から消えるときの様子に似た、言葉にならない哀愁だった。

 


参考
『ジェロニモ』youtube

 

ブレイブハート

1280年のスコットランド。イングランドの真上にあるスコットランドは、往々にしてイングランドの影響を受けやすかった。現在イギリス(UK)はイングランド、スコットランド、ウェールズ、そして左隣の島国であるアイルランドの北側だけ(北アイルランド)がその領地となっている。そのスコットランドがイギリスの支配から独立するために戦った実在の人物ウィリアム・ウォレスの映画だ。史実と違う部分もあるらしいが、それを言ったらすべての映画がそうである。当時の時代背景、そしてウィリアム・ウォレスという人物の存在を知るためには、ある程度の演出も必要だろう。

 

何より、音楽がいい。どこかで必ず聞いたことがあるあの音楽は、心が動いたときにだけ流れる、哀愁溢れる深遠なメロディーである。スコットランドのバグパイプが奏でる音色は、音楽次第では人の心を大きく動かすだけの力を持っているが、スコットランド人が自分たちの誇りを取り戻すだけの力が眠る映画である。

 

wikipediaにはこうある。

映画自体と同様に、『ブレイブハート』のサウンドトラックも大きなセールスを記録している。サウンドトラックは、『エイリアン2』(1986年)、『アポロ13』(1995年)、『タイタニック』(1997年)、『スターリングラード』(2001年)を手がけている作曲家ジェームズ・ホーナーによって制作された。ロンドン交響楽団の演奏による。

 


参考
『ブレイブハート』youtube

 

『永遠の門 ゴッホの見た未来』

ゴッホの人生は、わかる人にしかわからない。絵というもの自体がそもそもそうだ。ピカソなどの絵を見て数億円以上の価値があると本気で理解できている人がどれだけいるのだろうか。もちろん、何の既成概念も先入観もない状態でだ。その現象は、彼が生きたその時代でも存在した。多くの人が彼の絵も、人生自体も毛嫌いし、あるいは精神障害だと敬遠した。普通、そういう人は歴史の闇に消えるのが相場だ。だが、彼の場合は違った。それは一体なぜだろうか。

 


参考
『永遠の門 ゴッホの見た未来』youtube

 

山口組三代目

当時の東映社長は『ゴッドファーザー』を見て気に入り、「日本で当てはめるなら山口組だ。これをやるのは自分しかない」と思い立ったという。日本人からすれば身近にある暴力団、ヤクザというイメージがすこぶる悪いので拒絶反応を示すが、世界的に見ると、『山口組、YAKUZA』というのはイタリアンマフィア、ロシアンマフィア、チャイニーズマフィア、アメリカンギャングらと同様、一目置かれるアウトロー集団である。

 

高倉健が演じる田岡が加入したとき、山口組はまだ数十名足らずしかいない小さな組だった。それを、いずれ世界にまでその名を轟かせる大集団に仕立て上げたのが、三代目田岡である。戦争映画は世界的にヒットし、やくざ映画は受け入れられない。人を殺す数は戦争の方が圧倒的に多いのに奇妙な話だが、『食人族』や『異常犯罪者』がいつまで経っても認められることがないように、ヤクザもそのきわどい境界線で生きる、ニッチな存在である。

 

美空ひばりエノケンといった、当時の日本

人が知らない人はいない芸能人のすぐそばには、この田岡の存在があった。世界を揺るがす山口組はなぜ日本一巨大なヤクザになったのか。その根幹には何があるのか。カリスマ的な求心力を持った人間が本気を出せば、世が戦国時代なら歴史に名を残す名将となっていたかもしれない。

 

 

『ラスベガスをやっつけろ』

ハンター・S・トンプソンは実在したジャーナリストだが、彼の人生は波乱に満ちていた。ジョニー・デップは彼のよき理解者であり、それは暗に『ドラッグの正当化』を意味しているが、確かにジョニー・デップもあらゆる映画でドラッグ愛好家が喜ぶような演出をしている。この映画はアウトロー映画であり、一部の人は受け付けることができないだろう。しかし、これが『ラム・ダイアリー』の後の話ということを考えると、不思議な感覚になる。薬は彼を狂わせたのか。それとも彼の人生を彩ったのか。

 


参考
『ラスベガスをやっつけろ』youtube

 

ニュー・シネマ・パラダイス

この映画があまりにも良かったので母親に鑑賞を推奨したが、なんとあまり感動には至らず、『男性向けなのかもしれない』と発言。私はとても哀れだと感じた。

 

それもそのはず、彼女は映画を観ているのに途中で何か違うことを初めて『ながら観』したり、トイレに行くときは一時停止をせず、それで『映画を観た』と発言する、私にとって考えられない軽薄な態度で映画(それ以外のあらゆること)に向かい合う人間だからである。確かに私も最初は、聞きなれないイタリア語と、品のなさそうな子供とおじさんのやり取りを見て、B級映画のような気配をそこに感じてしまったことは認める。だが、この映画は2019年に観た映画の中で最も感動した作品となった。

 

必ずどこかで聞いたことがある音楽。そして、『パンと魚の話、やっぱりあれはあり得ないよ…』という、聖書を知っている人にしかわからないユーモア。きっと、この映画を『真剣に』観た人であれば、あの映画館とアルフレードとのお別れが惜しくなっているだろう。

 


参考
『ニューシネマパラダイス』youtube

 

『ローマの休日』

オードリー・ヘプバーンは映画史に残る美女だが、ただ容姿が美しいというだけの女性は大勢いる。だが、彼女には『ティファニーで朝食を』など、いくつも名作を持っていて、それは彼女が容姿だけに頼っていないことを意味する。

 

 

それは、この彼女の言葉からもうかがうことができる。『ティファニー』の時には物事を深く考えない若い女性を演じ、この映画では長い間品性を学んで、それが人生に染み付いた見事な王女を演じた。この作品から儚い切なさと尊さを覚えることができるのは、彼女のような俳優陣が一流だからだ。

 


参考
『ローマの休日』youtube

 

『BUDDHA2 手塚治虫のブッダ‐終わりなき旅‐』

『手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-』と重複したり、逆に重複しないシーンがあってなんだかよくわからず、1も2も一緒に統合してもう一度作り直した方がいいという印象は得る。取り扱う題材は人類の資産だし、声優陣も豪華で、手塚治虫という天才を通したブッダの人生を見るのは貴重な体験のはずなので、もう一度練り直して、細部までクオリティにこだわって作り直せば、世界に通用する歴史的な映画となるだろう。

 

 

『アインシュタイン:天才脳の行方と秘密』

アインシュタインの一生を考えるにはうってつけの映画である。ドキュメンタリー映画のような作りだから、真実を正確に理解することができ、アインシュタインが何をしたかということを知るために有効な作品である。彼の頭脳は、アメリカから見たらスターリンよりも危険な存在で、FBIのフーヴァーからも目をつけられる。そのあまりの天才ぶりに、死亡解剖する際に、解剖学者が脳を持ち出す事件が発生。

 

彼が登場するまで、物理学の巨人はニュートンだった。ニュートンは、中心に引力があり、それに引っ張られるという『万有引力の法則』を提唱したが、アインシュタインが主張した重力は、『宇宙外の空間から押されている』というもの。彼はニュートンを覆してしまったのである。小さい頃、コンパスを与えられたアインシュタインは、それが『方向を指し示すもの』ではなく『見えない何かに引っ張られる』ように見えた。以来、『目に見えないもの』の虜になった彼は、後に世界を揺るがす『相対性理論』を発表するのである。

 

『物質』は、静止状態のエネルギーであり、これ(ウラン原子)を分裂させたら、莫大なエネルギーが生まれる。それが証明されれば、この宇宙がビッグバンのような爆発で作られたことを証明できるが、それは同時に『核爆弾』のような甚大な被害をもたらす『悪魔の発明』を助長するヒントの発案でもあったのである。

 

『私の人生の最大の誤りは、ルーズベルトに原爆の開発を勧めたことだ。』

 

アインシュタインはそう言うが、しかし自分の国のナチスのヒトラーにそれを悪用されるくらいならという、究極の選択だったのだ。世界の形を大きく変えたアインシュタインの脳は、どうなっているのか。生まれつき人と違うのか。そこに天才のヒントはあるのか。彼の脳を研究した見つかった事実を基に、『天才の作り方』について見極めることができる。

 

 

『ベン・ハー』

この作品は1959年のもので、それが世界中の様々な人物に影響を与えた。名作中の名作と数えられ、2015年版の映画は『これを出す必要はない(前作が完璧だから)』とまで言われた。だが、私は単純に新しい技術のものを見たいので、古い映画よりは新しい映画が観たい。新しければいいというわけではないが、悪いが1950年~80年代の映画を今観ても、正直無駄が多く、ところどころがチープなクオリティで、幻滅する。

 

古い=過去の歴史、というイメージを持てて歴史を感じるメリットはあるが、別に『グラディエーター』だとか『トロイ』のように見応えのある新しい映画はあるから、そのような文句を言っているのはおそらく50代以上の人だろう。『スパルタカス』も、題材はいいが別に私は当時の映画のクオリティには満足いってない。しかしとにかく、このような論争を生み出してしまうほど、重要な作品。それが『ベン・ハー』だ。イエス・キリストが生きた時代のローマ帝国を切り取って作られた、見応えのある映画である。

 

 

『アラビアのロレンス』

1916年のサウジアラビア。第一次世界大戦の真っ最中で、イギリス陸軍将校のトマス・エドワード・ロレンスという人物が活躍していた。このアラビアのロレンスという人物は、歴史的に見ても重要人物。オスマン帝国からのアラブ独立を率いた人物ということもさることながら、彼とセットで考えられるのが『イギリスの三枚舌外交』である。この外交によって3つの方向に都合のいい話をし、戦争などの局面でイギリスが有利になるように、周りを固めてたわけだ。

 

話した相手 対象 話し合いの名前
フセイン アラブ人 フセイン=マクマホン協定
ピコ フランス、ロシア サイクス=ピコ協定
ロスチャイルド ユダヤ人 バルフォア宣言

 

しかし、結局この『つじつまの合わない話』のツケが回ってきて、後の『パレスチナ問題』に繋がってしまうのである。だが、この映画ではそのあたりの歴史を学ぶというよりは、これらの外交があったちょうどその時代、そしてそれに巻き込まれたアラビアのロレンスという人物の一生を描いた、歴史作品である。

 

 

『日本のいちばん長い日』

1967年版の映画では、昭和天皇がまだ存命だったため、特別な配慮がなされていたが、2015年版の映画ではより平等に公正に描くことを意識して作られている。『東京裁判』もかなり真実に対して公正なドキュメンタリー映画だが、識者である半藤一利が監修しているこの映画も、嘘偽りなく真実を描いた見る価値のある歴史映画である。天皇は、敗戦を認めた。だが、本当に全軍人はそれをすんなりと認めたのか。『宮城事件(8.15事件)』は日本軍人の最後の抵抗であり、日本人がそれまで培ってきた尊王攘夷の愛国心による、穿った表面化だった。

 


参考
『日本のいちばん長い日』youtube

 

『父親たちの星条旗』

第二次世界大戦における硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」のアメリカ側視点の作品。アメリカは、この硫黄島での戦いが、第二次世界大戦において最大の人的被害を被る戦いだった。すり鉢山を攻略することは、日露戦争で言う『二百三高地(旅順)』の攻略に等しく、ここを制覇することはこの島を制覇することに繋がる。しかし、日本人はそこを死守する。アメリカ軍も命を賭して前進する。実は、アメリカには全くお金がなかった。1929年に起きた世界恐慌以来、アメリカは金策に躍起にならなければならなかった。

 

アメリカ側のそうした事情を踏まえて真実を直視したとき、硫黄島に立てられたアメリカの星条旗は決して『英雄』の手によって建てられたのではなかった。戦争に勝った戦勝国に課せられた、内省すべきテーマがここにある。

 


参考
『父親たちの星条旗』youtube

 

硫黄島からの手紙

第二次世界大戦における硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」の日本側視点の作品。多くの人はこの作品だけで一つの作品だと思っているが、実は『父親たちの星条旗』という、アメリカ側の視点で描いた硫黄島の戦いの映画があるのだ。山本五十六が死に、戦艦大和が沈没し、連合艦隊は壊滅した。1945年2月19日。もう終戦までわずか半年しかない。しかし、この硫黄島を落としたら敵に橋頭保を与えることになる。ここにアメリカの戦闘機が着陸すれば、敵の戦況がさらに優位になる。本土の為に、命がけで硫黄島を死守する日本人たちの行方はいかに。

 

 

『火垂るの墓』

私はスタジオジブリの映画が好きで、宮崎駿作品はすべて見ている。だが、家のすぐ近くにある三鷹にあるジブリ美術館にはまだ行っておらず、この作品やいくつかのジブリ作品は見ていないままである。そこにある感情は、『もったいない』というものだ。宮崎駿の作品はすべて見たいが、ジブリ作品は未開拓の状態でいたい。そういう気持ちがこのような結果に繋がっているのである。だが、今回ようやくこの作品を見ることになった。

 

かつて、大島渚やダウンタウン浜田雅功と殴り合って喧嘩をした野坂昭如の壮絶な戦争体験を基に作られた、実話ベースの衝撃の作品。これを観ると、宗教に悩まされ、宗教が嫌いになった私ですら、宗教がこの世にあってほしいと願ってしまうのである。また、暴れん坊で品性がない印象があった野坂に対する見方も大きく変わることになる。彼がどういう思いで戦後の人生を生きてきたかを考えると、あんな事件もこんな出来事も、彼にとっての戦争(戦い)だったのだ。

 

 

『この世界の片隅に』

第二次世界大戦の広島と言えば、真っ先に思い浮かぶのが『原爆』である。これは、まだ原爆ドームが『広島県産業奨励館』と言われていた時代の、嵐の前の静かな広島から始まる、平和な人生を望んだ天然少女の物語である。では、天然少女というのは、何をもってしてそう言われるのか。計算しているのか。それとも、能天気で何も考えておらず、感情がないのか。いや違う。少なくとも彼女の場合は、感情がないわけではない。しかし、その奥底にある熱すぎるエネルギーを表面化して生きることは、心外なのである。

 

