偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
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考察
一見すると、確かにそこに反論の余地がないように思える。事実、ないと思っていた時代が私にもある。だが、世界的に著名なアメリカの細胞生物学者でありウィスコンシン大学医学部やスタンフォード大学医学部で教鞭をとる、ブルース・リプトン博士の著書、『思考のすごい力』にはこうある。
人間の暴力は、生命維持に必要な分を超えた所有物の獲得や、ドラッグの取引と関連していることのほうが多い。ドラッグは人間自らがつくりだした悪魔の様な世界から逃避する為のものだ。また、子供や配偶者への暴力虐待も多く、これは世代から世代へ受け継がれていく。おそらく、人間のふるう暴力のなかで最も広く行われていて、かつ陰険なのは、思想統制だろう。歴史を見渡してみると、宗教運動や政府が構成員を攻撃へと駆り立てて、異議を唱える人たちや無信仰な人たちを処断するといったことは、繰り返し行われている。
また、生来『動物』的な生き残り技術として遺伝的に組み込まれているものでもない。わたしたちには、暴力を停止する能力があり、また進化もそう命じているとわたしは信じる。暴力を停止する最もよい方法は、本章で強調したように、わたしたちは食物を必要とするのと同じように、愛をも必要とする魂としての存在だと認識することだ。
食事でもSEXでも麻薬でも運動でも何でもいいが、そこにあるのは暴力的な遺伝子であるという考え方は、正確ではない。例えば、水を一か月飲まずに生活し、あと一歩で死ぬというとき、水を飲むとどうなるだろうか。脳内に快楽の元である『報酬系物質』は放出されないのだろうか。されるのであれば、別に『快感=暴力的なもの』ということにはならない。
たけしが言っているのは『攻める快感』であり、私が言っているのは『守る快感』だ。守ることでも、人は快感を覚えることが出来る。例えば、人の矜持を守ることは、たけしも好きなテーマのはずだ。では、その矜持を守る人間の精神には、快感は存在しないのだろうか。しかし、たけしの言っていることもわかる。私は、『とても崇高で厳かなもの』だと心底から判断しているものに触れる時、自分が、快感に浸っていることに恥を覚えているのだ。
これはその対象を、『暴力』の対極である『純真な愛』で持って、包み込みたいと思う心が捻出させる感情なのである。しかし、『そうしてその対象を守ることで快感を覚える』こともあるはずなのだ。清廉潔白で、高潔であることに快感を覚えているはずなのである。ブルース・リプトンの言うように、暴力やドラッグ、生命維持に必要な分を超えた所有物の獲得だけが快感に繋がっているのではなく、『暴力を停止する心』、『愛を必要とする魂の認識』によっても、人は快感を覚えることが出来るはずなのである。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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