『ヒト』を最適化しよう。

『他と違うことは恥ではない。誇りだ。』(2ページ目)

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更なる詳細を追求する

『おそろしいと同時にすばらしい』産物

デール・カーネギー の著書、『道は開ける』にはこうある。

自分が他人と違うからといって一瞬にもせよ悲観することはない。あなたはこの世の新しい存在なのだ。人類が誕生して以来、あなたと瓜二つの人間はいなかったし、将来どんな時代が訪れようと、あなたと全く同じ人間が現れることはないだろう。遺伝子科学の教えによれば、あなたという存在は父親から与えられた23の染色体と、母親から与えられた23の染色体が結合した結果に他ならない。

 

これら46個の染色体の中には、あなたが受け継いだ資質を決定する全てが含まれている。染色体の一つ一つには『数十ないし数百の遺伝子があり、ときにはたった一つの遺伝子によってさえ個人の全生涯が変わることもある』とアムラム・シャインフェルドは言っている。まさに私たちは『おそろしいと同時にすばらしい』産物なのである。

 

dna

 

自分が他と比べて違うということは、『個性』だ。そして、それを理解するのが『知性』だ。

 

私には私のできることがある

実に50の職業経験と、世界40か国の旅を経験した有川真由美の著書、『遠回りがいちばん遠くまで行ける』にはこうある。

人は思った通りの人になる。自分をどんなふうに扱ってきたかが大切

 

(省略)(※面倒を見てくれていた子守のおばあさんが)だれよりも早く平仮名を覚えた、本当に木登りが得意ねえ、とてもよく気が利く子だわ…と、だれも気付かない点を褒めてくれていたのです。おかげで、私は密かに『自分は特別な人間なんだ』と思っていました。たとえ、人よりも劣っている部分があったとしても、『人は人、自分には自分の良さがある』と。

 

よく、『私なんか…』と口にする人がいます。『私なんか太っているから』『私なんか年だから』『私なんか稼げない女だから』『私なんか絶対、無理』というように。自分を『人より劣った人間』として扱っていれば、実際にそんな人になり、それにふさわしい現実をつくり出します。自分自身に対しても失礼です。

 

(中略)まわりの人や、世界中の人が『あなたはダメな人間だ』という言動で接したとしても、自分だけは『私は絶対に価値ある人間であり、私には私のできることがある』とつぶやきながら進みましょう。かならず、そうなりますから。

 

人との単純な比較は、のびのびと生きようとする力を邪魔します。『人は人、自分は自分』と自分の道を歩き、自分を信頼している人がいちばん人生を楽しめ、輝くことができるのです。

 

自分の価値を、疑うな。

 

人の顔色を見て生きる人生のおそまつさ

新渡戸稲造の著書、『自分をもっと深く掘れ!』にはこうある。

人の顔色を見て生きる人生のおそまつさ

 

(省略)キリストでも孔子でも、その一勝の間に多くの同情も反感も受けた。いかなる聖人でも、百人が百人からあまねく同情を受けるものではない。まして聖人でもない人が、すべての人から同情を受けることは望めない。一方に同感者があれば、他方には反感者ができる。

 

すべての人から同情、つまり共感を得られるということはない。何しろ、この世にいるほとんどの人は、残念ながらあまり優れた見識を持ち合わせていない。ブタに、真珠の価値がわかるだろうか。ネコに、小判の価値がわかるだろうか。

 

人生をどう生きるかの自己決定権は、自分にある

慶応義塾大学を卒業し、慶應義塾高校で教職に就き、同校生徒のアンケートで最も人気のある授業をする先生として親しまれた佐久協の著書、『論語の教え』にはこうある。

自分の行動を反省してみて、やましい点がないなら、いったい何を心配し、何を懼れる必要があるだろうか。ありやあせんよ。

 

現代の若者は人間関係を気にするあまり、周囲に合わせるために自分の本心や本音を隠し、オドオド・ビクビクと生活していると言われているが、しばしば左遷や孤立のうれき目に遭った西郷隆盛は、

『人と競争するのではなく天と競争せよ』

 