そんなことをしたら壊れてしまう。崩れてしまう。自分の好きな、平和でのどかなこの世界を、汚してしまう。だから絵を描く。密かに想う。しかし、ある時その世界は音を立てて崩れた。光があたり一面を照らし、握っていた小さな手の感覚がなくなった。

 


参考
『この世界の片隅に』youtube

 

『連合艦隊』

『連合艦隊』自体は日清戦争あたりから浮上していた名前で、1904年からの日露戦争でも東郷平八郎らの戦艦はすでに連合艦隊と呼ばれていた。やはり、日本の戦艦で有名なのは、『世界三大名鑑』として挙げられる、東郷平八郎の『三笠』、そして『大和』である。日米開戦前年の日独伊三国軍事同盟の締結から始まり、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、ソロモン諸島攻防戦、山本五十六の戦死、レイテ沖海戦などを経て、沖縄水上特攻作戦に向かった戦艦大和が坊ノ岬沖海空戦で壮絶な最期を遂げるところを描いた、歴史映画である。

 

『八甲田山』

1900年、当時、青森にある八甲田山で山岳修行をすることは、日露戦争の為に欠かせない要因だと考えられた。かつて、世界を獲ったと称されるナポレオンは、イギリスのウェリントン、ネルソンの2人に加え、もう一人勝てなかった相手がいるが、それがロシアのアレクサンドル1世である。彼は、ナポレオンのモスクワ遠征の時、地の利を生かそうとしてわざと少しずつ敗北しながら、フランス軍をロシア内部におびき寄せる。そして冬を待ち、環境に適応できず弱体化したフランス軍を倒したのだ。実にナポレオン軍は、戦死と凍傷で61万もいた兵士が5千人に激減してしまったという。

 

ロシアは寒さに強い。したがって、日本もそのロシアと戦うためには、当時で考えられる日本最大の極寒の地である八甲田山を体験する必要があったのだ。小便をすると凍り付き、歩くたびに人の足音が少なくなるその過酷な登山で、一体どれほどの人間が生き残ったのか。そして、その生き残った彼らは、日露戦争でどれだけの活躍をしたのか。210名中199名が遭難した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)を基に作られた、高倉健の名作の一つである。

 

 

『二百三高地』

二百三高地。それは中国にある山のようになっている高地、旅順のことである。ロシアが作った旅順要塞を攻略することが、日露戦争の重要なカギになった。日本の兵力は20万人、資金は2億円。方やロシアは、300万人であり、資金は20億円だ。その圧倒的不利な状況の中、日本は大国ロシアに勝たなければならなかった。伊藤博文は、

『成功するより、命を懸けることが大事だ。』

 

と主張し、旅順攻略に関わったすべての軍人も、彼同様に命を捧げてそのミッションに挑んだ。攻略の指揮を執った陸軍の乃木希典(のぎまれすけ)を筆頭とし、約1年かけて旅順攻略を遂行。それが、その後の東郷平八郎のバルチック艦隊の撃破の為に欠かせない条件だった。

 

ちなみに、ここに登場する夏目雅子はとにかく美人で、現代でも通用する人だ。若くして亡くなったということもあるだろうが、突出した美しさを持っている。

 

 

『天地明察』

時は1600年代の日本。まだコペルニクスの地動説が知られていなかった時代の日本に、天体の運行を観察し日本独自の正しい暦を作り出そうと試みた一人の男がいた。実際には、1487年にバーソロミュー・ディアスが初めて喜望峰を航海し、1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見。『地球平面説』が覆される。そして1530年にコペルニクスが『地動説』を唱えるわけだが、それからすでに100年の時間が過ぎているというのに、まだ孤島である日本にはそれが伝わっていなかったのである。

 

 

『最後の忠臣蔵』

織田信長らが暴れ回った戦国時代から200年、宮本武蔵という剣豪が剣をふるった時代から100年、1700年頃の日本で、世界を震撼させる興味深い大事件が起きた。『赤穂浪士討ち入り事件』である。赤穂藩の旧臣、つまり『主君を失った浪人』の47名の武士が、主君の敵討ちをしたのだ。この手の話は世界規模の視点から見たとき、人の心を強く打つ。復讐は真理ではないが、命を捨てて忠義を尽くす男たちの話は、世界規格として通用し、人間の矜持をくすぐるのである。

 

だが、この話はその討ち入りをした浪人たちとは違い、『途中で逃げた』という汚名を着せられた人物が主人公。討ち入りに参加しなかった者は実は更に大勢いたのだが、主要メンバーであった彼がいなくなることは遺憾である。では、彼はなぜ逃げたのか。そこにどんな理由があったのか。これは、女性である母に見せたら『わかりづらい』と言っていたが、とんでもない。真に忠誠を誓った人間の人生を想像する力が必要である。

 


参考
『最後の忠臣蔵』youtube

 

『陰陽師』

900年代の日本には、『儒教、仏教、神道、アニミズム、御霊信仰』といった形で、様々な精神体系が入り乱れていた。ヨーロッパの国々はローマ帝国がキリスト教を容認し、その後それを国教としたこと、かつギリシャ神話とユダヤ神話の融合をするとき、目に見える存在であるキリストの登場によって多くの人に受け入れられ、キリスト教が圧倒的なシェアを得るようになったが、島国である日本では、隣国の中国から伝わった儒教や仏教、そして元から存在した神道、アニミズムという精神体系に加え、『御霊信仰』という独特な文化があった。その代表格と言えば、陰陽師であり、その代表者が安倍晴明である。

 

映画を観ればこれが中国映画によくある過剰演出の奇天烈な話だとすぐにわかるが、当時は本当に祟りや呪いが信じられていたのだ。長岡京に都を作ろうとしたとき、『親王の祟り』にあって平安京に移した。つまり、当時の日本人が祟りを本当に信じたからこそ、都は平安京になったのだ。

 

 

アギーレ/神の怒り

2005年にタイム誌が選ぶ歴代映画ベスト100に選出されたが、この映画にハリウッド映画のようなエンターテインメント性を期待しない方がいい。そうではなく、歴史的な一コマとして貴重なのである。ピサロがインカ帝国を、コルテスがアステカ王国を滅ぼし、スペインとポルトガルは南アメリカ大陸を支配した。コンキスタドール(征服者)である。ヨーロッパを中心に考えれば『コロンブスがアメリカ大陸を発見した』わけだが、発見も何も、インド人と間違われて名前をつけられたインディアン(先住民)たちからすれば、そこに最初から住んでいたのだ。したがって、ある場面を切り取ればインディアンたちは『君たちこそが本当のアメリカ人だ』と、アメリカ国民から言われることもあるのである。

 

インディアンたちがコンキスタドールたちによって滅ぼされていく中で、人々はアマゾンの奥地に『黄金郷・エルドラド』の伝説を耳にすることになった。ピサロは、ペルーの高地で消息を絶っていて、益々その神秘性に野心家たちは夢を抱いた。実は、このエルドラドを夢見て生涯を冒険に費やした人物がいる。パーシー・ハリソン・フォーセット、イギリスの軍人である彼は、あの『インディ・ジョーンズ』のモデルになった男だ。それはまた違う話である。

 

 

『王妃マルゴ』

三銃士』で有名なアレクサンドル・デュマ・ペールの小説『王妃マルゴ』を映画化したもの。といっても、ルターの宗教改革の後のヨーロッパ、フランスで、カトリックとプロテスタントらが衝突し、凄惨なサン・バルテルミの虐殺が行われる話が軸になることを考えると、あながち単なるフィクションというよりは、歴史映画である。同時代、この1600年頃のイギリスには、エリザベス女王がいたが、フランスでは王妃マルゴがいた。しかし、『処女王』と言われたエリザベスと違って、彼女は自由奔放だった。それだからこそ、毛色が全く違う物語になっていて、多様性があって面白い。

 

 

『スパルタカス』

スタンリー・キューブリックの名作の一つとして数えられるが、監督兼主演のカーク・ダグラスが大物すぎて、実際には思い通りには描けず、自分の作品とは認めていないという。しかし、その意に反して高い評価を受けている映画で、彼の経歴の傷には決してならないということである。確かに、スパルタカスの話は映画化するべきである。彼は、紀元前400年代にあったペルシャとギリシャの戦いで、たった300人で立ち向かったスパルタの戦士たち、そして、世界で三番目の帝国を作り上げたアレクサンドロス、ローマ帝国と激しい戦いをした世界史上最高の名将と言われたハンニバルに続き、この世界の大きな戦いの歴史を作った高名な戦士だからである。

 

元は奴隷だった彼の兵は、最大で12万人まで達したというのだから尋常ではない。普通、戦で5万人が動けばそれはとてつもなく巨大な規模となる。女、子供、老人もいたかもしれないが、そのエネルギーの集め方、求心力の凄まじさは、極めて異例であり、彼の生き方そのものを忠実に描くだけでそれが映画になるのだからすごい。時代は過ぎた。またいつか最新の映画技術で彼の話は映画化するべきである。

 

 

『イングロリアス・バスターズ』

ユダヤ人のことをよく知る専門家からすると、『シンドラーのリスト』は首をかしげるらしい。彼はもっとユダヤ人のことを商売道具としてしか考えておらず、神格化されているというのだ。だが、私が観る限りでは映画で彼はそのように描かれていたので、あれで十分だったと言える。人の心に深く突き刺さる演出をしなければ、ホロコーストの話を受け入れる人の数は減ってしまうのである。だが、そんな専門家からしても、この『イングロリアス・バスターズ』は『気に入った』という。こっちは完全な作り話なのに、不思議な話である。

 


参考
『イングロリアス・バスターズ』youtube

 

『アンタッチャブル』

アメリカでは、1920~1930年代で禁酒法として、酒を飲むことも販売することも禁止された時期があった。だが、麻薬と一緒でそういう人間の快楽を煽る商品というのは、ニーズがあるものである。それも強いニーズだ。だからそれらには依存性のリスクがあり、人間社会でも常に危険視されているのである。実在したギャング、アル・カポネは、その人間の潜在的ニーズを熟知し、そこに働きかけて暗躍していた。多くの人々は彼に恐怖し、警察内部にすらその影響は回っていた。では、彼らは野放しのままでいいのか。そこで立ち上がったのが、『アンタッチャブル(誰も手出しできない者たち)』と言われた、信念の男たちである。

 

 

『敦煌』

1900年、偶然に莫高窟中の第16窟の壁の中に隠されていた耳窟から大量の文献を発見した。中国に、長らく忘れ去られていた幻の都市『敦煌(とんこう)』があった決定的な証拠だ。だが、この都市は一体いつ存在したのか。なぜなくなってしまったのか。そして、なぜ壁の中に大量の文献が隠されていたのか。そこにはきっと、こういう物語があったのだ。

 

 

TOMORROW 明日

1945年8月。長崎のとある家庭では、平和な日常の延長線上で戦争時代に何となく突入したことによる、平和を引きずった生活が続いていた。つまり、戦争の準備が完全にできていないのだ。だからなるべく通常通りに生活する。それは、自分たちの生活への終着であり、しかしそういう深層心理までは理解しないまま、何となく日常が過ぎてしまうのである。できるなら、そのままの形で戦争が終わればいい。今はただ忍耐の時期で、ある程度我慢したらきっとまた明日が来る。誰もが心の中でそういう淡い期待を抱いた。だが…。

 

 

日本海大海戦

1904年、日本は南下政策で不凍港を得ようとするロシアと衝突していた。日露戦争である。ロシア以外の列強は義和団事件で引き揚げたというのに、ロシアだけは残ったのだ。もしロシアに満州を占領されたら、そこを橋頭保にされて日本にとっての脅威となりうる。帝国主義が当たり前の時代のど真ん中で、それは何としても阻止する必要があった。陸軍には乃木希典(のぎまれすけ)、そして海軍には東郷平八郎がいた。乃木が旅順を落としてくれれば、東郷も動ける。世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊を倒すためには、旅順攻略が不可欠だった。

 

 

『杉原千畝 スギハラチウネ』

1930年代末、第二次世界大戦がはじまるまさにその直前に、満州ではロシアと関東軍の小競り合いが行われていた。杉原千畝はスパイではなかったが、限りなくそれに近い立ち位置で荒れに荒れた戦争の時代を駆け巡った。関東軍の傲慢なやり方に不満を持った杉原はリトアニアに飛び、戦争の影響で独ソに分割されたポーランドからの難民・スパイと出会う。当時、彼のように国を追われた人は大勢いて、ユダヤ人たちはその代表的存在だった。

 

彼が『日本のシンドラー』と言われる理由は『シンドラーのリスト』を見れば分かることだ。人数だけで言うなら、彼はシンドラーよりも大勢のユダヤ人を救った。だが、それはシンドラー同様、命がけの行動であり、それに賛同した人もまた、命がけだった。

 


参考
『杉原千畝 スギハラチウネ』youtube

 

『東京裁判』

この映画はドキュメントであり、かなり正確に真実を表していると言える。第二次世界大戦、そしてそれに至った経緯を満州事変やそのあたりからひも解き、日本がやった世界的な罪、そして原爆で人がどうなってしまったのかということを、テレビでは決して見られない方法で描き出している。一言、真実はとても残酷である。天皇に対する過剰に反応する人がまだ大勢いる中、その天皇に対しても公正にジャッジするあたり、これは貴重な戦争の資料と言えるだろう。東条英機らが一体どういう最期を迎えたのかということも、明確に伝えている。

 

だが天皇は、

『自分はどうなってもいいから国民を助けてほしい』

 

と言い、それに感動したマッカーサーによって、天皇に対する敬意でこの制度は残した。この東京裁判には連合国から一名ずつの裁判官が参加した、極めて異例の裁判だった。

 

 

『西部開拓史』

1839~1889年のアメリカを描いた映画で、歴史的にも勉強になる。インディアン、ゴールドラッシュ、南北戦争、西武の人たちの心境、鉄道、保安官、金の強盗など、当時アメリカにあったさまざまな歴史や問題の中で生きる家族の一生を描いた、叙事詩映画(壮大なスケールで人間ドラマを描くことに重きをおく映画のジャンル)である。もしこれが60年前の映画じゃなければ、もっと見応えがあっただろう。だが、当時からすればスターぞろいの豪華キャストだったようだ。

 

