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史上初の世界帝国『アッシリア』と、その滅亡から学んだ大帝国『アケメネス朝ペルシャ』

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。
では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。

先生

世界初の世界帝国はどこ?わかりやすく簡潔に教えて!

紀元前7世紀の前半、セム語系遊牧民アッシリア人が打ち立てた『アッシリア帝国』です。

ハニワくん

なるへそ!
も、もっと詳しく教えてくだされ!

博士

ティグラト・ピレセル3世が帝国の基礎を作り、アッシュル・バニパルの時代に最盛期を迎えます。

アッシュル・バニパルは楔形文字について造詣が深く、『文化王』の名にふさわしい知性を持ち合わせていましたが、同時に持っていた側面が『残酷性』でした。彼の統治はあまりにも残酷であり、抵抗した国家を徹底的に破壊していくき、支配に逆らう民族を容赦なく虐殺していきました。このような圧政によって諸民族の反乱を受け、アッシリア帝国は100年程度で崩壊することになります。滅亡は紀元前609年だと言われています。

 

史上初の世界帝国アッシリアは、

 

  1. エジプト
  2. リディア
  3. メディア
  4. 新バビロニア

 

の4つに分断。それを紀元前525年にペルシャ人が『アケメネス朝』としてこれを統一します。そこからアレキサンダー大王が支配する紀元前330年頃まで、アケメネス朝ペルシャがヨーロッパの覇権を握ることになります。両方とも現在の中東近辺(アッシリア=イラク、ペルシャ=イラン)エリアの国です。

うーむ!やはりそうじゃったか!

博士

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!
更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

先生

史上初の世界帝国

アッシリア・アケメネス朝ペルシャ

アルファベットの起源は?紀元前13世紀頃に生まれた『様々な世界初』を見てみよう

 

上記の記事の続きだ。このようにして『エジプト文明』は紀元前30世紀頃に作られ、実に2500年もの間繁栄を続けた。しかし、勢力を強めたアッシリア帝国に支配され、紀元前6世紀ごろにアケメネス朝のペルシャによって滅ぼされることになる。また並行してエジプトは、7世紀あたりからヘレニズムとローマ帝国の領域となり、イスラム圏に飲み込まれていく。

 

ローマ帝国を力づくで作った時、帝国内の『宗教観の違い』の問題はどうクリアした?

 

上記の記事に書いたように、ローマ帝国は紀元前800年頃から作られ始める。つまり、

 

  1. ローマ帝国
  2. アケメネス朝ペルシャの帝国

 

という2代帝国が、現在のヨーロッパや中東地域で頭角を現していた。冒頭の記事のつながりで、まずは『アケメネス朝ペルシャ』について見てみよう。実は、世界初の世界帝国は、この『アケメネス朝ペルシャ』の帝国である。その前にまず覚えるキーワードは、『オリエント』である。

 

 

オリエント

オリエント 中東一体

 

オリエントというのは現在で言う『中東』の一体のことだ。西はエジプト、東はインド地域あたりの広範囲を『オリエント』と言った。だがこのオリエントという言葉は、実は差別用語に近いものがある。『オリエンタリズム』の意味を見てみよう。

 

オリエンタリズム
世界を西洋と東洋に分けて考える考え方。トルコから日本を含めた東洋(オリエント)を馬鹿にし、ヨーロッパを世界の中心と考える傲慢。

 

[ウジェーヌ・ドラクロワの「アルジェの女達」。退廃的で官能的でもある、この作品は西ヨーロッパ人の持った東方世界のイメージの現れ]

 

つまり、オリエントというのはまずヨーロッパが世界の中心にあり、『それ以外の地域』のことを指す言葉として生まれている言葉でもある。しかし、その2代帝国が2つとも近隣にあることを考えてもわかるように、『そこから東の方』は、あまり重要ではない地域だと考えられていたのである。

 

 

『極東の国』日本

日本ともなると『極東の国』などと言われる。『極めて東にある国』のことだ。北極、南極と同じように、『東の果てにある』というぐらい、彼らからしたら遠く離れた国のことになる。それが何となくわかるワンシーンがある。かつてイスラム国を名乗るテロリストが日本人2人を監禁し、身代金を要求したとき、日本の安倍総理は断固としてそれを断った。しかしテロリストは日本人を殺害してしまい、このような内容の声明を出した。

 

テロリスト

日本は遠い国だが、これでテロの標的になってしまった。

 