とアドバイスをしている。天に対してやましいところがなければ、周囲の人の批判や中傷など懼れるに足らないというのだ。孔子の死後90年ほどして生まれ、孔子の正当後継者をもって任じた孟子は、『自ら反りみて、縮くんば千万人といえども、吾れ往かん』(我が身を反省して、やましい点がなければ、敵が一千万人いたところで、わたしは突き進む覚悟だ)と述べている。

 

まあ、そんなに大上段に振りかぶって勇み立つには及ばないが、過度に周囲の空気を気にして縮こまるのは、もったいなさ過ぎる。人生をどう生きるかの自己決定権は、自分にあるのだ。

 

何が『周囲』だ。周囲の命を軽んじることは絶対に駄目だが、無意味に重んじる必要など微塵もない。

 

優越感に気を付けよう。それは劣等感の裏返し

早稲田大学商学部を卒業後、様々な経歴を経て、クリスチャン女性の国際的なグループ『Aglow International(アグロー・インターナショナル)』に所属する中村芳子の著書、『聖書88の言葉』にはこうある。

優越感に気を付けよう。それは劣等感の裏返し

 

いいプライドー自尊心もあるが、悪いプライドー優越感には気を付けよう。それは口臭のようなもの。まわりの人はすぐ気づくが本人は気づかない。自分と人を比べ、人が自分より劣っていることを確認して喜んだり安心しているようなら危ない危ない。かなり臭っているかも。

 

学歴、収入、仕事、地位、住んでいる地域、家の大きさ、車の種類、身長、容姿、ファッションセンス、礼儀正しさ、なんでも。世の中には、必ず自分より優れた人が存在する。そんな人の前に出ると優越感は裏返って劣等感になり、卑屈に縮こまってしまう。だから実は、劣等感の強い人はとてもプライドが高い。そんな人、そんな自分に気を付けよう。

 

自分を基準としたものさしで他人を測ることを、聖書では『裁く』と表現している。神はあたなを誰とも比べない、と書いてある。だからあなたも、自分を誰とも比べなくていい。ありのままでいこう。のびのびと。

 

『聖書』

人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。(マタイによる福音書書7:3)

 

『みんなちがって、みんないい』

また本にはこうもある。

体にはいろいろな器官がある。みんな違うから全体が機能する

 

人の役割が歯車にたとえられることがある。しかし歯車は偉大だ。様々な形や大きさがあり、固有の役割がある。小さな歯車ひとつがこわれたら、機械全体が動かなくなる。

 

聖書は、私達ひとりひとりは、体の一部分であると教えている。手には手にしかできないことがあり、足には足の役割があり、それぞれがユニークな働きをする。そして体全体が機能する。手だけで、足だけで、体からはなれて存在することはできない。自分が手なのか、足なのか、目なのか、耳なのかをわきまえて、自分の役割をしっかりと果たしたい。これは単なる『協調性』とはちょっと違う。みんながまんして和を保つのではない。詩人の金子みすゞが詠った様に、

 

『みんなちがって、みんないい』

 

ひとりひとりが違うからこそ、初めて全体として機能する。違うってすばらしい。自分が皆と違うことを、誇りに思おう。人が皆と違い、あなたと違うことを尊重しよう。

 

『聖書』

体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、『わたしは手ではないから、体の一部ではない』といったところで、体の一部ではなくなるでしょうか。(コリントの信徒への手紙一12:14-15)

 

皆と違う

 

自分が自分であることに誇りを持ち、それを生き貫くべし。

 

”ちがい”に誇りを持つ

ウォール・ストリート・ジャーナルから『米国最高のエグゼクティブ教育専門家12人』に選ばれたジェームズ・M・クーゼスの著書、『リーダーシップ・チャレンジ』にはこうある。

”ちがい”に誇りを持つ

 

組織(会社や部門)や製品、サービスの特徴を伝えることもリーダーの務めだ。魅力的なビジョンは”ちがい”を生み出す。そしてそのちがいが、従業員、ボランティア、顧客、クライアント、寄付者、投資家を引きつけ、彼らと長期的な関係を築いていくことを可能にする。