白人は、『文明程度の劣った植民地に近代文明を伝えることが先進諸国の責務である』として、『明白な天命(マニフェスト・デスティニー)』だと主張し、西部開拓を行い、先住民の人生を脅かした。カリフォルニア、ロスアンゼルス、オレゴン、テキサス等で生きる人々は、その土地の歴史を考えるたびに、複雑な心境になる。何しろ、先住民を追い払い、時には殺害してその土地を奪い、だが、彼ら開拓者がいなければアメリカの豊かな土地はあり得ないのだ。

 

 

『ワーテルロー』

1815年、ナポレオンはワーテルローの戦いを行う。だが、この戦いは皇帝ナポレオンにとって斜陽を決定づける最後の戦いだった。世界を獲ったとヨーロッパ中から認められ、畏怖と称賛の念を抱かれたナポレオンが敵わなかった三人の男がいる。そのうちの一人が、この戦いでイギリス軍の指揮を執ったウェリントンである。ナポレオンは革命家であり、馬にまたがった勇猛な戦士のような印象を持つが、実際にはチビ、デブ、ハゲの三拍子が揃ったハンサムとは言えない容姿であり、この映画ではそんなナポレオンの実態を正確に表している。そのほかの要素はともかく、デブに関しては節制すればいいだけだ。それでも自分を改めず、むしろ肖像画を誤魔化して見栄を張るあたりに、彼の弱さが垣間見えるのである。

 

 

『マイケル・コリンズ』

イギリスというのは日本人が使う言葉で、本来はUK(ユナイテッド・キングダム)。イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つのエリアを主用都市とし、その他にも世界各地にその領地がある。アイルランドというのは日本で言うと北海道や沖縄、あるいは朝鮮半島のような位置にある島国であり、イギリスの中心イングランドから近いということで、常にイギリスからの圧迫を強いられる運命にあった。マイケル・コリンズは、そのイギリスからアイルランドを独立させるために奮闘した革命家だ。では、一体なぜ『南アイルランド』だけが独立したのか。世界各地で独立と自由の為に戦った革命家がいるのだ。

 


参考
『マイケル・コリンズ』youtube

 

『グローリー』

1862年のアメリカは、黒人に対する考え方の違いで、南北に分裂する危機を迎えていた。南北戦争である。南はその温暖な地域の特徴を生かして、黒人を奴隷として扱いたいが、北部の人々は違う考え方で、奴隷ではなく一人間としての労働力として考えるべきだと主張。南部は『アメリカ連合国』を立ち上げ、アメリカは真っ二つに割れようとしていたのである。北部からリンカーンが大統領に選ばれ、奴隷解放宣言がなされるが、黒人たちに対する扱いはそう瞬間的に変わるものではない。

 

アメリカ初の黒人部隊が、白人の指揮官の下で士気を高め、南部と衝突する。最後まで頑なに白人を恨んでいた黒人は、どうなったか。白人と黒人の和解はあるのか。その時、指揮官が先頭切って相手陣地に突っ込んだ。ーその時だ。

 

 

『アラトリステ』

1620年代後半のマドリードで最強の剣客だったと言われるディエゴ・アラトリステ・イ・テノーリオ。通称アラトリステは、世界最強のスペイン帝国を支えるスペイン歩兵連隊の中心人物だった。同時代、日本には宮本武蔵という剣豪がいたが、アラトリステは武蔵よりは人間らしく、強いと言っても人間的な弱点を備えた、一人間だった。スペイン帝国はこの時すでに斜陽を迎え、衰退過程にあった。孤高の剣士アラトリステは、この時代をどう生き、どう死んでいったのだろうか。

 

 

『クロムウェル』

1642年、ピューリタン革命を起こしたクロムウェルは、決して最初から国王を殺すつもりはなかった。むしろ愛国心が強く、イギリスという国には国王の存在が欠かせないことを主張していた。だが、王という力と対峙していくうちに、より強力で追随を許さない圧倒的な力が必要だと悟るようになった。野心家ではないのに独裁者として知られるようになったクロムウェルの真実の姿とは。

 


参考
『クロムウェル』youtube

 

『JFK』

1963年、キューバ危機を乗り越えたばかりのジョン・F・ケネディは何者かによって暗殺された。話によると、三発の銃弾が聞こえ、オズワルドという人物が逮捕されたというのである。だが、どうもこの話はおかしい。例えば、大統領を暗殺するという前代未聞の大事件を起こそうという人物が、狙撃場所をこんな『不利なポイント』にしたこと。目の前には樹が生い茂っていて、車の速度も、曲がり角でもっと落ちるポイントがあった。そして、実際には『7発』の銃弾が撃たれていたということ。では、一体この事件の犯人はなぜなのか。そして、なぜこの事件がいまだに『真相が闇の中』という片づけ方なのか。

 


参考
『JFK』youtube

 

13デイズ

1962年、アメリカはキューバ危機を迎えていた。キューバ革命でカストロとゲバラがソ連側に寝返り、アメリカとしては中南米に位置するキューバへの対処に頭を悩ませていたところだった。そんな時、ソ連がそのキューバにミサイル基地を設置したのだ。これにより、アメリカ大陸全域がソ連の射程範囲内に収まり、いつでもソ連が先制攻撃という有利な選択権を得ることができる。それは、外交でも利用されるだろうし、核爆弾を所有したソ連が相手となると、ただ事ではない。果たして、アメリカとソ連はこの絶体絶命のピンチをどう乗り切るのか。そしてそれは同時に、人類にとっての絶体絶命の窮地でもあった。

 


参考
『13デイズ』youtube

 

『遠い夜明け』

南アフリカで人種問題と戦った人間と言えば、真っ先に思い浮かぶのがネルソン・マンデラである。だが、彼は1964年から実に27年間もの間投獄されてしまったのだ。では、その間に社会では誰が黒人解放の指揮を執ればいいか。そこで活躍したのが、スティーブ・ビコである。彼の名を知らないのも無理はない。彼は30歳でこの世を去った。それも、人種差別という理不尽な問題が原因で、命を落としたのだ。

 

彼の役を演じたデンゼル・ワシントンはその他にも『マルコムX』、『グローリー』等で信念のある知的な黒人男性を演じたが、黒人コメディアンのエディ・マーフィがハリウッドで大受けしていた時代に、デンゼルはコメディーだけが黒人俳優の仕事ではないと主張するため、敢えて人種間の緊張を引きずる作品に出ていたという。

 


参考
『遠い夜明け』youtube

 

ミシシッピー・バーニング

1964年に米ミシシッピ州フィラデルフィアで公民権運動家3人が殺害された実際の事件。犯人はKKK。つまり、白人至上主義の過激集団だ。黒人というだけで人間の権利を持っていないと考える彼らは、教会の前で祈ろうが子供だろうがお構いなしに襲撃する。そして、必死の思いで家族を逃がした父親を首で吊り、そのまま殺害しようとした。あまりにも衝撃的なこの事件を通し、人種問題の根深さを思い知ることになる。とりわけ、南部であるミシシッピでは黒人=奴隷という意識が強く根付いていたのだ。

 


参考
『ミシシッピー・バーニング』youtube

 

『アミスタッド』

アミスタッド。それは、奴隷船の名前である。多くの黒人のルーツはアフリカだ。アフリカやエジプトのような太陽がより強く照りつけるエリアで生きるためには、『天然の日傘』が必要になる。メラニン色素である。白人や黄色人種が太陽に浴びると『シミ』ができるが、それはメラニン色素。つまり、そのおかげで紫外線の毒素を緩和するのである。だからそういうエリアで生き抜くための知恵として、この世界に黒人は存在している。ただ、それだけのことなのである。

 

ただ、それだけ。たったそれだけのことなのに、どうして彼らは黒人を奴隷として扱い、尊厳を奪うようなことをしたのか。これは、あのスピルバーグが『シンドラーのリスト』に次ぐ歴史作品として世に打ち出した、衝撃的な事実である。

 


参考
『アミスタッド』youtube

 

アイム・ノット・ゼア

2016年にノーベル文学賞を受賞し、2019年現在ではまだ存命のボブ・ディランの半生を独特な演出で描いた映画。彼が歌手なのに文学賞を得ていることからもわかるように、彼の中には様々な要素が存在していた。つまり、彼をただの歌手と断定するのは浅薄であると判断したのである。彼の、特に歌詞のファンは世界に大勢いるので、彼の音楽や歌詞を知る彼らにはたまらない映画だろう。

 


参考
『アイム・ノット・ゼア』youtube

 

モーターサイクル・ダイアリーズ

若きチェ・ゲバラが南米大陸を旅した旅行記を基に作成された映画。インカ、アステカ、マチュピチュ、伝統的な歴史を自分の目で見て冒険しながら、同時にアメリカ大陸が抱えている闇に触れていく。元来、曲がったことが大嫌いで馬鹿正直なゲバラは、医者になる勉強をしていた。『最善の状態に戻す』ことが彼に取っての生きがいだったのかもしれない。無意味な国籍で国が分かれ、混血がどうとかいう理由で、宗主国生まれの白人(ペニンスラール)だか、植民地生まれの白人(クリオーリョ)だか知らないが、それはあるべき姿ではないと考えるようになったのだ。

 

革命家チェ・ゲバラの思想はこうして作られた。どのようにして偉人が生まれるか。「これは偉業の物語ではない 同じ大志と夢を持った2つの人生が しばし併走した物語である」と映画は言うが、私にとっては、革命のまさにその最中を切り取るよりも、こうした根幹部分にスポットライトを当てる方が貴重であると考える。

 

『ホテル・ルワンダ』

1994年、アフリカのルワンダでフツ族の過激派がツチ族を大量に虐殺する大事件が起きた。ホテルの副支配人だった実在の人物、ポール・ルセサバギナは、その民族同士の争いのど真ん中の立場に立たされ、究極の判断を迫られ続けることになる。自分が死ぬか、家族が死ぬか、多くの仲間を見殺しにするか。ホテルマンとして、人間として、その究極の状況で取るべき行動とは一体何だろうか。これは、エンドロールに流れる最後の歌の歌詞までがセットの作品だ。私はこの最後の歌の歌詞を見たとき、この映画が当サイト映画ジャンル別ランキングの『宗教編』のトップ3に入れるべき作品だと確信した。

 

 

『スターリングラード』

スターリングラード(現ヴォルゴグラード)は、ドイツとソ連の境界線のようなものだ。厳密には違うが、そこを境界線として、戦争があるとそこで争うのである。第二次世界大戦で活躍したソ連の狙撃兵、ヴァシリ・ザイツェフは、実在する人物だ。だが、ドイツにも名狙撃手がいた。数少ない名スナイパー同士の戦いという観点で見る、戦争映画である。だが、注目ポイントはそこだけではない。キーワードは『スパイ』だ。この映画の階層を深くしているのは、あのスパイの子供だった。

 


参考
『スターリングラード』youtube

 

『キリング・フィールド』

1960年のカンボジア。1955年11月から1975年4月30日まで行われたベトナム戦争を考えてもわかるように、この時代の東南アジアは、荒れてしまっていた。『クメール・ルージュ』と言われる過激な武装集団が存在していた。彼らの中には10代の若者も大勢いて、その荒れた地を生きていくために、彼らなりの自己防衛を主張し、カンボジアを力づくで統制しようとしていた。これは、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグの体験に基づく実話を映画化したものである。そこら中に死体の山が転がっている光景を見たとき、人は何を想うだろうか。そこにある遺骸は、我々に何を訴えかけるだろうか。

 


参考
『キリングフィールド』youtube

 

『カンダハール』

アフガニスタンというエリアは、地理的に荒れてしまう特徴がある。例えば、人々が『様々な理由』で作った道路は、人が見ると自然であり、交通や物流に便利だが、真理の面から見たら不自然だ。それを作ったとき、埋め立てられた時に死んだ昆虫の命はどうなる。植物や動物はどうだ。それが真理から見た真実の姿である。

 

アフガニスタンの都市カンダハールは、その『人間が踏みつけた足跡』であることもさることながら、元来人が生きづらい地域だ。水があり、豊富な資源がある場所がある一方、この地のようにあたり一面が砂、砂、砂であるところもある。イスラム教は『砂漠の宗教』と言われるが、それを言うならアブラハムの宗教すべてがそうだ。モーセはエジプト、キリストも中東出身である。だからこそ救いが必要であり、上に目を向け、現実から目を逸らす知恵を身につけ、人々はその過酷な環境で生きる意義を持ち続けた。

 

カンダハールを含めた中東の荒れた現状を見ていると、彼らの根幹にある『生きる苦労』が垣間見え、複雑な気持ちになる。我々はたまたま豊かな土地に生まれ、他人事のように彼らを見ているが、直視する現実がここにある。

 

KANO 1931海の向こうの甲子園

1895年~1945年まで、台湾は日本の統治下にあった。正確には大日本帝国だ。日本が帝国主義を貫き、その牙城を固くしてゆるぎないものにして、世界の列強に対抗するために最善の策だと信じてやったことだった。そしてそういう傲慢の爪痕は、台湾だけじゃなく、満州など、アジアの至る所に残されてしまった。その、時代の流れに大きく影響を受けた当時の台湾で過ごした日本人を含めたいくつかの人種の人々は、一体どう過ごしただろうか。これは、野球というスポーツを通し、人種や世界情勢を超えた友情が芽生えた、儚く、尊い物語である。そして彼らの中の一人が出した記録は、長嶋茂雄が登場するまで破られることはなかった。

 


参考
『KANO 1931海の向こうの甲子園』youtube

 

『ガンジー』

アインシュタインは言った。

将来の人たちはとても信じないだろう。このような人間が実在したということを。

 

革命家は大勢いる。どれも、支配からの脱却や、基本的人権の尊重、生来平等の主張等、正当性が認められるものばかりだ。だが、アインシュタインの言うように、ガンジーのような方法でその意志を主張し、多くの人を動かし、世界を変えた人物はいない。時代が時代なら、彼はブッダやキリストのような扱われ方をされ、崇拝の対象となるだろう。これは30万人を超えるエキストラが参加した、人類史上に残る壮大な歴史映画であり、人はこの映画を観ることを避けて通れない。

 


参考
『ガンジー』youtube

 

