偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
『道を踏み外して、その後更生した人よりも、もともと道を踏み外すようなことをしなかった人の方がえらいに決まっています。でも残念なことに、そういう人には日常ほとんどスポットが当てられません。学校でも同じです。そして、それが毎日まじめに生活している人に自己の存在価値への疑問を抱かせ、時として、マイナスの思考へと向かわせていく原因になっているのではないでしょうか。』
by『告白』
いや、人としての『偉さ』というものは、そのような考え方では決まらない。例えば実際に、物心がついたときには、実の兄が警察にショットガンを口に突っ込まれ、あるいは知らぬ間に犯罪の片棒を担いでいた、ということがあるのだ。そういう人間は当然、『道を踏み外した』ことになる。しかし、そこに『意識』はないのだ。そして、自我が成長し、『意志』を得て、自分がやっていることの善悪について考えられるようになり、規範意識が磨かれ、自分の生きるべき道を再考し、人生を更生することを決意した。
だとしたら、そこにいる人間は、『偉い』。とても偉い。
ルソーは言った。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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