 

もし何の特徴も無ければ、その会社で働いたり、買い物をしたり、あるいはそこに投資をしたりする理由はない。『わが社へようこそ。うちはよそと変わりませんよ』では、人をわくわくさせることなど不可能だ。逆に、この会社は他とどうちがうのか、どのような点で際立っているのかをメンバーが理解できるようにすれば、仕事に対する彼らの熱意は飛躍的に高まる。

 

ちがいは誇りを育て、関係者の自尊心と自負心を高める。買い物をする店、購入する製品やサービス、自分(または子供)が通っている学校、暮らしている待ち、努めている会社や組織を誇りに思うほど、忠誠心は高まる。

 

『ちがい』というものは、『武器』なのであって、『コンプレックスの材料』ではない。

 

身長155cmの男

アドラー心理学に造詣の深い岸見一郎・古賀史建の著書、『嫌われる勇気』にはこうある。

哲人『では、わたし自身の劣等感についてお話ししましょう。あなたは最初にわたしと会ったとき、どのような印象を持ちましたか?身体的な特徴という意味で。』

青年『ええっと、まあ…』

 

哲人『遠慮することはありません。率直に。』

 

青年『そうですね、想像していたよりも小柄な方だと思いました。』

 

哲人『ありがとう。わたしの身長は155cmです。アドラーもまた、これくらいの身長だったといいます。かつてわたしは―まさにあなたくらいの年齢まで―自分の身長について思い悩んでいました。もし人並みの身長があれば、あと20㎝、いやせめて10㎝でも身長が高ければ、なにか変わるんじゃないか。もっと楽しい人生が待っているのではないか。そう思ってあるとき、友人に相談したところ、彼は『くだらない』と一蹴したのです。』

 

青年『…それはひどい!なんて男でしょう!』

 

哲人『続けて、彼はこういいました。『大きくなってどうする?お前には人をくつろがせる才能が有るんだ』と。』

 

同じではないけれど対等

また本にはこうもある。

哲人『いいですか、われわれは誰もが違っています。性別、年齢、知識、経験、外見、まったく同じ人間など、どこにもいません。他者との間に違いがあることは積極的に認めましょう。しかし、われわれは『同じではないけれど対等』なのです。』

 

青年『同じではないけれど対等?』

 

哲人『そう。人は誰しも違っている。その『違い』を、善悪や優劣と絡めてはいけないのです。どんな違いがあろうとも、われわれは対等なのですから。』

 

誰と比べて、何と比較して『劣等感』を覚えているのだ。この世で自分だけが持つ武器を磨けば、彼もまた自分を見てそこに劣等感を覚えるだろう。それだけのことだ。そう考えると、最初はくだらなく感じ、やがて、唯一無二の価値の重さが見えて来る。

 

鏡を見て己を知る

人間のお金に対する考え方のパラダイム転換を説いた、ロバート・キヨサキの著書、『金持ち父さん 貧乏父さん』にはこうある。

私が幼かった頃、父は私たち子供によく、昔、日本人が信じていたという『三つの力』の話をしてくれた。それは『刀と玉と鏡の力』だ。刀は武器の力を象徴している。アメリカは武器のために毎年何百億ドルもの金をつぎこみ、それによって世界最強の軍事国家の地位を保っている。玉はお金の力を象徴している。『黄金律を忘れるな。黄金を持つものがルールを作る』という格言にはたしかに一理ある。鏡は己を知ることの力を象徴している。日本の古くからの言い伝えによれば、この『己を知る』ことこそが三つのうちでもっとも大きな力を持っている。

 

お金に困っている人や、困ってはいなくてもそこそこの収入しかない人は、たいていの場合お金に動かされるままになっている。毎朝起きて一生懸命に働くだけで、自分が今やっていることが正しいかどうか自問しようとしない。毎日それを続けることは、自らを罠にかけているようなものだ。お金のことを十分に理解していないために、ほとんどの人が恐ろしいお金の力に身を任せてしまっている。お金の力が彼らに敵対するものとして働いているのだ。