ジャンヌ・ダルク

この映画の感想に、きれいごとではない戦争の惨劇について書かれているものがあったり、あるいは強姦、処女検査などの描写をカットしなければならないなどの問題をピックアップしているものがあるが、この映画の肝は残念ながらそんなところではない。これは、『宗教』の話である。私は兼ねてから彼女が一体どういう人物なのかが気になっていた。もちろんこれは映画だが、『神のお告げ』を聞いたフランスの英雄ジャンヌ・ダルクが本当に見たものは、一体何だったと思うだろうか。

 


参考
『ジャンヌ・ダルク』youtube

 

華氏911

アメリカ合衆国大統領史上初、パレードの際に卵を投げられた男がいる。ジョージ・W・ブッシュである。彼は、ライバルのアル・ゴアを父親のコネを駆使しながら押しのけ、半ば力づくでその地位を勝ち取った。だが、それは悲劇の始まりだった。彼が大統領に就任したのが2001年1月20日 。そして、その8か月後に同時多発テロ事件は発生した。その時、彼はどこにいたか。彼は近くの小学校にいて、その緊急速報を側近から何度も耳打ちされた。

 

イラクに大量破壊兵器があると断定し、大量殺人を行う。無実の人々がアメリカの暴走によって殺されていく。この映画はドキュメントタッチで描かれるが、なんとその内容が映画よりも濃厚で、目を覆いたくなるものである。真実を直視する勇気がある全ての大人は、これに目を通すべきである。それは、核爆弾や強制収容所の惨劇を直視するのと同じことだ。

 

『パトリオット』

1780年、アメリカ合衆国が作られようとするまさにその時、しかし男は戦争には無関心だった。男は過去を背負っていたのだ。だが、ある時戦争に巻き込まれ、手負いの敵の兵士を介護すると、それを理由に理不尽な目に遭う。その時、男の中で堰止めしていた煮えたぎる野生の本能が爆発した。

 


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『パトリオット』youtube

 

キングダム・オブ・ヘブン

十字軍を追い詰めたイスラムの英雄サラディンと、ライ病にも関わらずそのサラディンを追い詰めたことがある十字軍の英雄ボードゥアン4世。本物の戦士同士、彼らはその実力をたたえ合っていたが、ボードゥアンが死に、十字軍のパワーバランスが崩れると、その均衡も崩れた。この時、時はすでに1200年。古代イスラエルが滅亡してから2000年もの時間が過ぎていたが、この時も、そして現在進行形で、パレスチナ問題としてエルサレムの奪い合いは続いている。

 

十字軍の一人が、サラディンに『あなたにとってエルサレムとは何か』と尋ねると、サラディンは言った。

無だ。…だが、すべてだ。

 


参考
『キングダム・オブ・ヘブン』youtube

 

『ザ・メッセージ』

時は610年。570年に生まれたムハンマドは、40歳という年齢になっていた。しかし、イスラム教最大の聖地であるメッカ(サウジアラビア)にはその時、健康の神『アルウザ』、繁栄の神『マナト』、部族の守護神『アラト』、隊商の運命を握る神『ハラト』など360の神々がいて、供え物を神官たちが着服している不誠実な現状が広がっていた。慣習は腐敗し、神々は崇拝の対象で『財源』だというのである。

 

ムハンマドは、『ノア→モーセ→キリスト→』の次にこの世に生まれた、最後の預言者であり、指導者だという考え方は、イスラム教の考え方である。そして、これはそのイスラム教が誕生した時の話だ。キリスト教の有名な映画に『パッション』があるなら、イスラム教にはこの映画がある。

 

奴隷を救い、黒人を差別せず、女性子供、老人、働く者には一切手を出さず、あくまでも正当防衛になるのであれば、反撃を認めたムハンマド。聖戦(ジ・ハード)の考え方を悪用する人間は過激だが、では私の目の前で最愛の人が殺されそうになっているとき、『赦し』でもってその場面を解決しようとするなら、私は人間失格である。真理はいつも正しい。だが、人間は間違えるということだ。彼自身は決して、好戦的な人間ではなかった。

 


参考
『ザ・メッセージ』youtube

 

不滅の恋/ベートーヴェン

ヘンデル、バッハ、ハイドンと並び、モーツァルトの後継者と言われたベートーヴェン。とにかく、当時のオーストリアには名作曲家と言われる錚々たる人物たちが息をしていた。ナポレオンを解放者だと信じていたベートーヴェンは、後に彼が単なる『魔王』だったということを知り、ピカソのようにアーティストらしく、芸術作品で戦争に参加する。しかし、彼は耳が聴こえなかったのだ。モーツァルトも病を負ったし、ゴッホ、ムンク、ルノワール等の多くの画家も問題を抱えていたが、やはり、芸術というのはそういう常識的な健常から逸脱することが軸であり、不安定な繊細さがあるからこそ、洗練されるのだろうか。

 


参考
『不滅の恋/ベートーヴェン』youtube

 

アマデウス

天才の一生を客観視するのは、爽快である。モーツァルトは、単純な曲なら一度聞いただけですぐにその音楽を演奏することができ、更にそこに追加要素を付け足し、より豪華なものに演出する。しかし、そんな人間と同時代に生きた作曲を生業として生きている人からすれば、彼は天才というより『天災』。しかし、ディズニー映画に出てきそうな彼の愉快な性格は、時が時なら彼を更なる高みに上らせた天性の素質だったと言えるだろう。

 


参考
『アマデウス』youtube

 

『ガガーリン 世界を変えた108分』

言わずと知れた、世界初の有人宇宙飛行に成功した人物である。この後、アメリカのアームストロングが世界初『月に到達した人物』として歴史に名を残したが、宇宙空間に出て、生きて帰ってこられるかが分からない中、命がけで人類の進歩に貢献した人物と言っていいだろう。だが、それは本当に人類だったか。『ソ連』じゃなかったか。実はこの物語は『宗教』の話でもある。

 

宇宙から帰還したガガーリンの歓迎パーティにロシア正教のモスクワ総主教アレクシー1世が列席しており、ガガーリンに尋ねた。

 

総主教

宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか。
見えませんでした。

ガガーリン

総主教

わが息子よ、神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように。

 

しばらくしてフルシチョフがガガーリンに同じことを尋ねた。総主教との約束を思い出したガガーリンはさきほどとは違うことを答えた。

 

見えました。

ガガーリン

総主教

同志よ、神の姿が見えたことは誰にもいわないように。

 

レーニン主義は宗教を否定しているからだ。『神がいるならドイツ人はいない』など、需要なキーワードがいくつも出てくるが、地球平面説、天動説が常識だった時代から、人類はまたこうして一歩真理に近づいていった。だが、間違えてはならない。『宇宙に神がいる』と考えた総主教も、真理から逸れたドイツ人の一時的な暴走も、『神=真理=愛』の図式への理解ですべて解決するといことを。

 

『世界平和の実現に必要なのは『真理=愛=神』の図式への理解だ。』

 


参考
『ガガーリン 世界を変えた108分』youtube

 

バトル・オブ・シリコンバレー

スティーブ・ジョブズの映画はいくつかあるが、ビル・ゲイツが登場する映画がない。それらの作品も、ビル・ゲイツと電話越しに喧嘩するシーンなどはあるが、登場はしないのである。しかし、この映画は同時期に活躍したはずの彼らの人生を観ることができる。ここまで密接にそれぞれの人生に食い込んでいたなら、逆にその他の映画でゲイツが登場しなかったのが不自然である。実は、ビル・ゲイツの方がジョブズに後れを取っていたのだ。カリスマだったのはジョブズの方だった。

 


参考
『バトル・オブ・シリコンバレー』youtube

 

『奇跡のひと マリーとマルグリット』

『奇跡の人』というタイトルで、全く同じ境遇で人生を生きたあのヘレン・ケラーの映画がある。ヘレン・ケラーの場合はアメリカで、マリーの場合はフランスだ。マルグレットというシスターが自分の命を削りながら、目と耳が不自由な少女マリーの人生と向き合う。その演技はとてもリアルだ。人は往々にして、人からなんと言われるか、どう見られるかということを意識して生きるもので、お洒落、言い回し、しぐさ、マナー等は、そこに相手がいることが前提で行われることである。

 

しかし、耳と目が不自由なら、口で何かをしゃべっても自分でその声を聞くことができない。だから実際には口も聞けないのに等しい。すると、そこにいるのはもはや『人間らしさ』とはかけ離れた、動物同然の生き物である。しかし、もちろんそういう風に言ってはいけない。同じ人間だからだ。これが本当に難しい。果たして、孤独な世界で生きる彼女とどうやって意思疎通をし、絆を作り、人生に喜びを見出してもらえるだろうか。

 


参考
『奇跡のひと マリーとマルグリット』youtube

 

『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』

 

兼ねてから気になっていた、この言葉を残したエミリー・ディキンソンの映画だ。独特な言い回しが特徴的だったが、やはり独特な人生を生きた女性だったようだ。9割がキリスト教徒というアメリカの国で、それを受け入れない自由さを持つ一方、大声で話せない不自由さと共に生涯を生きた彼女は、そのユニークさゆえに穢れがなく、内に目を向けて真理に触れるが、繊細さがゆえに現実を生きるだけの図太さが足りなかった。しかし、そういう尊く儚い存在だからこそ、彼女が19世紀世界文学史上の天才詩人と言われるのだ。

 


参考
『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』youtube

 

チェ 39歳 別れの手紙

チェ 28歳の革命』の続きだが、どちらにせよ革命的なド派手な演出を求めると失望することになる。チェ・ゲバラ、キューバ革命という印象とのギャップを感じる映画だ。これは、エンターテインメントが上手なアメリカ映画ではないからかと推測したが、アメリカ、フランス、スペインの合作映画だった。ナレーションのないドキュメンタリー映画のような退屈さを感じることになるだろう。

 

だが、それはあえてやっているのだろう。ゲバラがやったゲリラ活動というのは実際にはとても地味であり、戦車や戦闘機でガンガン戦争をするというわけではない。カストロの裏で確実にキューバ革命を支えた革命のカリスマ、ゲバラが願った共産主義の世界は、その大元のマルクスとエンゲルスが純粋に希望した、平等な世界だった。

 


参考
『チェ 39歳 別れの手紙』youtube

 

『シンドラーのリスト』

この映画が映画史上もっとも重要な歴史映画として数えられるのは、これがスピルバーグによって作られた映画であり、ホロコーストの悲惨さをより具体的に映像化させたからである。例えば、『日本のシンドラー』と言われる杉原千畝は、シンドラーよりも多くのユダヤ人を救ったが、それを映画化した作品は、そうは数えられない。これだけを見ればいいというわけではない。杉原千畝や、『夜と霧』などと併せて考えるべきである。しかし、この映画を知ると知らないとでは、その人生の深みがまるで違うものになるだろう。

 


参考
『シンドラーのリスト』youtube

 

『マザー・テレサからの手紙』

ガンジーやマザー・テレサの名を知らない人はいないだろう。実際、彼女らは面識があり、同じインドを生きた。マザー・テレサの場合はギリシャの近くのマケドニアの出身だが、インドの貧しい人の為に、身を粉にして貢献したのだ。しかし、クリスチャンである彼女は、ヒンズー教、イスラム教で作られるインド人の思想からすると、排斥すべく対象だった。それなのになぜ彼女は、ガンジー、インドの初代首相ネルーの次に、三番目にインドで国葬されたのだろうか。すべてのクリスチャンが直視すべく、真の信仰とは何か。

 


参考
『マザー・テレサからの手紙』youtube

 

『ワルキューレ』

1944年、第二次世界大戦の真っ最中に、ヒトラーの味方であるはずのドイツのクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、なぜかヒトラーを殺そうとしていた。そう。ヒトラーは同じドイツ人にとっても脅威の対称だったのだ。やはり、ハリウッド映画とトム・クルーズというキャストがタッグを組めば、そのエンターテインメント性は格段と引きあがる。映画には色々な作品があってもいいが、多くの映画を観た私からすると、映画はやはりこのくらいのメリハリがあった方がいい。

 

 

空海

800年頃、富士山は噴火し、一か月間も社会に緊張が走った。そんな時、人はどのような考え方でもって、その問題に直面すればいいだろうか。空海は、その時日本に蔓延していた仏教を信じ、その教えに則って多くの人を助けたいと考えるが、まずその前に自分が知っている教えが本当に正しいのかどうか、疑わしかった。そこで、まず唐に渡って本物の仏教を学ぶことを決意する。同じころ、最澄も遣唐使として唐に渡って学んだが、仏教の神髄を習得したのは、空海の方だった。

 

『己一人が救われればいい、ではなく、万人を救い、国を鎮めて、この世に極楽浄土を作る考えこそ、真の仏教。悪人こそが救われるべき』という最澄の教えは、確かに真理だった。だが、空海が得たものはそれより更に広大な規模。最澄が得たものは、空海の会得した密教の一部でしかなかった。したがって、最澄は空海に教えを乞うことになる。

 

この世で成仏できなくて、なぜあの世で成仏できる。この世で逃げては、あの世でも成仏できない。この世から目をそらさず、考え方を最適化し、最後まで人生を諦めてはならない。ブッダの教えは様々な人間を通じて解釈が分かれたが、忘れてはならないのは、真理は正しく、人間は間違えるということだ。

 

 

『大化改新』

645年に行われた大化の改新は、中大兄皇子と中臣鎌足が行った『乙巳の変』の後に行われた、天皇を中心とした集権国家づくりのための政策である。だが、これは映画というよりもNHKが作ったドキュメントに近いクオリティの資料であり、また、ドキュメントといっても史実に忠実でもないため、あくまでも概要を把握するだけの作品と捉えるべきだろう。しかし、日本にとっては重要な事件であった。

 

マルコムX

彼の母親は白人からレイプされた。そして生まれたのがマルコムXだ。母親は白人を恨み、より黒い黒人と結婚し、彼を産んだ。だが、その父親も死んだ。白人にリンチされたのに、警察はそれを自殺として片づけたのだ。どうしてこうなってしまったのだろうか。なぜ彼らはこんな目に遭わなければならなかったのだろうか。そして、彼の名が『X』なのはなぜだろうか。キリスト教、イスラム教という二大宗教を巻き込みながら、人種問題と徹底的に戦ったマルコムXの生涯を見よ。これは思っている以上に見応えのある映画である。

 