全文は覚えていないが、確かに内容はこうだった。つまり彼らにとって日本という国は、『無関係と思えるほど、遠い国』という認識があったのだ。しかし、身代金を断られたことで敵視しなければならなくなったと。そういう声明を出したわけだ。この事件からわかったのは、彼ら中東の地域に住んでいる人々が、日本という国について感じている『距離感』だった。当時の人は今以上に『東の国』に対し、違う世界を見るかのような感覚を持っていたのだろう。

 

 

アッシリア帝国

さて、とにかく当時は『オリエント』という言葉が使われていた。それらの地域では様々な王国の勃興が続いていたが、紀元前7世紀の前半、セム語系遊牧民アッシリア人が、

 

  1. シリア
  2. バビロニア
  3. パレスチナ
  4. エジプト

 

を統一し、世界帝国を打ち立てた。アッシリアがオリエントの統一王朝を成し遂げたのである。『アッシリア帝国』を作り始めたのは、ティグラト・ピレセル3世(在位:紀元前744年 – 紀元前727年)』の時代からである。彼がシャルマネセル3世の死後弱体化していたアッシリアの王権を強化し、シリア、バビロニアなど周辺諸国を攻撃して領土を広げアッシリアの最盛期と言われる時代の端緒を開いた。

 

[アッシリア王アッシュールバニパル(在位:紀元前668年 – 紀元前627年頃)の浮き彫り(ロンドンの大英博物館蔵)。]

 

アッシリアの重要人物

  • ティグラト・ピレセル3世
  • サルゴン2世
  • アッシュル・バニパル

 

全盛期はティグラト・ピレセル3世の治世からアッシュル・バニパルの治世までの100年だ。この間にアッシリアは歴史上空前の政治的統合体を作り上げることになる。

 

 

帝国崩壊

このアッシュル・バニパルは、アッシリア帝国の最盛期を飾るサルゴン朝の最後の王であり、楔形文字について造詣が深く、『文化王』の名にふさわしい知性を持ち合わせていた。だが、同時に持っていた側面が、『残酷性』である。彼の統治はあまりにも残酷であり、抵抗した国家を徹底的に破壊していくき、支配に逆らう民族を容赦なく虐殺していった。このような圧政によって諸民族の反乱を受け、アッシリアはついに崩壊することになる。

 

 

そして間もなく史上初の世界帝国アッシリアは、

 

  1. エジプト
  2. リディア
  3. メディア
  4. 新バビロニア

 

の4つに分断されることになってしまう。

 

MEMO
リディアは、世界最古の金属貨幣を作った。人類のお金の歴史の始まりである。

 

またこの新バビロニアは、ユダ王国というユダヤ人の国を滅ぼし、その時に多くのヘブライ人(ユダヤ人、イスラエル人)が捕囚された。これが、歴史的に有名なキーワードである『バビロン捕囚』である。

 

なぜユダヤ人はいつでもどこかと問題を起こしているのか?

 

 

アケメネス朝ペルシャ

しかしこの後、ペルシャ人が『アケメネス朝』としてこれを統一することになる。紀元前525年のことである。このペルシャというのは、もともと『メディア』に属していた。メディアの王であったカンビュセス1世とメディアの王女マンダネは、『キュロス(2世)』をもうける。このキュロスは、メディアを打倒し、イラン高原で覇権を確立。そして、

 

  • リディア
  • バビロニア

 

を滅ぼし、ついに西アジア世界を包み込む大帝国の支配者となる。これが『アケメネス朝』の始まりである。

 

MEMO
古代ギリシャ語では『ハハマーニュ朝』。

 

 

アッシリアを反面教師に

アッシリア時代には、アッシュル・バニパルの残虐性のせいで帝国が破綻した。だから『アケメネス朝ペルシャ帝国』では、キュロス2世を筆頭に、各代の王が、それを反面教師にして穏便な政治を行った。

 

アケメネス朝ペルシャの王

  • 初代:キュロス2世
  • 2代目:カンビュセス2世
  • 3代目:ダレイオス1世

 

参考 キュロス2世Wikipedia

 

このキュロスという人物は多くの人々から支持を得ていた。彼はペルシャの反対勢力を討伐することにいっぱいいっぱいで、あまり大きな功績は残せなかったのだが、それにも関わらず彼が『理想の君主』と讃えられるのは、彼が寛容な態度で政治を行ったからだという。旧約聖書では、キュロスが先ほどあったバビロン捕囚に遭ったユダヤ人に帰還、そしてエルサレム神殿の再建を許したことから、メシア(救世主)と讃えてさえいるのである。