 

そういう人でも、もし鏡の力を使うことができれば、きっと『これでいいのだろうか?』と自問することだろう。それなのに、多くの人は自分の内に潜む智恵、自分の中にある天賦の才を信じることなく、みんなと同じ方法を選ぶ。つまり、ほかのみんながそうしているから…という理由で行動するのだ。こういう人は疑問を持つこともなく、ただみんなと同じようにする。

 

また、何も考えずに、自分がこれまで言われてきたとおりのことをやり続けるという場合も少なくない。つまり、『リスクの分散』とか、『持ち家は資産』『持ち家は最大の投資』『借金をすれば節税できる』『安全な仕事を見つけろ』『間違いをするな』『危険を冒すな』といった考え方をうのみにしてそのまま実行する。

 

悪いうわさが立つことが死ぬより怖いという人はけっこういる。精神分析医によると、悪い噂が立つのが怖いというのは、仲間はずれにされることに対する恐怖から来ている。つまり、一人だけ孤立してしまう。一人だけみんなから後ろ指を差される。ばかにされる、村八分にされる、そういったことが怖いのだ。多くの場合、人と違ったことをするのを恐れることのような気持ちが、問題解決のための新しい道を見つけるのをむずかしくする。

 

 

自分の心と向き合うことで、『自分の内に潜む智恵、自分の中にある天賦の才』を埋没させることがいかに罪深いかを知るだろう。

 

自分の内側でほのかに輝いている光

ニーチェソロー福沢諭吉宮沢賢治らに多大な影響を与えたエマーソンの著書、『自己信頼』にはこうある。

内なる声が聞こえてくるのは、決して珍しいことではない。モーセプラトンミルトンの最大の功績は、書物や伝統を無視し、世間の考えではなく、自分の意見を語ったところにある。

 

私たちは吟遊詩人や賢人たちが放つ、目もくらむような輝きよりも、自分の内側でほのかに輝いている光を見つけ、観察するべきだ。しかし人は自分の考えを、それが自分のものだという理由で無造作に片付けてしまう。そして天才の仕事を見るたびに、そこに自分が却下した考えがあることに気づく。一度は自分のものだった考えが、ある種のよそよそしい威厳をたとえて、自分のものに戻ってくるのだ。

 

自分の意見が他の人と違うとわかったとき、それはむしろ『チャンス』だ。

 

他人とはちがうただひとりの自己

五木寛之の著書、『大河の一滴』にはこうある。

他人とちがうただひとりの自己
たとえば、自分というものは二重らせん構造をしている、と考えてみよう。二重らせん構造というのは、もちろん冗談だが、二つの存在が交錯しているところに自分がある、と考えるのだ。ひとつは自人間一般としての時分。普遍的な人間の一員としての自分は、たしかに在る。したがって人間一般としての常識や、約束ごとは当然適用される。病気や健康に関してもそうだ。血圧や、カロリー計算や、その他の医学的理論と治療の方法は、いやでもこれを受け入れなければならない。

 

しかし自分にはもうひとつの自分というものがある。人間一般の大枠でくくってしまうことのできない、唯一無二の自分がそれである。この広い世界に、何十億の人間たちのなかで、なんのナニガシというこの自分が、たったひとりの存在であり、他のだれともちがう自分であることは疑う余地のない事実である。

 

親ともちがう自分。兄弟ともちがう自分。そして全人類の過去から現在までの時間の流れの中で、絶対的に一般的人間という概念では律しきれない個としての自分。そのことを古い仏説では『天上天下唯我独尊』という言葉に託して語っている。この言葉を私は自分ひとりの読み方で、『全宇宙でただひとり、だれとも同じではない唯一無二の自己であるからこそ、この自分の存在は尊いのだ』というふうに受け止めてきた。

 

自分の価値の重さを見誤らない方が良い。

 

四聖の共通点

例えば、かの『四聖』に数えられる、

 

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリストには共通点があり、

キリスト

 

それは、

 