参考
『マルコムX』youtube

 

『ジャーヘッド』

実際に1990年に中東へと派兵されたアメリカ海兵隊員、アンソニー・スウォフォードの湾岸戦争体験記が原作となっている。だが、ベトナム戦争やナポレオン戦争などに比べると、ここで描かれているものはそこまで壮絶ではない。クウェート侵攻、湾岸戦争がどのようなものだったかということを知るためには必要な映画である。油田に火が付き、炎が空高く舞い上がっている。そういう光景は、非日常的である。彼らは一体この戦争で何を得たのだろうか。

 


参考
『ジャーヘッド』youtube

 

『パラダイス・ナウ』

パレスチナ問題は、長い長い歴史がある。古代イスラエルは、アレクサンドロスよりも前にあった世界最初の帝国アッシリアに滅ぼされるまでに存在していた。その更に700年も前にいたのがモーセである。アブラハムの宗教とは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教だが、考え方の違いから分裂し、お互いが意見と正当性を主張して、衝突をやめられない。では、現代に頻発する『自爆テロ』の起因は?真理の面から見れば『こじれた紐をほどけばいい』だ。だがこの紐、あまりにも複雑に絡みすぎた。私も時間に余裕がない時は、がんじがらめになったコードや紐と直面するとき、結論を早めてしまう。

 

『ダンス・ウィズ・ウルブズ』

狼と一緒に踊る男。そのような奇妙なネーミングはどこから来たのだろうか。実は、このネーミングの出所こそが、この映画のテーマなのである。それはつまり、そこに『特殊な文化』があることを意味していた。インディアンである。インディアンというのはコロンブスがアメリカ大陸を発見した時、そこが『インド』だと勘違いしたことから、大陸に住んでいるすべての先住民に対してつけたネーミングである。そう考えると、ネーミングに正しいも奇妙もない。狼と共に踊った男は、自分の信念に従い、人生を生きることを決意した。

 


参考
『ダンス・ウィズ・ウルブズ』youtube

 

『グッバイ、レーニン!』

1989年、ベルリンの壁は崩壊した。ベルリンは、米ソ冷戦の影響を受けて東西に分裂してしまった、冷戦の象徴のような場所だ。その両者の境界線として、ベルリンの壁が存在したのである。それは、東西に思想の違いがあるということを意味していた。東『社会主義』、西『資本主義』だ。どちらにもメリットデメリットがある。では、心臓の弱い人がある日自分の思想を急に変化させなければならないとしたらどうだろうか。米ソ冷戦、ベルリンの壁が一般人に与えた影響の物語である。

 


参考
『グッバイ、レーニン!』youtube

 

『ブラザーフッド』

1945年から朝鮮半島は『北朝鮮』と『韓国』に分裂する動きがみられていた。そして、1950年には南北で朝鮮戦争が起こる。そこで暮らしていた人々は、強制的にその戦争に参加させられることになった。これは、民族間での戦争であり、アメリカで言うところの南北戦争である。エンターテインメント性が高く、悲惨な戦争のシーンも取り込みながらも、映画ならではの見応えもある。少しでも多くの人が戦争に興味を持つために、このような作品は存在するべきである。

 


参考
『ブラザーフッド』youtube

 

『さらば、わが愛/覇王別姫』

1920年の中国から始まり、日中戦争、毛沢東のプロレタリア文化大革命などを通し、京劇役者の壮絶な一生が描かれている。この作品は色々と偏見が多いだろう。私もそうだった。中国、京劇、正直、歴史を学べる映画じゃなければ観ることはなかったかもしれない。だが、それはもちろんたんなる偏見だ。これに限らずすべての人間の人生には、それぞれの事情があり、ドラマがある。弟の立場の彼の身になって考えたとき、そこにあるのは虚無とは違う、哀愁だった。

 

『ラストエンペラー』

1905年~1987年までの中国を描いた作品。中国の皇帝、溥儀(ふぎ)は、中国の最後の皇帝となった。ラストエンペラーである。彼が亡くなったのは1967年だ。だから内容的には溥儀の子供時代から老いて死んでいくまでの一生を描いた、壮大な歴史映画である。もし、日本人で彼の名や、その生きた道を知らなかった人がいるなら恥を覚えるだろう。それくらい日本人にとっても彼は重要人物なのだ。最後にはきっと彼の生きた壮絶な人生を想像し、感慨に浸るだろう。

 

『インドへの道』

まだガンジーが活躍する前の1915年あたりのインドは、大英帝国イギリスがこの地を植民地化していた。つまり、イギリス人とインド人という異文化の交流が必然的に行われるわけだ。だが、やはり異文化というものはそう簡単には受け入れられない。ほんの少しの価値観の違いときっかけが重なって、彼らは対立してしまう。それは、心底に『イギリスがインドを支配している』という決定的な事実が存在するからだ。

 

アンナと王様

タイがまだ『シャム王国』だったとき、イギリスから王国の近代化を応援するために女性の家庭教師がやってきた。彼女は信念を持った正義の人であり、自分の規範に従って行動したいから、たびたび人と衝突することがあった。それはこのシャム王国でも同じだった。だが、相手が国王だ。まともに話をすることも容易ではない存在。日本で言えば天皇のようなものだ。シャムは、イギリスやフランスといった強国に支配され消滅するのか。消滅しないなら、それは一体なぜなのか。流動変化するこの世界で生き残るために、捨てるべきもの、守るべきものは何か。

 

『プラトーン』

監督でもありアメリカ陸軍の偵察隊員だったオリバー・ストーンの実体験に基づき、ベトナム戦争の際にあった虚無たる真実が映画化された。強奪、放火、強姦、ドラッグ、虐殺、裏切り、仲間割れ。戦争を生き抜く人間の精神が荒んでいく。そのような戦争の地獄を生き抜いた人の意見はいつも一致するのだ。それは、ただひたすら戦争には虚無しかなかったことの証なのである。

 


参考
『プラトーン』youtube

 

『ブーリン家の姉妹』

世界一有名な女王がエリザベス女王なら、それを産んだ母親はどういう存在だっただろうか。歴史の勉強をしていると『アン・ブーリン』という名前を目撃することが多々あるが、それは、ヘンリー8世が『英国国教会』を立ち上げたときに絡んでくる要素だからである。歴史的にはそっちの方が重大なことでピックアップされることが少ないが、実はこのアン・ブーリン。エリザベス女王よりも波乱に満ちた人生を生きたかもしれない。しかも、その家族全員がだ。

 


参考
『ブーリン家の姉妹』youtube

 

『エリザベス』

イギリス王妃であり、世界で最も有名な王妃と言えば、エリザベス女王である。大英帝国の黄金期は彼女から300年後のヴィクトリア女王の時代だが、彼女の時代もまた『イングランドの黄金時代』と言われた。しかし、その地位の中で生きていくのは簡単ではなかった。世界一有名な女王はなぜ『処女王』と呼ばれたのか。

 


参考
『エリザベス』youtube

『アナと雪の女王2』

今回の『イントゥ・ジ・アンノウン』もとても魅力的な音楽だ。ストーリーも、一作目で行き届かなかった部分にスポットライトを当て、『アナ雪』の世界をこれで存分に楽しめることができるだろう。

 

1.5億ドルの制作費で、130億ドルの興行収入をたたき出したシリーズ一作目に比べれば、その勢いは落ちるだろう。それは『君の名は。』と『天気の子』にも言えることだが、あのような爆発的なエネルギーというのは、不測の様々な要因を巻き込んで作られる奇跡的なものだ。だが、純粋にこの作品の虜になった少年少女は世界中に大勢いて、彼らがこの作品を支えることは間違いない。

 

しかし、たとえ売り上げが半分の60億ドルに落ちても、それは『6000億円』。製作費の2倍売り上げればヒットという世界で、この作品は異例中の異例なのだ。ディズニー映画の歴史を塗り替えた伝説の作品の結末を見よ。

 


参考
『アナと雪の女王2』youtube

 

『永遠の門 ゴッホの見た未来』

ゴッホの人生は、わかる人にしかわからない。絵というもの自体がそもそもそうだ。ピカソなどの絵を見て数億円以上の価値があると本気で理解できている人がどれだけいるのだろうか。もちろん、何の既成概念も先入観もない状態でだ。その現象は、彼が生きたその時代でも存在した。多くの人が彼の絵も、人生自体も毛嫌いし、あるいは精神障害だと敬遠した。普通、そういう人は歴史の闇に消えるのが相場だ。だが、彼の場合は違った。それは一体なぜだろうか。

 


参考
『永遠の門 ゴッホの見た未来』youtube

 

『ターミネーター:ニュー・フェイト』

確かに一部の視聴者が言ったように、表面だけを観ればどこか物足りなさを感じる映画だ。部分部分は見ごたえがあるが、全体的には未消化感が残る。だが、もしこの映画が『ハリウッドスター、シュワちゃんの終焉』を意味する作品なのであれば、

 

  1. そのあたりの問題
  2. このタイミングでターミネーターの『真の続編』があったこと
  3. 老いた過去の伝説たちがキーマンとして登場すること
  4. ターミネーターが『老いる』ということ

 

といったいくつかの疑問点にも説明がつく。

 

そう考えると、この作品はもしかしたらジェームズ・キャメロンがシュワちゃんの為に用意した、遺作なのかもしれない。私はシュワちゃんの全盛期を亡き父親と共に見てきたが、同じようにそれを間近で見てきた監督も、シュワちゃんを特別な形で見送りたいと考えているはずだと、推測するのだ。ハリウッドスター、シュワちゃんを最高の形で映画界から見送るためには、彼の最大の代表作『ターミネーター』が必要だったのだ。

 

全盛期のシュワちゃんが放つエネルギーと可能性、そして『タイタニック』や『アバター』を作ったジェームズ・キャメロンの実力は、こんなものではないのだ。しかしすでに72歳のシュワちゃんはもう当時のように動けないし、筋肉隆々な体も披露することはない。

 

彼らハリウッドの戦友が、もう二度と戻れないそんなかつての全盛期を楽しく話し合う中、監督が多少強引でも彼の遺作に等しい『引退の花道』を用意したいと考えた。そう考えるのは私だけだろうか。確かなことは、シュワちゃんは私と父親にとっての永遠の映画スターであり、人は平等に、いずれ必ず死を迎えるということである。

 

ちなみに、もう一人の女性ターミネーターは、物理的な動きをよく理解しているリアルなアクションをするので、アクションスターとしてこれから活躍する場が多くなるだろう。

 


参考
『ターミネーター:ニュー・フェイト』youtube

 

『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』

なんと上映時間が3時間もあったというが、私は全くそう感じなかった。多くの映画を観ているからこそ言えるが、時間を忘れる映画というものはそう多くはない。ストーリーにしろ、演出にしろ、狂気にしろ、すべてが斬新であり、見応えがある。前作では初見のインパクトで話題をかっさらったが、今回は今回でそれに負けない面白さだ。

 


参考
『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』youtube

 

『ジェミニマン』

多くの映画を観ている側からすると、ウィル・スミスやこの手のシナリオに期待されているある種のエンターテインメント性は、おそらく不十分だと考えていて、見るのは後回しになっていた。だが、多くの映画を観ていたからこそ、この映画のテーマの『軸』の話がわかっていて、奥行きがわかり、考えさせられる映画であることを知った。この話は『マン・ダウン 戦士の約束』と共に見るべき映画である。

 


参考
『ジェミニマン』youtube

 

『マレフィセント2』

まさか1を超えるとは想定していなかった。普通こういう場合は右肩下がりになるものである。映像のクオリティ、ディズニーの力、アンジェリーナ・ジョリーら実力者の貢献も手伝って、この物語を最高に盛り上げてくれたようだ。もはや『マレフィセント』は、単なる醜いディズニーの嫌われ役ではなくなった。

 


参考
『マレフィセント2』youtube

 

『ラストサムライ』

1876年、その時日本はペリー来航から20年の時が断っていた。ちょうどその頃アメリカでは南北戦争が終わり、リンカーンがアメリカの統一に貢献。しかし、そもそもアメリカは、イギリスやフランスから移住した移民たちが、元々そこに住んでいた先住民(インディアン等)を迫害したり、追い払ったりして自分たちの領土を確保していた。そのインディアンとの戦争でトラウマを負い、『神の意志』に疑問を持った一人のアメリカ人がいた。彼は日本の近代化を助けるよう白羽の矢を立てられるが、気乗りはしない。何が侍だ。何が武士だ。

 

しかし彼は『廃刀令』が出された後、刀を置かなければならなくなった生き場所のない日本に残った『最後の武士』たちと触れあっていくにつれ、やがて彼らの『武士道精神』の高潔さを思い知るようになる。これは、根幹に『キリスト教、神道、仏教、武士道精神』といった様々な精神体系が垣間見える宗教の話でもあり、信念の話でもあり、そして、『ラストサムライ(最後の侍)』たちの物語である。

 


参考
『ラストサムライ』youtube

 

『ブルー・リベンジ』

報復は何も生まない。負の連鎖しか生まない。というかこの場合は発端が複雑だし、やられた方もやった方もどちらにも何かしらの落ち度がある。だから見ていてただただ、残念でしかない。そうした現実を知るためにはうってつけの映画だ。

 

『ジョン・ウィック:パラベラム』

最強のキャラクターを演じているはずなのに、最強に見えない悲壮感を抱えているのは、魅力なのだろうか。私は『ボーンシリーズ』のようにスピーディーで完璧なアクションが好きだが、190㎝近くあり、年が55歳ということを考えれば十分なのだろう。特に、銃撃については練習シーンを動画で見たが、年齢を感じさせない優秀な動きだった。今までに見たことがないアクションシーンも盛りだくさんで、見応えは十分だ。ついに次回で、この世界の権力の頂点と対決するか。

 


参考
『ジョン・ウィック:パラベラム』youtube

 

『ワイルドカード』

ジェイソン・ステイサムがアクションをすればどんな映画でも絵になる。しかし、問題は彼が出ている映画が、どれも似たようなストーリーに見えるということだ。すべての映画が繋がっていると言われてもおかしくはない状況が生まれている。日本でいう『キムタク現象』のようなものかもしれない。ジェイソン・ステイサムはそれだけ人気がある『カード』だということだ。

 


参考
『ワイルドカード』youtube

 

