偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
私は『金持ち連中の軽蔑』も、『恵まれない人の視線』も、結局単なる『他人の生き様』にしかすぎないと考えている。確かにジードの言う様な見解はある。恵まれない人の視線は、写真だけでも、心の奥底に突き刺さり、記憶から離れない。彼らが向けられたレンズに対し、どのような思いを馳せているかはわからないが、他人からの恵みを期待しなければ生きていけない人生とは、それを強いられない限り、一生理解することはできないだろう。
それに比べて、ここで言う様な金持ち連中は、とかく拝金的である。だからこそ、歪んでいるし、見失っている。そんな虚像のヒエラルキーを盲信した彼らの、上から目線など、無に等しい。だから見下すなら逆に、見下し返して終わりだ。
しかし、書いていてもわかることなのだが、彼らは『他人』なのである。つまり『自分ではない』。我々は、唯一無二のたった一度の人生を生きているわけで、彼ら他人が、恵まれているとか、恵まれていないとか、そういうことは『自分が勝手に判断している』かもしれないのだ。だとしたらその感情は『偽善』であり、『嫉妬』である。
私は、10倍の速度で歳をとり、親よりも早く亡くなってしまう数奇な奇病を患って命を落とした、一人の女性の人生を見た。彼女は必死に生きていた。大好きなペットショップで働くことも出来たし、遠い異国にいる、自分と同じ運命を背負った男性に恋もしていた。彼女の人生が『かわいそう』などと、誰一人として決めつけることは出来ないのではないだろうか。そう考えると、一見すると『恵まれない人』に心を動かされ、特別扱いする自分には良心が満ち溢れているという錯覚に陥るが、実は本当に良心に満ち溢れている人間とは、『軽蔑する金持ち連中』の方にさえ博愛の気持ちを抱くことができる人間である。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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