『ヒト』を最適化しよう。

ガープ『愛ある拳は防ぐ術なし!!』

昨日『Fns歌謡祭』を、仕事の片手間に観ていた。だが、もちろん仕事があるし、随分前から邦楽に見入ることはないので、あくまでも片手間で、BGM程度につけていたのが本音だ。SMAPをはじめとする有名なアーティストが次々と歌を歌う。カッコよく歌う人。うまく歌う人。気取って歌う人。クールに歌う人。もちろん、自分の歌だけを聞きに集まっているわけじゃないから、選曲も歌謡際にふさわしいものにしていることもあるだろう。

 

いろいろな人が、誰もが知っている名曲を歌う。だが、私はやっぱり、BGM程度にしか観ることが出来なかった。もちろん、テレビのサイズや音量も大きく関係している。それが大きくなればなるほど、感動は大きくなる。

 

I(想像力)×V(臨場感)=R(リアリティ)

 

の方程式を見ても分かるように、リアリティ(現実味)が大きければ大きいほど、心に響くのだ。ちなみに、私が毎週映画館で映画を観る理由は、この方程式が根底にあるからである。

 

仕事場のテレビは、小さい。だから、映画を観ても、こうした音楽番組を観ても、あまり響かない。そういう理由も、BGM程度にしか聴こえなかった理由の一つでは、ある。だが、一組だけ、私の身体を、パソコンからテレビに向かせたアーティストがいたのだ。『コブクロ』である。

 

私は別に、コブクロが好きなわけではない。むしろ、カラオケでも一回も歌ったことが無いし、曲も持っていない。だが、ある事情を持って表舞台から姿を消していた彼らの歌声には、私の身体を、その歌の真正面にきちんと向かせるだけの”力”が込められていた。彼らの今までの休養の原因は、コブクロのソプラノである小渕が、”発声時頸部(はっせいじ けいぶ)ジストニア”の病で、声が出なくなったことにある。実は昨日も小渕の声には、軽く症状が出ていたのだ。

 

以前のようなソプラノの美声を聴くことが出来なかった。だが、アルト担当の黒田がそれを全身全霊でカバーするかのように、今までに聴いたことのないソウルフルな歌声で、名曲『蕾』のサビを歌い上げたのだ。ゆず、EXILE、徳永英明、玉置浩二、ジャニーズ勢、久しぶりの浜崎あゆみ、歌の上手い人や、カッコよく歌う人、演出の派手な人はたくさんいた。だが、昨日のコブクロよりも歌を情熱的に歌えた人はいない。

 

彼らの歌には、『魂』が、そして黒田には『愛』が込められていた。そうじゃなければ、ファンでも何でもない私の心を、掴むことはなかっただろう。『恋』は奪うもの、『愛』は与えるもの。ファンの心を”奪って”気取る歌声には、もう私は響かない。だが、昨日のコブクロのように、ファンだとか、パートナーだとか、家族だとか関係なく、誰かの為に、魂を込めて、命懸けで歌う歌声は、おそらく過去未来永劫、人を感動させるだろう。

 

本来”歌”とは、そういう”儚く”て、”尊い”ものだったのではないだろうか。私は、歌は下手な方ではないという自負がある。だが、カラオケに行った時、必ず毎回上手いと言われるわけではない。聞き慣れた友人と一緒に行っていることも理由の一つではある。だが、そんな同じ状況でも、周りが私の歌を『上手い』と言うときの共通点がある。それは、私が気取らず、カッコつけず、はたまた、『歌いたい曲』や、『流行りの曲』なんかを歌わずに、『気持ちを込められる曲』を、歌った時である。

 

その時の私の顔はくしゃくしゃで、声を出すのに必死。見栄や体裁は一切ない。だから、”歌”に全神経が集中された。昨日のコブクロを聴いて、私はそれを思い出し、そして確信した。歌でも、教育でも、恋愛でも、人に気持ちを伝えるときに重要なのは、『情熱』、『魂』、そして、『愛』である。それが”本物”なら、相手の心がどれだけ無関心で、凝り固まっていても、必ず相手の真の髄に、突き刺さる。

 

いじめいじめと騒ぎ立てるが、何が『虐待』で、何が『教育』かって?答えは一つだ。

『そこに”愛”はあるのかい!?』

by一つ屋根の下

 

『愛ある拳は防ぐ術なし!!』

 

自分のことを考えているか、相手のことを考えているか、それだけが重点である。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
※画像は以下の参考文献から引用しています。
 
一言
この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。