『ジョーカー』

『バットマン』はすでに生誕してから80周年を迎えている。つまり、それだけすでに世界観が作りこまれているのである。しかもジョーカーはその中で特別な存在。圧倒的な悪のカリスマであり、『ドラゴンボール』で言えばフリーザのような存在だ。その存在感だけで多くの人の目を向けることができる。一朝一夕ではないのだ。積み上げてきたものが違うのである。

 

だが、260年積み上げた徳川時代が腐敗によって破綻したように、長く積み上げればいいというわけではない。どこかで誰かが気を緩め、その伝統を踏みにじる油断を見せるのであれば、すぐに淘汰される。それがこの世の常である。例えば、スーパーマンのせいかもしれないが、ベン・アフレックはバットマンの権威を少し下げてしまった。クリスチャン・ベールにカリスマ性があったことも原因の一つだろう。

 

しかし今回の映画はどうだ。なぜクリスチャン・ベールが作り上げたカリスマ・バットマンの味方をしてきたはずの我々が、彼の宿敵に同情してしまうのか。それがこの映画の魅力である。キャストを含めた関係者がどれだけキャラクターを愛し、リスペクトしているかは、映像から伝わってくるものなのだ。伝説のカリスマアウトロー『ジョーカー』の誕生秘話を見よ。

 


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『ジョーカー』youtube

 

『マスター・アンド・コマンダー』

もしこの映画を『パイレーツ・オブ・カリビアン』を見る時のテンションで見てしまえば、どこか物足りなさを感じるだろう。だが、もしこの映画をイギリス最大の英雄ネルソンと、フランスの革命児ナポレオンが競り合った『ナポレオン戦争』の歴史を知った上で観るのなら、これは最高の『歴史的な一場面』となる。彼らのような人は確かにこの世界を生きて、そして祖国の為に命を張ったのだ。

 


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『マスター・アンド・コマンダー』youtube

 

『ホテル・ムンバイ』

インドはヒンズー教とイスラム教で考え方が分かれ、1947年8月、インド・パキスタン分離独立となる。つまり、インドが分裂して『パキスタン』という国を生み出し、両者は思想の違いもあってにらみ合うようになった。あのガンジーがそれをギリギリまで食い止めるが、彼はイスラム教に味方をしたということで、ヒンズー教原理主義に暗殺される。ヒンズー教徒とイスラム教徒による宗教暴動は、100万人もの死者を出してしまった。

 

来たる2008年11月26日、インドのムンバイで、それは起こった。パキスタンにいるイスラム原理主義者が若者を洗脳し、テロリズムを行ったのだ。世界の人々が集まる五つ星ホテルが狙われた理由は単純だ。世界の注目を集められるからだ。今年の映画で、ここまで一分一秒目が離せない映画はなかった。これは、10年前にインドであった、本当の出来事なのだ。

 


参考
『ホテル・ムンバイ』youtube

 

『アド・アストラ』

『ゼロ・グラビティ』と併せて観たい映画だ。正直、『インターステラー』、『オデッセイ』も一緒に観たい。きっとあまりにも広漠としたこの宇宙の中に果てしない虚無を覚えて背筋が凍り付き、それと同時に現在、この星にあるすべての状況に対し、違った目を向けられるようになるだろう。人は心がなければ生きていけない。そう。『心がなければ生きていけない』のだ。

 


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『アド・アストラ』youtube

 

『インビクタス/負けざる者たち』

南アフリカの大統領デクラークは、指導者ネルソン・マンデラをついに刑務所から釈放。だが、その時はすでに27年というあまりにも長い時が過ぎていた。しかし、マンデラはその状況を受け入れ『許す』ことで自分の身の回りの世界を変えることができる『真理』を発見した。そしてそれはその時ちょうど目の前にあったラグビーチームにも強い影響を与えた。このラグビーチームは、まるでこの国そのものだった。自信を無くし、不安に満ち溢れ、歩くべき方向性を見失い、さまよっていた。そこに現れたのが白人からは『テロリスト』と揶揄された、ネルソン・マンデラだ。さて、この国は、このチームは一体どうなるのだろうか。マンデラは一体どういう人間だったのだろうか。

 

『ザ・シークレットマン』

『J・エドガー』、『ペンタゴンペーパーズ』と併せて観るべき映画だ。最近になってこうして、他作品と併せて観ることで更に奥行きが広がることがわかってきて、楽しい。それは歴史の勉強でもそうだ。アメリカができてからまだ200年ちょい。実は、アメリカの歴史は浅く、多くのアメリカを舞台とした映画の時代背景は、近いのだ。


参考
『ザ・シークレットマン』youtube

 

『名探偵コナン 天空の難破船(ロスト・シップ)』

服部とKIDの登場が被る時代があったのか。今や、服部、KID、黒ずくめ、安室と赤井はそれぞれが主役級として別々で登場するが、やはり、最後には全員が集まるのだろうか。KIDとルパンの戦いは実現するのか?

 

『ロスト・ボディ』

独創的な映画が見たいなら、普段とは違う国の映画を観るのがいい。最初は聞きなれない言語で戸惑うが、徐々に慣れてきて普段通りに字幕を読むことができ、内容に没入することができる。この映画の結末を予測できる人はいないだろう。多くの映画を観る私でさえ、予測できなかった。

 


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『ロスト・ボディ』youtube

 

『二ノ国』

ゲームをしている人は二倍楽しめるが、していない人は途中まで物足りなさを感じるかもしれない。だが、ストーリーと世界観を理解し、映画に没入できれば最後の結末に大きく心を動かされることになるだろう。

 


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『二ノ国』youtube

 

『ラストミッション』

この類のタイトルの映画は内容が廃れている印象があるが、なかなかどうしてそこはケビン・コスナーの熟練の演技と、ありそうでそう多くはないシナリオ、かついくつかの粋な演出によって、価値のある映画に仕上がっている。きっとこれは映画館で観れば、清々しい気持ちで映画館を出ることができる映画だ。

 


参考
『ラストミッション』youtube

 

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

1969年にハリウッド女優シャロン・テートがカルト集団チャールズ・マンソン・ファミリーに殺害された事件を背景に、ハリウッド映画界を描いた作品。…だという前情報を見ずに見てしまったが、後でこうやって知っても中々ゾッとして面白い話だ。タランティーノの映画が『大空振り』する印象があるのは、彼が元よりセオリーやストーリーを遵守しようとしていないからだ。今回も作品にそれを求めずに観た。するとやはりどんな展開になっても驚かず楽しめた。しかし実話をもとにしていたとは。

 


参考
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』youtube

 

『ロケットマン』

流れ的に、多くの人がクイーンの『ボヘミアン・ラプソディー』と比べてしまうだろう。確かに、ミュージシャンの自伝であり、両方の映画の主人公が『ゲイ』である。ゲイについてはここでは触れないでおくが、内容はほとんど同じだ。ゲイの奇抜な才能を持ったミュージシャンが、アメリカで大成功し、大金持ちになって得意になり、転落を味わう。だが、これらは確かに似た内容ではあるが、彼らは違う人物であり、ここにあるのは違う自伝だ。この映画がなぜ『ロケットマン』というタイトルになったのか。このあたりにこの映画とエルトン・ジョンの人生のカギがある。

 


参考
『ロケットマン』youtube

 

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

作品を通して、まるでハードロックかヘビメタの音楽を聴いているような残酷な爽快感があるが、舞台は『風の谷のナウシカ』とほぼ同じようなものである。人間はどのような終末を迎えてしまうのか。一つの方向としてイメージしておくには損はないだろう。

 


参考
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』youtube

 

『ユージュアルサスペクツ』

多くの映画を観ている私はこの映画の結末が見えてしまったが、これが放映された25年前、知識も経験もなく、先例も少ないこの時代にこの映画を観れば、とても見応えがある作品となっただろう。

 

 

『ONE PIECE STAMPEDE』

『GOLD』からの流れで『万博』と来れば、誰もが残念に思うだろう。最近のワンピースの映画は、大したことがないな。『Z』がピークか。そう思ったことだろう。だが、裏切られた。もしかしたら、鑑賞中にワンピースが終わると思った人もいるかもしれない。それだけの威力が、この映画にあったのだ。そして、ついに明らかになった。『海賊王ゴール・D・ロジャー』の力が。

 


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『ONE PIECE STAMPEDE』youtube

 

『ルイスと不思議の時計』

この手の映画は、子供騙しのB級映画スレスレで終わることもしばしばだ。だが、この映画はそうではなかった。なかなかどうして迫力もあるし、子供目線で考えるなら、『怖い!』と声をあげる子もいるだろう。こういう映画があっても全然いい。親子でも観れる映画だ。

 


参考
『ルイスと不思議の時計』youtube

 

『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』

名作シリーズで2大アクションスターがいるから人は集まるだろう。面白いかどうかと言えば、面白い。見たことがあるようでないアクションと戦闘シーンも見応えがある。だが、5年後、この映画の内容を覚えているかと言われると、覚えていないだろう。そういう映画だ。ただ、一つだけ救いなのは、この映画が名作シリーズであるということだ。引き続き展開が楽しみなシリーズの一つである。やはり、初期の主役を演じたポール・ウォーカーが亡くなった『スカイミッション』があまりにも感慨深かったのだ。

 

この作品が、新たなる展開のために必要なスピンオフになるならば、重要な作品となる。

 


参考
『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』youtube

 

『星を追う子ども』

彼がジブリ作品が好きなのはよく分かった。だが、エマーソンは、自身のエッセイ『独立独歩』でこう言っている。

『だれでも教育を受けている過程で嫉妬は無知であり、模倣は自殺行為にほかならないという確信に達する時期がある。』

 

彼が『君の名は。』の時に言った『宮崎駿さんのようにはなれない』という発言と、宮崎駿の息子、宮崎吾郎が言った『私は父の様にはなれない』という発言は、かなり似た心境から発せられた言葉なのかもしれない。自分にしかできないことをしなければならない。監督にとってこれは、きっとそう思い知らされた作品だろう。2011年の作品。この後『言の葉の庭』で自分を取り戻し、『君の名は。』に繋げたのだろう。

 


参考
『星を追う子ども』youtube

 

『秒速5センチメートル』

この作品あたりから、監督が心の中心あたりに持っている詩的で、ロマンチックなエッセンスがにじみ出ている。ただ、2013年に放映された『言の葉の庭』よりも長い時間にもかかわらず、その作品よりは未完の印象が強い。これは2007年の作品だから、少しずつ試行錯誤しているのだろう。徐々に『君の名は。』で見せた尊い切なさの片鱗が見えてきている。

 


参考
『秒速5センチメートル』youtube

 

『チャイルド・プレイ』

ベトナムで、一人の男が飛び降り自殺をした。彼が死んだ現場は、人形を作る工場だった。生きるのに疲れた彼は、死ぬ間際に自分が担当した人形に、何かの仕掛けをしたらしい。一方、ある場所では一人の少年が引っ越ししたての環境で、退屈な日々を送っていた。そんな折、本来なら廃品として捨てられるはずのとある電源型の人形が、母親から贈られた。少年に新しい親友ができたのだ。電源を入れると、彼に名前を付ける必要があった。少年が名前を考えると、人形はそれを受け入れず、不気味なポーカーフェイスでこう言った。

 

『…僕、”チャッキー”がいい!』

 


参考
『チャイルド・プレイ』youtube

 

『天気の子』

確かに『君の名は。』以上の盛り上がりを見せることはないだろう。だが、『言の葉の庭』然り、どの作品も共通して透明感があり、細部まで入念で、命が吹き込まれている。作者やスタッフが本気で作品に臨んでいることが、伝わってくる。宮崎駿、細田守、新海誠。黒澤明に、北野武もそうだが、日本の名監督はどうやら『漢字三文字』が多いらしい。

 


参考
『天気の子』youtube

 

『言の葉の庭』

短いが十分伝わった。綺麗で、儚くて、奥行きがある、尊い物語がそこにあることが。短くても十分に作品の中に入っていけるのは、世界観がしっかりしているからと、余計な声優陣が作品の邪魔をしていないからだろう。こうした作品を経て彼は、『君の名は。』に繋げた。実は、同じ年齢のはずの『天気の子』よりは、この作品の方が大人っぽさがあり、心に染み渡った。

 


参考
『言の葉の庭』youtube

 

『トイ・ストーリー4』

トイ・ストーリーは今回、単なる『4』じゃない。新境地を迎えることになる。『シュガー・ラッシュ:オンライン』の時にも感じたことだが、こういう流れができるのは、次代の流れだろうか。しかし、映画ファンとしてはとても新鮮で、見応えがある。そして『5』でどんな展開があるのかも、期待することができる。彼らの『ストーリー』は終わらない。きっと、この世に子供がいる限り、終わることはないのだ。

 


参考
『トイ・ストーリー4』youtube

 

『オール・アイズ・オン・ミー』

HIPHOPを知っている人間で、彼を知らない人はいない。10代のころ彼の音楽に出会った私としても、彼の一生は知っておく必要があった。若干25歳でこの世を去ったカリスマは、どのように生きたのか。太く短く、力強いブラックパワーを見よ。

 


参考
『オール・アイズ・オン・ミー』youtube

 

『美女と野獣』

男らしく生きれば、ロマンチックな恋愛ものには目が行かない。だからこの映画も、アニメも、全く見ることはなかった。だが、そこに魅力があることはわかっていた。今回ちょうど見る機会があった。やはり、魅力的な映画だった。

 


参考
『美女と野獣』youtube

 

『アラジン』

実写版に続いてアニメ版も初めて見た。実写版は、より多くの人が見やすくなっていることがわかった。実写版では、アニメで届かなかった細かい部分の調整がされている。というより、アニメと実写が完全に違う世界として表現されていることがわかる。だからアニメを実写にすると、おかしな点がたくさん見られるのだ。だから、アニメを実写にするとよりストーリーに現実味が出て、共感を覚え、感情移入しやすい。

 

 

『ザ・ファブル』

原作にエネルギーがあったから、『土竜の唄』同様、映画化は納得。岡田准一にはもっともっとアクション系の映画に出演していってほしいところだ。そう考えたら、真木よう子と共演していた『SP』ははまり役だった。人には向き不向きがある。『海賊と呼ばれた男』には不向きだったかもしれないが、彼がハマる役はまだまだきっとある。

