『ヒト』を最適化しよう。

『ベルリンの壁』も『ソ連』も崩壊!アメリカ一強時代への突入は『歴史の終わり』なのか、それとも。

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。
では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。

先生

いくつか質問があるんだけど、わかりやすく簡潔に教えて!

  1. ペレストロイカって何?
  2. グラスノスチ(情報公開)って何?
  3. 冷戦はどうやって終わったの?
  4. ベルリンの壁はどうやって崩壊したの?

1.『ソ連の崩壊を防ぐための対策』でにゴルバチョフ大統領が考えた政治改革です。

2.ペレストロイカの内容の一つです。

3.1989年12月2日から12月3日にかけての『マルタ会談』で話がつきました。これをもって、44年間続いた東西冷戦は終結しました。

4.冷戦が終わってソ連が弱体化した後『東欧革命』が起き、その流れで崩壊しました。

ハニワくん

なるへそ!
も、もっと詳しく教えてくだされ!

博士

1964年からのソ連最高指導者ブレジネフの時代で、米ソ両国は国際的な影響力と権威を大きく失ってしまっていました。

1985年、ソ連の大統領ゴルバチョフは、『ペレストロイカ』という政治改革によってソ連の崩壊を防ごうとします。そんな最中の1986年4月26日、チェルノブイリにある原子力発電所で原発事故が起きます。ここでペレストロイカにある『グラスノスチ(情報公開)』はここで役に立ちます。しかしそれは真理の面から見て、ということであり、ソ連自体はその情報公開によってダメージを受けることになりました。

 

結局威信を無くしたソ連は、もはやアメリカと冷戦をするだけの勢いもなく、1989年12月2日から12月3日にかけてのアメリカのレーガン大統領との『マルタ会談』で冷戦終結を決断。これをもって、44年間続いた東西冷戦は終結しました。この裏にはイギリスの首相マーガレット・サッチャーの存在もありました。ソ連が冷戦を終わらせたいと考えていたことを察知した彼女は、裏で活躍。したがって、

 

  1. レーガン(アメリカ)
  2. ゴルバチョフ(ソ連)
  3. サッチャー(イギリス)

 

の3人は、『冷戦体制崩壊三人組』と呼ばれました。冷戦終結には彼女の尽力も影響していたのです。それと同時期に、『東欧革命』が起き、ソ連に圧迫されていた人々が立ち上がります。東ドイツでは『ベルリンの壁』がついに崩壊し、1990年には東西ドイツの統一が達成されました。ゴルバチョフは、

 

もうソ連は引き上げ時だ

 

と言わんばかりに、解放された後にソ連共産党を解党させ、自身もソ連大統領を辞任し、ソ連は完全に解体したのです。ここからソ連は現在の『ロシア連邦』へと変わっていきます。ソビエト連邦崩壊により世界規模のアメリカの覇権(パクス・アメリカーナ)が成立し、当時はこれを歴史の終わりと見る向きも現れました。

うーむ!やはりそうじゃったか!

博士

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!
更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

先生

ブレジネフ政権の停滞

『ベルリンの壁・ソ連崩壊』

スターリンが死去するも、スプートニク・ショックにキューバ革命が勃発!危機を乗り越え『デタント(緊張緩和)』できるか?

 

上記の記事の続きだ。アメリカはベトナム戦争の失敗における影響を大きく受け、かつてのような絶対権力国ではなくなっていった。

 

そんな最中の1953年、ソ連の独裁者スターリンが死去。時期的には『朝鮮戦争』の最中にこの世を去っていた。スターリンは1930年代後半の大粛清で自分に反対する人間を60万人も処刑したと言われる典型的な独裁者で、あのヒトラーやムッソリーニに匹敵するほどの存在感だったため、これをきっかけに事態はいい方向に転換。1955年、スイスのジュネーヴで、『ジュネーヴ4巨頭会談』が行われ、1964年から、ソ連ではブレジネフの長期政権となっていた。

 

体制自体は安定していたが、経済は停滞し、政治腐敗も進んで、軍事費が財政を圧迫していた。1979年から親ソ政権維持の為にアフガニスタンへ侵攻し、あわや『新冷戦』の構図も浮上しかけたが、結局この頃すでに米ソ両国は、国際的な影響力と権威を大きく失ってしまっていたのだ。

 

 

ゴルバチョフ政権の改革

[ロナルド・レーガン(右)とともにINF全廃条約に署名するゴルバチョフ]

