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マザー・テレサ『いまの世の中、人間が人間を見捨てているのよね。親が子を、子が親を、兄が弟を、友が友を、隣人が隣人を。』

偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け

運営者

ふむ…。

考察

今広がっている常識について、どう考えているだろうか。『正しい』と認識しているだろうか。それとも『間違っている』と認識しているだろうか。浮浪者がその辺に住みついていることについて、どう考えているだろうか。見て見ぬフリをしているだろうか。(邪魔だな)と思っているだろうか。

 

自殺する人はどうだ。虐められている人はどうだ。事故は、事件は、被災者は、被害者は、この世で巻き起こる、ありとあらゆる災難や不正について、どう考えて、どう結論付けているだろうか。

 

ブッダの言葉の超訳とした書いた、

ブッダ

 

という記事がある。そこに出て来る親と息子は、食卓を囲んできちんと食事をしていた。だが、その息子は日本の歴史に残る、凄惨な事件の加害者となった。私がクリスチャンの母親に対し、

 

キリスト教の教えは隣人を愛することだろ。それを守っているのか?いないならクリスチャンだと言えるのか?

 

と投げかけると、母は考え込んでいたようだが、私が次の日の朝、隣の大きな家に住む資産家の住人に、主体的に挨拶をしているのを、二回の窓から偶然見かけた。

 

壁の向こうの住人の表情も、私からは見えた。住人は挨拶を返したが、怪訝な顔をしていた。それは、その挨拶が普段行われていない証拠であり、隣人と我が家の心の距離が、離れている証拠だった。

 

マザー・テレサが言いたいことはわかる。だが、マザー・テレサの言う様な社会は、もう来ないかもしれない。それは、幸せなことなのだろうか。宗教がいらない世界とは、それだけ平和な世界になった証拠だという見解がある。多様性が広がり、生活が豊かになり、技術が進化し、平和を取り戻し、治安が良くなり、隣人と距離が空き、コミュニティが片寄るということは、どういうことなのだろうか。

 

コミュニティ

 

人間を、より排他的にさせる方向へと傾いているのだろうか。今ある国や言語や宗教の多様性は、正しい姿なのだろうか。『聖戦』は?テロリズムは?彼らは正しいのか。それとも、間違っているなら、どうやって止めるのか。空爆するしかないのか。抹殺して、排除してしまうしかないのか。『負の連鎖』は生まないか。しかし、それを見過ごしても、多くの人の命が奪われるのだ。

 

マザー・テレサは『今の世の中』と言うが、キリスト教や仏教が出来た2000年以上前の時代は、奴隷制度が当たり前の様にあった。それを直視した人間の感情が、『宗教の誕生』に深く関係していると言われているのだ。

 

 

マザー・テレサよ。では、その時代の人々はどうだったのだ。奴隷にされていた人々は?理不尽な身分差別で苦しむ人々は?人間が人間を見捨てていたことにはならないのか?

 

今に始まった話ではない。遥か昔から、そして未来永劫に至るまで、人間は、人間を救うことは出来ない。だが、マザー・テレサの次の言葉なら、何とか我々にもやれそうだ。

 

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

Check

こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。

 

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