 


参考
『ザ・ファブル』youtube

 

『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』

今のスパイダーマンは、ただのスパイダーマンではない。『アベンジャーズ』のスパイダーマンである。だから奥行が全然違うから、ただの『親愛なる隣人』の規模で治まらない可能性の範囲を感じることができる。この先、スパイダーマンはどうなっていくのか。忘れてはならないのは、彼が『アベンジャーズ』の一員だということである。

 


参考
『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』youtube

 

『X-MEN: ダーク・フェニックス』

簡単に描写しているが、彼らのアクションの一つ一つに歴史があり、感動すら覚える。今や、映画で描ける範囲は激増した。圧巻のアクション。その先駆けとなるのが、アベンジャーズやX-MEN率いるマーベルシリーズや、バットマンやスーパーマン率いるDCコミックシリーズだ。ターミネーターやロボコップから観ている私からすれば、これらの作品すべてが極上のエンターテインメントである。

 


参考
『X-MEN: ダーク・フェニックス』youtube

 

『メン・イン・ブラック:インターナショナル』

面白いかどうかと言えば、面白い。だが、宇宙人が出てくるのは知っているので、意外性はない。まるで、ドラマの続きを見ているかのようだ。それだけ歴史があるということでもある。だが、こんなものではないはずだ。これは、メンインブラックの新章の挨拶であり、本番はここから。そう思えば、次回が楽しみである。

 


参考
『メン・イン・ブラック:インターナショナル』youtube

 

『アラジン』

先にイスラム世界について勉強していてよかった。

 

  • 『アラジンの魔法のランプ』
  • 『アリババと40人の盗賊』
  • 『シンドバッドの冒険』

 

これらの物語をまとめた物語集『アラビアン・ナイト』についてである。我々が幼いころから知っていたターバンをつけたアラビアの青年が活躍したアラビアン・ナイトの舞台は、『アル・マンスル』という人物が治めたイスラム世界なのである。彼とその孫である 『ハールーン・アル・ラシード』はその地域を『バグダッド』と呼び、そして経済的に繁栄させ、世界文化の中心にさせた。

 

しかし、宗教色を出さずに、全世界の人々にわかりやすく伝えることを重視してくれている。だから東洋の人間からしたら非現実的な彼らの生活や生き方を見ても、感動することができるのだ。ユニークなシーンもたくさんあって、多くの人が笑いをこらえられないようだった。

 

アラジン。私はこの映画を観たつもりでいたが、今回初めてちゃんと観たかもしれない。そうか。こんな物語だったのか。とても教訓高く、愛に溢れ、人々に生きる勇気をもたらせる。この作品を通し、得体のしれないアラビア世界で生きる人々の人生をリスペクトできた。彼らと我々は、同じ人間なのだ。

 


参考
『アラジン』youtube

 

『サン・オブ・ゴッド』

メル・ギブソンの『パッション』もいいが、あれはアラム語とラテン語に徹していて、翻訳が許されていない。そういうことからも、もう少し身軽に見れるのがこの映画だ。だが、身軽に見れるからこそ、どことなく違和感が見える。イエスが現実離れしてしまい、空想の世界というイメージを強く抱かせる。そう考えると『パッション』にあったある種のあの禍々しさの方が、当時あった暗い雰囲気を上手く表現できているのかもしれない。

 


参考
『サン・オブ・ゴッド』youtube

 

『アポカリプト』

ホラー映画よりも怖い。なぜなら、これは本当にあった可能性が高い話だからである。『パッション』、『ハクソー・リッジ』を作ったメル・ギブソンが描く、マヤ文明の実態。どこまでが本当かはわからないが、蓋然性は十分高いようにも見える。生贄があり、自然を神格化したのは、狩猟採集時代、つまり原始時代を生きた人間からすれば当然の神話だった。当時は動物も神に近い存在だったから、ジャガーを恐れたのもうなづける話である。この映画はとても見ごたえのある話だ。

 

稲妻、洪水、地震。あまりにも力強いあの正体を知らないとき、人はそこに『何を見た』かわかるだろうか?

なぜ昔の神は『動物』や『巨人』が多いのか?


参考
『アポカリプト』youtube

 

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

間違えて吹き替え版で観てしまった。だからある種の安っぽさを覚悟しなければならなかった。案の定、声優の一人のタレント(田中圭)は全くかみ合っていなかった。だが、問題はそれだけだった。芦田愛菜や渡辺謙は合格点であり、木村佳乃にいたっては、今調べるまでプロの声優だと思っていたくらいだ。

 

後のプロたちもちゃんとやってくれた。それだけではない。作品があまりにも緻密にできていて、つまりスカスカの空っぽではなかった。それにはゴジラが日本映画で積み重ねてきた歴史も関係しているだろうが、俳優たちも本気で熱演していたから、この作品に安っぽさを感じなかったのだ。そして吹き替え版ではあったが、4Dで観て良かった。やはりこの規模の映画になると、映画館かつ4Dで観れるなら最高の臨場感を得られる。

 

幼い頃、映画と言えばゴジラだった。亡き父親と家で観た数少ない映画の思い出にも、このゴジラがあった。今ゴジラは完全によみがえった。いや、パワーアップして復活したのだ。…だがおかしい。『例のコング』がいない。その理由は、映画を観ればわかるだろう。

 


参考
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』youtube

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』

少年(少女)時代の恋愛は、このくらい儚く、ファンタジーに包まれていて全然いい。ただ、彼女の役をこなす人は、広瀬すずではなかった。菅田将暉は及第点だが、もし監督その他がタレントを起用することに、ある種の悦を覚えているのであれば、愚かの一言である。広告的な意味合いで仕方なくやっているのであっても、成功とは言えない。作品を完成させたいならタレントを使ってはならない。作品で売り上げを上げたいなら、やむを得ないのだろう。

 


参考
『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』youtube

 

『貞子』

クオリティ的には、『世にも奇妙な物語』と同レベル。また、元々存在している『貞子』のシナリオに乗っかっているせいで、すべてがそれ頼みになってしまっていて、浅い。やはり、人を恐怖に陥れるのに必要なのは『意外性』であり、この映画ではそれを創り出すことはできなかったようだ。池田エライザが可愛いだけである。

 


参考
『貞子』youtube

 

『22年目の告白 -私が殺人犯です-』

『藁の楯』の藤原竜也と、熱血単細胞の伊藤英明のイメージにまんまとやられた。うまくできたシナリオである。かつて、日本では仇討が認められた時代があった。むしろ『仇討ちでなければ殺人とみなす』とされていたほどなのである。その他にも、不倫があった場合、市中を引きずり回したりして、今よりももっと野蛮で、動物的な対応がなされていた。では現代はどうか。理性を重視し、動物とは一線を画し、法を煮詰め、『より人間らしく』なった?

 


参考
『22年目の告白 -私が殺人犯です-』youtube

 

『インクレディブル・ハルク』

ハルクが生まれた理由もなんだかんだで見ていなかった。アベンジャーズが終わった今、ハルクたちは今後どうなっていくのだろうか。そしてこの映画の最後にあの男が登場するとは。この時からすでにあの計画は動いていたのである。

 


参考
『インクレディブル・ハルク』youtube

 

『バットマン・ビギンズ』

名前が違うので『ダークナイト』の前に作品があるとは知らなかった。『バットマン・ビギンズ』⇒『ダークナイト』⇒『ダークナイト・ライジング』である。それにしても、バットマンが忍者の術を学んでいたとは知らなかった。色々と意外な事実を知れてよかった。ベン・アフレックのバットマンもパワフルでいいが、クリスチャン・ベイルのバットマンの方が陰があり、緻密で、繊細な男がはまり役である。

 


参考
『バットマン・ビギンズ』youtube

 

『アベンジャーズ/エンドゲーム』

この映画はタイタニックを超え、アバターの興行収入も超えるかもしれない。私もほとんどのシリーズを観てきたし、今回の作品を観るために最初からもう一度見直した。最高のエンターテイメントだったし、スピンオフ的な作品もほぼ観てきたからこそ、最後に全員が揃った時には身を乗り出して映画を観た。終わるにもいい頃だ。アベンジャーズは間違いなく一つの時代を築いた。そして同時に、次に何の時代が来るかもとても楽しみである。

 

しかしタイタニックはすごい。アバターは『3D』という要素の力を借り、アベンジャーズはこれだけの時間をかけて、これだけのキャラクターと名優たちを揃え、人々を興奮させたが、タイタニックはあの作品だけの力で世界中の人々を感動の渦に巻き込んだ。今後もどんな映画に出合えるか、とても楽しみである。

 


参考
『アベンジャーズ/エンドゲーム』youtube

 

『アントマン&ワスプ』

エンドゲームを観る前に観ておいてよかった。いずれこのシリーズをすべて観て振り返るときがきたら、このアントマンもスパイダーマンもすべて観るべきだ。そうすれば奥行きが何階層も深くなる。

 


参考
『アントマン&ワスプ』youtube

 

『キングダム』

日本の映画には期待はできない。それは今まで日本映画をたくさん観てきたからからこそ言える本当の感想だ。特に人間ドラマが軸ではないこういう作品になると余計にそうなる。だが、なぜ私は涙をこらえることがやっとだったのだろうか。決して映画で泣かないと決めているはずなのに。

 


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『キングダム』youtube

 

『EMMA/エマ 人工警察官』

人間は法律や規則を熟知していないから法を犯すと考える。しかし実際にアンドロイドが法律や規則を熟知し、それを遵守しようとして行動すると、今度は『人間らしさ』がなくなる。亡き命を想って守秘義務を破るそのとき、そこに人間らしさがある。人に必要なものはなにか。

 


参考
『EMMA/エマ 人工警察官』youtube

 

『ヴェンジェンス』

法律は人を守るためにある。確かに弁護士が加害者側を弁護すれば加害者側が守られる。だが、被害者はどうなる。被害者が本当に被害者なとき、加害者側に有力な弁護士がいれば、法律は彼らを守る盾となる。それでいいのか。それが本当に法律ができた目的なのか。

 


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『ヴェンジェンス』youtube

 

『亜人』

まだまだ奥行がありそうな話だ。たったの2時間では収まりきらない感じがする。最後のシーンの躍動感を考えても、この映画は本編というよりは『予告編』なのかもしれない。魅力が伝わりきらないとも言えるし、今後の展開に期待できるとも言える。

 


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『亜人』youtube

 

『名探偵コナン 紺碧の拳』

相変わらずの名探偵コナンの世界を観れて満足。怪盗KID、服部平次、黒ずくめの男等の話は確かに映画級のテーマだ。コナンを観ていると、一歩一歩の大切さが本当によくわかる。鳥山明は天才だが、青山剛昌もまた違ったタイプの天才である。

 


参考
『名探偵コナン 紺碧の拳』youtube

 

『バイス』

まさかブッシュ大統領がああいう人間だったとは知らなかった。あの時、あの世界中がアメリカに注目する時期、彼の陰で暗躍していた人間がいたのだ。最上部にいる人間を非難するのは簡単だが、誰かがやらなければならない。権限移譲したのは大衆なのである。

 


参考
『バイス』youtube

 

『グリーンブック』

グリーンブック。翻訳すると『緑の本』。何とも直感的には『安心で、落ち着いた、退屈なもの』という印象を得る。だが違う。全く安心して外を出歩けない。やり場のない怒りがこみあげて来る。だがなぜか、安心して見ていられる。そういう映画だ。

 


参考
『グリーンブック』youtube

 

『カメラを止めるな!』

1100本映画を観てきたが、そのなかにB級作品はほとんど入っていない。だからもちろん、この作品は私の眼には一見B級に映る。だが、そう断言できない。まず、皆が一生懸命だからだ。文字通り、『命を懸けている』。その命に、B級と言うことはできないからだろう。

 


参考
『カメラを止めるな!』youtube

 

『名探偵コナン 世紀末の魔術師』

YAIBAや怪盗キッド時代から彼の漫画を見ている私からすれば、コナンに彼らが出てくるのを見ると、感慨深い。昔のアニメということで色々と荒い部分はあるが、シナリオは一級品である。本人としても昔の作品が今もなお活躍してくれるのは嬉しいだろう。

 

『バンブルビー』

本編のスピンオフ作品にしてはしっかりしている。だからこの作品はスピンオフというよりは『0(ゼロ)』だ。『彼』がなぜ中古車ショップにいたのか、そして最初の相棒と出会う前に『彼』はどこにいて、なぜ『バンブルビー』なのか。それを知ることになる。

 


参考
『バンブルビー』youtube

 

『キャプテン・マーベル』

すべては、アベンジャーズが登場する前から始まっていた。これを見れば、なぜアベンジャーズが生まれたのか、そしてフューリーがどのようにして今の地位に就いたかを知ることになるだろう。物語の本番はここからだったのだ。

 


参考
『キャプテン・マーベル』youtube

 

『運び屋』

ゲーテは言った。『10歳にして菓子に動かされ、20歳にしては恋人に、30歳にして快楽に、40歳にしては野心に、50歳にしては貪欲に動かされる。いつになったら人間はただ知性のみを追って進むようになるのであろうか。』この映画は、『90歳』の人間の話である。

 


参考
『運び屋』youtube

 

『シティーハンター <新宿プライベート・アイズ>』

ドラゴンボールが飛躍する前、私にはアニメの中に様々なヒーローを見ていた。冴羽遼はその中でも忘れられない男の一人だった。大丈夫。あの曲はきっとかかる。彼らとの最後のつもりで、劇場に会いに行こう。

 


参考
シティーハンター <新宿プライベート・アイズ>youtube

 

『ショーシャンクの空に』

10年前に観た映画だが、ふと観てみた。すると、以前とは違う暖かい気持ちになった。それは、私が成長したからだ。私が10年間映画を観続け、映画の細部まで真剣に観れるようになったからだ。そして、この映画が最初から、素晴らしかったからだ。

 


参考
ショーシャンクの空にyoutube

 

『アリータ:バトル・エンジェル』

『アバター』、『タイタニック』で世界一を獲ったのは伊達じゃない。確かに日本人は緻密な創造が得意だが、それをここまで隙なく具現化できるのは世界で見ても数えるくらいしかいないだろう。これが超一流の創る映画だ。

 


参考
『アリータ:バトル・エンジェル』youtube

 