 

ペレストロイカ

1985年、ソ連の大統領ゴルバチョフは、『ペレストロイカ』という政治改革を進めていた。ロシア語で『建て直し』『再建』を意味するペレストロイカは、簡単に言えば『ソ連の崩壊を防ぐための対策』である。前述までの流れを見ればわかるように、停滞、低迷していたソ連にはこうした改革が必要だったのだ。考えられた対策は主に以下のとおりである。

 

ペレストロイカの内容

  1. 計画経済の停止と市場経済の導入
  2. 共産党の一党支配の否定
  3. 民主的選挙の導入
  4. 大統領制の導入
  5. 新思考外交による東西緊張の緩和
  6. 東欧の衛星国に対するソ連の指導性の否定(シナトラ・ドクトリン)
  7. グラスノスチ(情報公開)による思想言論報道などの自由化

 

 

グラスノスチ

そんな最中の1986年4月26日、チェルノブイリにある原子力発電所で原発事故が起きる。日本では東日本大震災の『福島第一原子力発電所』の事故が有名だが、ソ連国内でも原発事故が起きてしまっていた。しかし、ゴルバチョフのペレストロイカにある『グラスノスチ(情報公開)』はここで役に立つことになるわけだ。

 

[1988年に発行された、ペレストロイカとグラスノスチを宣伝する切手]

 

だが、ここで言う『役に立つ』というのは真理の面から見て、公明正大なジャッジができるようになったということであり、その情報公開によってソ連はダメージを受けることになる。だが、もしグラスノスチの発想がなく、それを隠ぺいして、後で事件が発覚しようものなら、それ以上の損害を被っていたのだ。ソ連の威信は、『チェルノブイリ原発事故』&『グラスノスチ』によって低下した。しかし、グラスノスチがなければもっと低下していたということだ。

 

『失敗をすぐに認められるか、それとも隠蔽するかで人間の価値は決まる。』

 

 

マルタ会談

こうしてソ連は威信を無くし、1989年12月2日から12月3日にかけて、地中海のマルタでアメリカ合衆国(ジョージ・H・W・ブッシュ)とソ連(ミハイル・ゴルバチョフ)両国の首脳会談『マルタ会談』が行われ、これをもって、44年間続いた東西冷戦は終結した。

 

[マルタ会談にて、ジョージ・H・W・ブッシュ(手前右)と会談するゴルバチョフ(手前左)]

 

 

冷戦体制崩壊三人組

マルタ会談にはいないが、冷戦終結に貢献した重要人物がいた。1984年にイギリスの首相となった、『鉄の女』マーガレット・サッチャーである。当時、まだソ連の共産党第二書記長だったゴルバチョフとロンドンで会談した彼女は、

気に入った。彼とは話ができる。

 

と、アメリカ大統領レーガンに伝えた。サッチャーは、ソ連が冷戦を終わらせたいと考えていたことを察知し、裏で活躍していたのである。したがって、

 

  1. レーガン
  2. ゴルバチョフ
  3. サッチャー

 

の3人は、『冷戦体制崩壊三人組』と呼ばれるようになる。

 

[アメリカのロナルド・レーガンとともに(1981年)(中央右)]

 

MEMO
1976年、ソ連の新聞『赤い星』は、サッチャーを『鉄の女』と呼んで批判されるが、彼女はこの異名を気に入り、後にこれが彼女の代名詞となった。

 

 

東欧革命(ベルリンの壁崩壊)

それと同時期に、『東欧革命』が起きる。これはソ連が、経済危機に伴う国力の低下によって東ヨーロッパでの影響力を弱めたことを背景に、1980年代末市民や労働者によって共産主義政権が次々と倒された一連の民主化革命であり、

 

  1. 1989年11月のベルリンの壁の崩壊
  2. 12月のルーマニアの政変
  3. 同月のチェコスロバキア共産党の一党支配の崩壊
  4. 90年9月のポーランドの非共産党系内閣の誕生

 

などをいう。東ドイツではあの『ベルリンの壁』がついに崩壊し、1990年には東西ドイツの統一が達成されたのだ。世界的に民主化が活発していた流れを受けて、こうしてソ連も民主化に至った。

 

[クレーンによって撤去されるベルリンの壁(1989年12月21日)]

 

そして、その影響で、

 

