偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
私も10代の頃は、達者な口で相手を言い負かそうとして、無駄にベラベラと喋っていた時期があった。何よりも先に口を動かし、身内はそれで笑わせらせるからいいが、自分のことを知らない人間、あるいは、別にお喋りを求めていない、という価値観の人間には、自分の価値は常に低く見積もられていた。あるいは、お喋りな人間は他にもたくさんいて、例えば口喧嘩となると、『最終的に相手を殺すことが出来るか』とか、『最終的に自分がこの喧嘩で刑務所にいく覚悟があるか』という、その覚悟の有無によって、勝敗が決まるという事実が判明してしまった。
しかし、ほとんどの人は、その覚悟がない。だからそういう人々は、いくら口が達者でも口喧嘩が弱く、覚悟が決まった人間に勝つことはできない。何しろ、『だったらテメエ、やってみろよ』と煽られたとき、『やったらテメエもやれよ?』と言って、自分の小指を切り落とし、それを見て、それに引かずに有言実行できる人間は、ごくごく稀である。
つまり、元々『口喧嘩』をしようと思ったことが間違いなのだ。その延長線上は、虚無なのである。誰も得をしないのだ。喧嘩に勝つことを突き詰めた場所には、相手を殺し、自分の指を切り落とし、自分が刑務所に入ることを覚悟する自分がいるのである。
寡黙な人がいる。もしかしたら彼はかつて、お喋りだったのかもしれない。そして知ったのだ。多くの人は、無知であるということ。そして、その場の見栄や虚勢に支配され、引くに引けなくなって、気が付いたら魔が刺し、後悔する生き物だということ。自分の為にも、相手の為にも、まるでそこで燃え上がった一時的な『ボヤ』を鎮火させるように、心を鎮めなければならない。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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