 

[アケメネス朝の最大勢力域]

 

STEP.1
アッシリアがオリエントの統一王朝を成し遂げた
史上初の世界帝国が誕生。
STEP.2
しかし無茶な政治のせいで帝国が破綻
アッシュル・バニパルの残虐性のせいで帝国が破綻する。
STEP.3
キュロスがまた統一し直す
『アケメネス朝ペルシャ』の誕生。
STEP.4
カンビュセス2世がオリエントを統一
紀元前525年。2代目アケメネス朝ペルシャの王。
STEP.5
ダレイオス1世が最大版図を築く
3代目アケメネス朝ペルシャの王。更に、インド北西部からギリシャの北東にまで勢力を伸ばす。

 

参考 ダレイオス1世Wikipedia

 

 

最盛期のダレイオス1世

このダレイオス1世というのは、キュロス2世の娘と結婚することになる。しかし、2代目カンビュセス2世が死亡したあと、アケメネス朝は内乱に陥り、それを収めて帝国を再統治いつする必要があった。ダレイオスは9人もの王を打ち倒し、それを成し遂げたのだ。ダレイオスは、『サトラップ』という知事に、州に分けさせた帝国を監視させ、更にサトラップ自体を、

 

  • 王の目
  • 王の耳

 

という役職を設け、彼らに監視役をさせ、巨大帝国の秩序を保った。また、『王の道』という道路網も整備した。当時の環境で考えられる、様々な工夫によって帝国を統治しようとしたのである。

 

 

ペルシャ戦争

その後ダレイオスは、更に領域を拡大しようとする。

 

STEP.1
インダス川流域を侵攻
STEP.2
トラキア、リビアなど周辺諸地域を侵攻
STEP.3
黒海北方のスキタイ遠征は失敗する
STEP.4
ミレトスを中心にイオニア諸都市が反乱を起こす
STEP.5
それを支援したアテネを侵攻すると決断
ギリシャ本土への遠征を決意する。
STEP.6
ペルシャ戦争の開幕
紀元前500年。

 

こうしてギリシャとの有名な戦い『ペルシャ戦争』が始まるのである。

 

STEP.1
1度目の遠征
暴風雨にあって撤退。
STEP.2
2度目の遠征
紀元前490年。マラトンの戦いに敗れ、撤退。

 

 

ギリシャとの戦い

しかし、ペルシャはペルシャ戦争には敗北するが、その後『ペロポネソス戦争』などの戦争に介入するなどして、ギリシャへの勢力拡大は狙い続ける。例えば、アケメネス朝の4代目の王、『クセルクセス1世』は、父親であるダレイオスの意思を次いでペルシャ戦争を再開させる。170万人の歩兵と10万人の騎兵および1207隻の艦船からなる大軍を率いて、『テルモピュライの戦い』に勝つ。その後、アテネに無血入場を果たすが、サラミス湾で艦隊が敗北し、撤退を余儀なくされた。

 

[ジャック=ルイ・ダヴィッド『テルモピュライのレオニダス』]

 

テルモピュライの戦いは、紀元前480年。マラトンの戦いの10年後だ。この戦いについては、映画『300』の舞台となったことでも有名だ。ギリシャのスパルタはカルネイア祭によって全軍を出仕できず、レオニダス王率いる先遣隊300のみを派遣した。つまり、レオニダス率いるスパルタ軍300人の精鋭たちが、100万人以上のペルシャ軍を相手に、戦いを挑む雄姿を描いた映画だ。不気味で巨大なペルシャの王、クセルクセスも見ることができる。

 

いわゆる『スパルタ教育』がどうとか言って騒いでいる現代人には、およそ彼らの境地に到達することはできないだろう。生きるために強くなければならなかった。スパルタ軍の男たちの生きざまを、この映画で十分に想像することができる。

 

 

その後ペルシャは先ほどあった知事である『サトラップ』らの反乱などの影響もあり、衰退していくことになる。そして、紀元前330年、ギリシャ地域にあるマケドニアのアレクサンドロス3世によって、滅亡することになる。これが、史上初の世界帝国アッシリアから、オリエントを再統一したアケメネス朝ペルシャの歴史だ。紀元前700年頃~紀元前330年頃までの話である。

 

 

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参考文献