  1. 親の職業を継がなかったこと
  2. 伝統的なしきたりや体制を改革しようとしたこと
  3. 人一倍の努力家であったこと
  4. 確固とした信念を持ちそれを貫いたこと
  5. 見据えた的の規模が大きすぎて周囲の理解が追いつかなかったこと

 

というものだった。そして孔子は、今でこそ中国を代表する大学者や聖人とされているが、同時代人の多くからは、出来もしないことをしようとしている、身の程知らずや物好き扱いされていた(憲門第十四-四十)。ブッダも、カースト制度を否定したことで、バラモン教から白い目を向けられていた。ソクラテスやキリストなど、無実の罪で処刑されているのだ。彼らは他と違った。だが、彼らは一体どういう存在だろうか。

 

差別化による価格競争回避

ビジネスシーンにおいても考え方は同じである。一橋大学、ハーバード大学大学院を卒業し、ペンシルバニア大学、筑波大学、大阪大学、京都大学等で教授を務める梶井厚志の著書、『戦略的思考の技術』にはこうある。

差別化による価格競争回避

ガソリンや家電製品のように、大量に同質の製品が生み出され、それを売りさばく小売店が多数ある場合、小売店が価格競争に巻き込まれる可能性は高い。しかし、見方を変えれば、直接競合する店がなければ価格へのコミットメントはしやすく、価格の維持に成功しやすいということも示唆する。

 

極端な例は、商品を1社だけで独占的に供給している場合であるが、そこまで極端にならなくても、自社の提供する商品を競合他社のそれとは異なるように戦略的に差別化することにより、価格維持しやすい環境を戦略的に作り出すことも可能である。

 

差別化

 

差別化が価格維持に効果があるということは、すなわち製品サービスの差別化は新しいビジネスチャンスにつながるということである。差別化の糸口はいろいろなところにある。日本で安価なコーヒーのチェーン店を経営した草分けはドトール・コーヒーであるが、昨今は日本では後発のスターバックス・コーヒーに市場シェアを奪われている。

日本だけでなく、ヨーロッパでもスターバックスの躍進はめざましい。スターバックスの成功を支える要素はいくつか考えられるが、製品差別化という観点からいうと店内完全禁煙のポリシーが大きく貢献しているといえよう。

 

店内完全禁煙

 

喫茶店で煙草が据えないのは言葉の矛盾のようだが、煙草を吸わない人々にとっては煙草の匂いは耐えがたき異臭なのだ。少なくとも私の様な嫌煙家は、店内で煙草の匂いがしないという理由だけでスターバックスに足が向く。つまり、似たようなサービスでも、禁煙にコミットメントすることで差別化を成し遂げ、新たな客層を開拓することができるのである。

 

人と違うことはむしろ、『有利』なのだ。

 

競争優位性

また、『競争優位性』というテーマについて考える時もこの事実は極めて重要なカギを握る。真のブランディングとは『差別化』の成功である。『マイケル・ポーターの競争戦略』にはこうある。

競争優位とは、企業が実行する活動の違いから生じる、相対的価格または相対的コストの違いをいう。競争優位を実現した企業は、活動がほかと違っているはずだ。 活動の違いには二種類がある。 他者と同じ組み合わせの活動を他社より優れて実行しているか、他者と異なる活動の組み合わせを選択しているかだ。

もちろんここまで読んできたあなたには、一つ目の手法が最高を目指す競争だということはお見通しだろう。そしてこの手法がなぜ競争優位を生み出す見込みが低いのか、その理由もわかっているはずだ。

 

 

他の人の二番煎じをしてどうする。他と同じ生き方をしてどうする。この人生は、過去、未来永劫の時間の規模において、唯一無二なのだ。

 

『莫妄想(まくもうぞう)』

『PRESIDENT』、2016.4.4号にはこうある。

禅の金言36

『莫妄想(まくもうぞう)』

 

禅語の妄想とは、優劣、愛憎、貧富といった二元論にとらわれる心のあり方をいいます。人と比較して考えるのではなく、ありのままを受け止めることです。

 

他と違うことは恥ではない。誇りだ。

 

 

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