『アクアマン』

ここまでクオリティが高く、ドラマチックで、人の心を鷲掴みにする物語があるなら、アクアマンはバットマンたちとの総力戦の前に、この映画で世に登場するべきだった。映画ファンは密かに願っている。DCが『あのマーベル最強戦隊』を超えることを。

 


参考
『アクアマン』youtube

 

『ファースト・マン』

我々は人間が月に行ったことをとっくに知っている。だが、本当に知っているだろうか。人類が、月にたった一歩足を踏み出すまでにかかった時間と、払った代償の大きさを。コロンブスは新大陸を発見し、偉人となった。彼らもまた、偉人である。

 


参考
『ファースト・マン』youtube

 

『メリーポピンズリターンズ』

作者のトラヴァースは、ウォルト・ディズニーからの提携の依頼を、何度も断っていた。だが、ディズニーは決してあきらめなかった。それは、この作品が稀代の代物であるということを見抜いていたからだ。あれから54年。彼女は戻ってきた。

 


参考
『メリーポピンズリターンズ』youtube

 

『サスペリア』

『決して一人で観ないでください』ということだったが、厳密にいえば、『まともな精神状態にある子供には、絶対に見せないでください』の方がいい。この映画の結末を想像できた人間はいないだろう。

 


参考
『サスペリア』youtube

 

『ミスターガラス』

かつてネットが存在していなかった時代、遠い世界のどこかに、あっと驚く超人が存在する可能性を妄想した。そして、事実ネットが蔓延し、それに近い人々を当然のように見ることができるようになった。だが、我々は本当の超人はまだ知らない。まだ。

 


参考
『ミスターガラス』youtube

 

『蜘蛛の巣を払う女』

前回の『ドラゴンタトゥー』とはまた違って、見ごたえのある作品である。前回、今回ともに、それぞれの役者が続編をやっても文句は出ない。賢く、哀しげな彼女の過去と潜在能力に、我々はくぎ付けになる。

 


参考
『蜘蛛の巣を払う女』youtube

 

『アンブレイカブル』

『スプリット』を観て慌ててこの映画を観た人もいるだろう。あれはただのサイコスリラーではなかったのだ。そして19’1、いよいよ『ミスター・ガラス』が放映される。M.ナイト・シャマランが20年の時間をかけて描く物語の『罠』とは?

 


参考
『アンブレイカブル』youtube

『ホリデイ』

嘘や不誠実が当たり前のように蔓延している世の中でも、確実に『優しい人生』を生きる誠実な人がいる。『愛』とは人間が勝手に名付けた概念だが、なぜかそれに触れると人の心は、虚無から遠ざかる。愛の正体も、繊細な人間の心も、とても尊い。

 


参考
『ホリデイ』youtube

 

『2001年宇宙の旅』

 

観た後にいくつかの解説を見てようやく意味が理解できたくらいだ。もちろん、人間にそう行動させるキューブリックの意図があっただろう。これが1968年に放映されたということを考えたい。宇宙も、そして人の想像も、無限である。

 


参考
『2001年宇宙の旅』youtube

 

『アデライン、100年目の恋』

『不老不死』『恋愛』というキーワードについて考えたい人は、『ベンジャミン・バトン』やこの映画を観ると良いだろう。ある歌の歌詞にこういうものがあった。『不老不死に生きる命と限りのある命。随分心拍数変わる気がしませんか?』

 


参考
『アデライン、100年目の恋』youtube

 

『レオン』

名作映画だとは聞いていたが、まさか本当に『名作映画』だとは知らなった。脚本、音楽、俳優、どれも素晴らしい。危ないところだった。この映画を観ないで映画好きを語るところだった。映画館でエンドロールが流れても動けないときがある。これがその映画だ。

 


参考
『レオン』youtube

 

『LION 25年目のただいま』

リルケはこう言い、『「旅」にはたった一つしかない。自分自身の中へ行くこと。』ヘミングウェイは言った。『あちこち旅をしてまわっても、自分自身から逃れられるものではない。』すべての人には、それぞれに与えられた歩くべき道が、ある。

 


参考
『LION 25年目のただいま』youtube

 

『オーケストラ!』

世界で唯一指揮者のいない管弦楽団は、オルフェウス管弦楽団だと以前PRESIENTで読んだ。指揮者がいなくても個々に主体性があればコンサートは成り立つ。だが、もしそこに天才指揮者が加わったらどうなる。全員が主体性を発揮したとき、奇跡は起こる。

 


参考
『オーケストラ!』youtube

 

『クロッシング』

とある3人の男は、思い通りにならない現実をもがきながら必死に生きていた。このままでいいのか。状況を打破するべきか。それとももう死ぬべきなのか。毎日目の前に広がる無数の道。さて、一体どの道が悔いのない人生につながっているのか。

 


参考
『クロッシング』youtube

 

『レジェンド 狂気の美学』

悪の道で成功を夢見る人間は大勢いる。一攫千金だ。一発逆転だ。彼らがそう野心を抱くそれなりの理由もある。だがバフェットは言った。『金は人を変えない。金は人の本性を浮きだたせるだけである。』悪の道を歩いている時点で、失敗だ。

 


参考
『レジェンド 狂気の美学』youtube

 

『ザ・シューター』

かつて、天才的なスナイパーとして活躍したある男が、その腕に目を付けた悪党に『悪用』される羽目になる。だがこの男、たとえ格闘術であの『ボーン』に負けたとしても、総合力では彼に匹敵する。九死に一生を得た彼の、復讐劇を見よ。

 


参考
『ザ・シューター』youtube

 

『ヘンゼル&グレーテル』

あの有名なグリム童話にはおかしな点がある。そもそもなぜ『魔女』がいたのかということだ。そして、もしいたのならその魔女は本当に一匹だけしかいなかったのか。これは、グリム童話では描けなかったあの話のもう一つのストーリーである。

 


参考
『ヘンゼル&グレーテル』youtube

 

『ドン・ジョン』

この映画を真剣に観れない人は、逆に知性がない。『話を聞かない男、地図が読めない女』を一冊真剣に読むだけでも、この映画を真剣に観る動機になるはずだ。自分の意識とは無関係の部分に、例えばテストステロンがある。これは、『性』なる授業だ。


参考
『ドン・ジョン』youtube

 

『クラウン』

悪気など一ミリもなかった。ただ子供を喜ばせたいだけだった。だから変身したのだ。ピエロ(クラウン)に変身したのだ。だが、それがいけなかった。ピエロは元々、道化師などではなかった。かつて『悪魔』と恐れられた、人食いだった…。

 


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『クラウン』youtube

 

『ビデオゲーム THE MOVIE』

あのジョブズは最初、ATARI社にいた。そしてそこを退社し、Appleを作った。社名の理由は電話帳でATARIよりも先に来るからだ。ゲームは世界中の人々の好奇心と創造性を煽り、時に間接的に世界を変えさせた。ゲームの歴史は始まったばかりだ。

 


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『ビデオゲーム THE MOVIE』youtube

 

『隣人は静かに笑う』

暗い過去を忘れられない男の家の隣に、ある一家が引っ越してきた。彼らはとても人当たりがよく、いい友人になれそうだと、パートナーの女性は言った。だが、男だけが妙な違和感を感じていた。何かおかしい。…このエンディングを予想できるか。

 


参考
『隣人は静かに笑う』youtube

 

『スティーラーズ』

この映画は冗談ととらえるのが正解だが、あえて真面目に捉えると背筋が凍る話ばかりだ。もし自分の妻と幸せな生活を送っているとき、急にその妻の消息がわからなくなり、数年後、遠く離れたところで『痕跡』を見つけたらどうするだろうか…。

 


参考
『スティーラーズ』youtube

 

『レッド・ライト』

レッドライトとは、赤い光のことではない。この世にレッドライトを常に意識している人はどれくらいいるだろうか。警察、探偵、メンタリスト、見渡せば結構いる。だが、それを自分のものにしている人はごく稀である。賢いと同時に、危険だ。

 


参考
『レッド・ライト』youtube

 

『プリデスティネーション』

卵が先か鶏が先か。考えてみたことがあるだろうか。一体どちらがこの世に先に生まれたのか。卵がなければ鶏は生まれないはずだが、その卵はどうやってこの世に誕生したのだろうか。これは、その謎を解く答えの一例である。

 


参考
『プリデスティネーション』youtube

 

『サード・パーソン』

『北風と太陽』然り、世の中は時に複雑である。自分の思い通りに行かないのだ。たまにあえて逆を選択することや、思い切って冒険することを求められる。では、シンプルだったらいいのか。いや、複雑だからこそドラマが生まれるのだ。

 


参考
『サード・パーソン』youtube

 

『デッドマン・ダウン』

日本には『粋』という価値観があり、それは人の一時的な評価に依存しない、ある種の没我心である。没我は愛であり、時にそれが奇跡を生み出す。トルストイは言った。『愛は人生に没我を教える。それ故に愛は人間を苦しみから救う。』

 


参考
『デッドマン・ダウン』youtube

 

『ブルーに生まれついて』

覚せい剤使用の現行犯逮捕で、ある日本のタレントが逮捕された。彼は言った。『ありがとう』。その彼の言葉を批判する人はもちろん大勢いた。だが、その話を聞いたいくつかの人はその言葉の意味がわかった。それが薬だ。これが、薬だ。

 


参考
『ブルーに生まれついて』youtube

 

『パーフェクト・ルーム』

SEX、ドラッグ、不倫、暴力、嘘、見栄、裏切り。どこにでもある内容だが、それだけ人間にとって切っても切れない話だということだ。『幸せは金では買えないというが、あれは嘘だ』というセリフがあるが、さて、どうなるだろうか。

 


参考
『パーフェクト・ルーム』youtube

 

『Wizard of Lies』

トルストイは言った。『金のないのは悲しいことだ。だが、あり余っているのはその二倍も悲しいことだ。』問題は、なぜあり余ったかということだ。これからも金の所有と人の知性は、歩幅を合わせて進むと盲信し続けるだろう。そこに人間がいる限り。

 


参考
『Wizard of Lies』youtube

 

『チェンジング・レーン』

真理から逸れるほど虚無に近づく。これは、それがよくわかる映画だ。真理を自分のものにした人間の放つ圧倒的な威厳と、『神は人間をいがみ合わせたいのだ』という『彼の一時的な解釈』にも注目したい。これだから映画鑑賞はやめられない。

 


参考
『チェンジング・レーン』youtube

 

『王様のためのホログラム』

砂漠の国、中東はあまりにも文化や価値観が違いすぎる。これでは異文化との間でいざこざが起きても仕方がないというのが正直な印象だ。だが、根っこのところでは大差はない。我々は同じ人間なのだから。いつでもそこに目を向けたい。

 


参考
『王様のためのホログラム』youtube

 

『Don’t Say a Word』

フロイトは言った。『人は不快な記憶を忘れることによって防衛する。』だから確かにこのような窮地に追いやられないかぎり、その逃避はいつまでも続けられる。そう考えると人には『避けて通れない道』があるのだ。

 


参考
『Don’t Say a Word』youtube

 

『Street Kings』

修行して善で悪を追い出す『性善説』。外部から後天的に善を積み上げる『性悪説』。黒幕は暗に荀子の性悪説を説いたが、私は『どちらも正しくて、どちらも不完全である』と見る。両方が混在している。人はそのバランスを整える使命を負っているのだ。

 


参考
『Street Kings』youtube

 

『裏切りのサーカス』

いつだって人目を引くのは美男美女、打ちあがる花火、大勢の行列、派手な銃声、豪快な暴走、スーパーヒーロー…。だが、カウンターインテリジェンスとは『大事になる前の前始末』だ。我々の平和は、真の英雄たちの『密かな仕事』の上に成り立つ。

 


参考
『裏切りのサーカス』youtube

 

『潜入者』

あのバリー・シールが暗躍している全く同じ時期、ある潜入捜査官は一世一代の大勝負を仕掛けていた。当然彼よりも大物を狙っていたのだ。現在でも年間200兆円以上のお金が資金洗浄されている事実がある。この大捕り物はそんな闇に照らす確かな光となるか。

 


参考
『潜入者』youtube

 

『クラッシュ』

ニーチェは言った。『論理は完全な虚構の見本である。現実の中には論理などは存在せず、現実はまったく別の複雑極まりないものである。』この世には善悪も秩序もないという解釈もあるし、それは色々あるが、わかっているのは『人間がいる』ということだ。

 


参考
『クラッシュ』youtube

 

『バッド・ルーテナント』

ウィリアム・ヘイズリットは言った。『何百万という人類の滅亡よりも、自分の小指のけちな痛みのほうが心配なものだ。』それなのに、その痛みが一生続くとなった場合、人は正気を保てるだろうか。最後の一呼吸が終わるまで、弱音を吐かないか。

 


参考
『バッド・ルーテナント』youtube

 

『マン・ダウン』

『薬』を使うと何かと便利だ。だが、それによる代償は払うことになる。農薬を使えばどうなる。抗生物質は、殺虫剤は、合成界面活性剤は、そして軍隊は。身近に統合失調症を患った者がいる私には少しは彼の気持ちがわかる。彼も、優しい人だった。

 


参考
『マン・ダウン』youtube

 

『ピクセル』

eスポーツが世に浸透しつつあり、ゲーマーの賞金は1億円級も増えた。一方、オンラインゲームの世界と現実との区別がつかなくなり、依存症や育児放棄する人もいる。一つだけ言えることは、人間の想像力というものは無限ということだ。光も闇も生み出す。

 


参考
『ピクセル』youtube

『東京喰種』人間本位な人間は、自分たち以外の種は劣っていて、『脇役』だと思っている。そうじゃないと思う人がいるなら今すぐ『害虫』や『天敵』を駆除するのを止め、共生していくことだ。人もその他の種もすべて等しく、求めることは一つ。『生きる』ことだ。

 


参考
『東京喰種』youtube

 

『クリミナル 2人の記憶を持つ男』

人は誰もが『素晴らしい人生』を送りたいと願う。だが、どこかでボタンを掛け違え、それをそのままにしてしまい、時には最期を迎える。忘れてはならない。人はいつでもやり直せる。そして人生はたった一度だけだ。

 


参考
『クリミナル 2人の記憶を持つ男』youtube