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スーザン・ウォルバートス『人生は、飽食か飢餓のどちらかだ。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

運営者

ふむ…。

考察

人が死ぬとき、『私はとても幸せだった』という人をよく見る。事実、私の父親は17歳の時に死んだが、そう言っていた。あるいは、

 

ちくしょう…来世では幸せになってやる

 

と言って、餓死したり、殺されたり、理不尽に死んだりする人もよくいる。だが彼らは、本当に幸せで、本当に不幸だったのだろうか。美化・正当化ではなくて?被害者ヅラではなくて?なぜ『普通だった』と言って、死なないのだ。私はここに、人生のヒントが隠されていると睨んでいる。

 

私は、私の人生の為、そして子孫の為、あるいは他の人の為に、父親の死の話をありのまま実験材料的にここで話す。それが出来るのは家族である私しかできないし、父も、死んだ自分が有効活用されることを望むだろう。私とてそれは同じことだ。自分の人生がヒントになって、子孫の人生が強化されるなら本望である。

 

もしかしたら『二つ』とも、『思い込み』なのではないだろうか。

 

思い込み

 

仏教の開祖釈迦(ブッダ)は言った。

『執着してはならない。』

『諸行無常だ。』

 

と。『諸行無常(しょぎょうむじょう)』とは、この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。

 

あるいはソクラテスは言う。

『わたしは、善いことかもしれない死を、はじめから、よくわからないのに恐れて逃げることは絶対にしない。』

 

もしかしたら人間は皆、『人生を過大評価している』か、あるいは『死ぬことを過小評価している』のかもしれない。

 

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

Check

こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

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