偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
信仰や宗教について考え抜き、時には激しく怨んで心をかきむしられた私には、この言葉の意味が手に取るようにわかる。宗教が生まれた一つの背景には『奴隷制度』を直視した当時の人間の感情が深く関係していると言われているのだ。ここでいう『不幸な人』である。『幸せでない人』というのは、幸せだと思っていない人、ということだ。前述した『不幸な人』のことを考えたら、どうして自分が『幸せではない』というのだ。
こういう言葉がある。
『刑務所の鉄格子の間から、二人の男が外を見た。一人は泥を眺め、一人は星を眺めた。』
そして、『幸せな人』にも信仰が必要だというところが、いかにも人間らしさが明らかになるワンシーンである。キリスト教の『7つの大罪』には、
- 傲慢
- 強欲
- 怠惰
- 憤怒
- 嫉妬
- 暴食
- 色欲
があるが、その7つがピークを迎えるのは、往々にして『幸せな人』のタイミングだ。もちろんここで言う『幸せな人』というのは『清貧』という言葉の意味を知らない人間の言う、『幸せな人』のことである。『祈る』ことで人は目の前の『地獄』から解放され、平凡な日々が幸せだということを思いだし、傲慢な人生の成れの果てが破滅だということを思い知るのだ。そういう意味でも、信仰は必ず必要だ。
だが、それを踏まえたうえでも私は、生涯無宗教で生きる。しかしフンボルトはそんな私を見て、『あなたは立派な信仰者ではないか。』と言うのかもしれない。
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※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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