  1. ハンガリー
  2. ブルガリア
  3. チェコスロヴァキア
  4. ルーマニア

 

などで共産党独裁体制が崩壊し、市場経済と民主主義の国に移行した。さらに、それまで抑圧されていた連邦内の諸民族の意識が呼び覚まされ、バルト海の東岸、フィンランドの南に南北に並ぶ3つの国『バルト三国(エストニアラトビアリトアニア)』が独立を宣言。時系列的には、これが89年の8月だから、この後に『マルタ会談』が行われることになる。バルト三国はソ連の支配下にあった国だ。この独立によってソ連はその形を維持することができなくなる。

 

 

ソ連解体

また、その最中に、共産党の幹部はゴルバチョフを軟禁し、自分たちの権力が失われることを恐れ、ソ連が『社会主義』の看板を外すことを阻止したが、ロシア共和国大統領エリツィンがそのクーデターを治め、権力を握り、ロシア共和国がソ連から独立を宣言する。ゴルバチョフは、

 

もうソ連は引き上げ時だ

 

と言わんばかりに、解放された後にソ連共産党を解党させ、自身もソ連大統領を辞任し、ソ連は完全に解体したのであった。

 

MEMO
ベルリンの壁には、東ドイツの首相ホネカー(右)と、当時のソ連最高指導者ブレジネフがキスをしているグラフィティアートがある。ホネカーは東欧革命後、ゴルバチョフの忠告にも耳を貸さず、国家評議会議長の座から引きずり降ろされた。ベルリンの壁が崩壊したのはその一か月後である。

 

 

『アメリカ一強』時代

こうして世界は、

 

  1. アメリカ
  2. ソ連

 

の2強時代を終え、『アメリカ一強』時代に突入する。ロシア初代大統領エリツィンは、資本主義体制へ急速に舵を取り、ロシア経済の停滞と混乱を招くが、現在も大統領であるプーチンの政権になると、資源輸出を利用して経済を回復させ、再び強国ロシアへと力をつけ始めている。

 

Wikipediaにはこうある。

1991年12月25日、ソビエト連邦崩壊により、ロシア共和国が連邦から離脱しロシア連邦として成立、エリツィンがロシアの初代大統領に就任した。また、ソビエト連邦崩壊により世界規模のアメリカの覇権が成立し、当時はこれを歴史の終わりと見る向きも現れた。ロシア連邦は、ソ連構成国の連合体である独立国家共同体 (CIS/СНГ) 加盟国の一つとなった。ロシア連邦は、ソビエト連邦が有していた国際的な権利(国連安保理の常任理事国など)や国際法上の関係を基本的に継承し、大国としての影響力を保持している。

 

[1993年、アメリカ合衆国大統領のジョージ・H・W・ブッシュと]

 

アメリカはソ連が転落したおかげで一強の地位を得て、世界一影響力のある国となった。ちなみに2018年のGDPはこうなっている。

 

順位 名称 単位: 10億USドル 前年比 地域 推移
  合計 84,633.15
1位   アメリカ 20,494.05 北米 アメリカの推移
2位   中国 13,407.40 アジア 中国の推移
3位   日本 4,971.93 アジア 日本の推移
4位   ドイツ 4,000.39 ヨーロッパ ドイツの推移
5位   イギリス 2,828.64 +1 ヨーロッパ イギリスの推移
6位   フランス 2,775.25 +1 ヨーロッパ フランスの推移
7位   インド 2,716.75 -2 アジア インドの推移
8位   イタリア 2,072.20 +1 ヨーロッパ イタリアの推移
9位   ブラジル 1,868.18 -1 中南米 ブラジルの推移
10位   カナダ 1,711.39 北米 カナダの推移
参考 世界の名目GDP(USドル)ランキング世界経済のネタ帳
GDP
国内総生産。つまり、国内で産み出された付加価値の総額。トヨタ車を1億台売って、大金を得たとか。
あの時、戦後の日本が『高度経済成長ができた真の理由』とは?

 

ロシアは10内にも入っていないことがわかる。そしてアメリカの一強というのが、経済面からも見て取れるのである。2019年現在のアメリカ大統領はトランプ。

 

  1. 文明間の対話こそが必要
  2. 強いアメリカを誇示しながら力の政策を推進せよ

 

という意見の間で揺れている。

 

 

 

 

該当する年表

年表で見る人類の歴史と映画一覧[宇宙誕生~紀元前2500年編]

参考文献