『ヒト』を最適化しよう。

ゾロ『手柄はお前のもんだ…』

手柄は譲ってあげる方が、当然器が大きい。自分の私利私欲や手柄よりも人を優先する。 それが出来るのは、本当に器が大きいと言っていいだろう。 だが、元来『器が大きい』という概念は、 『鈍感力』にも似た概念であり、 些細なことを気にしない人間のことを指す、と専門家たちは口を揃える。 この世を生きようと思ったら、『些細なこと』、例えば『毎日の生計』を気にしなければ、 明日、あるいは一年後の家族、子供の人生を確保できない。 器が大きい人間というのは、 そういう状況になっても『ガッハッハ』と笑っていられる人間のことで、 こういう人間はあまり、この組み立てられた社会制度の中を生きていくには、 適していないかもしれない。

 

もちろん、ルソーのように社会制度自体に異議を唱え、 それによって『不自然な不平等が生まれた』という発想をする人間もいるのだから、 そもそも別に、社会制度に適していないことは、 =人ではない という考え方も、あながち一辺倒には出来ない。だからそういう人物が=器が大きい、 という考え方がまかり通るのだ。

 

私の話で言うと、 私は最初、そういう『ケチケチした人間』は大嫌いだったから、 金がないのに人におごったり、 相手になめられるのに相手に尽くしたりしていた。 その頃はやはり多くの『誤解』を生んでいたが、 定義上では、あの頃の方が『器が大きい』ということになるだろう。 私の場合、相手に恵まれなかった。いや、私の見る目が無かったという言い方が正しいだろう。 例えばこういうことがあった。私はボクシングジムに通っていたので、 通っていない人間に、教えてあげようと思った。男なら誰もが強くなりたいと思っていると同時に、 実際はジムの門を叩くほどの度胸や覚悟は備わっていないものだ。

 

そこで、私が『その壁』を取っ払ってあげようと思い、 例えばボディブローの練習で、 『みぞおち』を『相手のスキ』を突いて『全力』で殴る、 ということをしなかった。 した方が、私が『強者』で、相手が『弱者』という図式に甘んじることが出来る。 だが、それは器が小さいことを、私は知っていたのだ。 だから、初めてのボディブローの練習に怯えている相手を優しく緩和させ、 あえて『丈夫な部分』を『手を抜いて』殴り、 相手に『ボクシングに対しての免疫力をつけてあげる』ことに徹した。

 

すると相手はヘラヘラと笑いながら、 それでいて心底では恐怖を克服して強くなったような充足感に満たされていた。 だが、ある日のことだ。そんなことを知らない『教え子』の一人がこう言ったのだ。

『おるぁ!!耐えた!!いやー、今の結構全力だったっしょ!俺は耐えたけどね!』

 

伝わるかはわからないが、子供の様に調子に乗る相手。 それだけではない。 練習も休みが目立ったり、勘違いした態度、横柄な態度が増えた。 つまり、私は未熟な人間の未熟さを助長させてしまったのだ。思い上がらせてしまった。 そんなことなら、あの時『みぞおち』に強烈な一撃を入れて上下関係を作り、 教師と生徒というハッキリとした関係の中で、 自分から実力で這い上がるようなカリキュラム(教育課程)を作るべきだったと、 私は学んだのだ。 手柄を相手に譲るということは、容易ではない。

 

『ごくろうメガネ大佐 あいつに誰の後も追わせなかった 手柄はお前のもんだ…』

 

つまり、どんなに表層的には批判していようが、 心底の部分に信頼関係があることが、絶対条件なのだ。私がかつてやっていたのは、その逆だった。 表層的には相手に優しくしているように見えるが、 心底の部分では(お前には無理だ)と、見下していたのだ。 つまり、思い上がっていたのは私の方だったのだ。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV
※画像は以下の参考文献から引用しています。
 
一言
この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。