『ヒト』を最適化しよう。

『自分の心と向き合った人間だけがたどり着ける境地がある。』(2ページ目)

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更なる詳細を追求する

 

孤独になれる時間を確保する

自己発見に関する世界最高の権威の一人、ロビン・シャーマの著書、『3週間続ければ一生が変わる』にはこうある。

孤独になれる時間を確保する

イギリスの詩人、ウィリアム・ワーズワースは、思慮深いことばを述べています。

『あわただしい世界によってあまりに長いあいだ自分のいい面から隔てられ、世界のできごとに飽き飽きし、世界の悦びにもうんざりしているとき、孤独はなんと優雅で、なんと慈悲深いことか。』

 

(中略)たとえ一日数分でもかまいません。孤独を経験すれば、最優先事項に集中することが出来て、わたしたちの多くの生活に浸透している怠慢を防ぐことができるでしょう。時間がないので定期的に沈黙していられないというのは、運転するのに忙しすぎてガソリン・スタンドに寄れない、と言っているのと同じです。

 

 

私も極端な性格だから、二つ物があったとき、どんなに重くても、二度手間になるくらいなら無理をして一度で持ち運びたいと考える気持ちはわかる。だが、『自分のエゴ』を取るか、『目的の達成』を取るか、冷静に考えてみるといい。

 

浅慮は愚行に直結する

世界で最も成功した投資家、ウォーレン・バフェットの著書、『バフェットの教訓』にはこうある。

ほかの人々が思慮に欠ける行動を取ればとるほど、我々自身はより思慮深い行動をとらねばならない

 

(省略)深慮のもとで投資の意思決定を行えば、愚行を犯さずにすみ、金持ちになれる可能性が高まる。浅慮のもとで投資の意思決定を行えば、まっすぐ愚行へと導かれ、貧困の戸口をくぐる可能性が高まる。貧困に直結するような行動をとっておいて、金持ちになろうというのはどだい無理な話である。

 

浅慮は愚行に直結する。刹那的な人生の代表ともいえる過ごし方をした私には、これを言う権利がある。フランスの小説家、ブールジュは言う。

 

一生に一度しか乗れない車

本にはこうもある。

あなたが車を一台持っていて、一生その車にしか乗れないと仮定しよう。当然、あなたは大切に取り扱おうとするだろう。必要以上にオイル交換をしたり、慎重な運転を心がけたり。ここで考えて欲しいのは、あなたが一生にひとつの心とひとつの身体しか持てないということだ。

 

常に心身を鍛錬すべし。決して心身の手入れを怠るなかれ。じっくり時間をかければ、あなたはみずからの心を強化することができる。人間の主要資産が自分自身だとすれば、必須なのは心身の維持と強化である。

 

もし本当にこのたった一度の一生に悔いを残したくないのなら、その旅路の途中で車をメンテナンスすることをないがしろにしてはならない。

 

人生を考える機会を持つ

松下幸之助から『経営の神』の異名を受け付いだ現代の経営の神、稲盛和夫の著書、『心を高める、経営を伸ばす』にはこうある。

人生を考える機会を持つ

 

(省略)『自分はどういう人間なのか』『人生をどう生きたらいいのだろうか』ということを考える機会が、人生の入り口ではどうしても必要です。この経験が、人生の目標を導くのです。人生に対する目標を持った人と、持たない人とでは、人生の後半で相当な差がついてしまうはずです。

 

例えば二人のランナーがいたとき、一人のランナーは、このマラソンが後400mで終わると知っていて、もう一人のランナーは勘違いをしていて、まだまだあと30kmは続くと思っているとする。では、一体どちらのランナーが、残りの400mを完膚なきまでに走り抜けることが出来るだろうか。

 

刃を研ぐ

7つの習慣』のスピンオフ本とも言える『タイムマネジメント4.0』にはこうある。

刃を研ぐ

 

どれほど休みなく木を切り続けても、定期的にノコギリの目立てをしてあげる、つまり刃を研いでやらなければ長期にわたって結果を出し続けることはできません。刃がガタついているにもかかわらず、気合を入れて結果を求め過ぎると、歯がボロボロになってしまいます。つまり、肉体は疲れ果て、知性は時代遅れなものとなり、人間関係にはひびが入り、精神まで病んでしまいかねません。

 

『木を切ることに忙しすぎて、歯を研ぐ時間などない』と考えるのは、『目的地に辿り着くのに忙しすぎて、ガソリンを入れる時間などない』と考えてしまうのと同じです。そして、その状態を続けていくと、いわゆる『燃え尽き症候群』となってしまうのです。

 

これは、ロビン・シャーマの記事と全く同じものだ。ピタリ一致しているのである。孤独、つまり一人でいる時間でしか出来ないことがある。

 

鏡を見て己を知る

人間のお金に対する考え方のパラダイム転換を説いた、ロバート・キヨサキの著書、『金持ち父さん 貧乏父さん』にはこうある。

鏡を見て己を知る

 

私が幼かった頃、父は私たち子供によく、昔、日本人が信じていたという『三つの力』の話をしてくれた。それは『刀と玉と鏡の力』だ。刀は武器の力を象徴している。アメリカは武器のために毎年何百億ドルもの金をつぎこみ、それによって世界最強の軍事国家の地位を保っている。玉はお金の力を象徴している。『黄金律を忘れるな。黄金を持つものがルールを作る』という格言にはたしかに一理ある。鏡は己を知ることの力を象徴している。日本の古くからの言い伝えによれば、この『己を知る』ことこそが三つのうちでもっとも大きな力を持っている。

 

お金に困っている人や、困ってはいなくてもそこそこの収入しかない人は、たいていの場合お金に動かされるままになっている。毎朝起きて一生懸命に働くだけで、自分が今やっていることが正しいかどうか自問しようとしない。毎日それを続けることは、自らを罠にかけているようなものだ。お金のことを十分に理解していないために、ほとんどの人が恐ろしいお金の力に身を任せてしまっている。お金の力が彼らに敵対するものとして働いているのだ。

 

そういう人でも、もし鏡の力を使うことができれば、きっと『これでいいのだろうか?』と自問することだろう。それなのに、多くの人は自分の内に潜む智恵、自分の中にある天賦の才を信じることなく、みんなと同じ方法を選ぶ。つまり、ほかのみんながそうしているから…という理由で行動するのだ。こういう人は疑問を持つこともなく、ただみんなと同じようにする。また、何も考えずに、自分がこれまで言われてきたとおりのことをやり続けるという場合も少なくない。つまり、『リスクの分散』とか、『持ち家は資産』『持ち家は最大の投資』『借金をすれば節税できる』『安全な仕事を見つけろ』『間違いをするな』『危険を冒すな』といった考え方をうのみにしてそのまま実行する。

 

悪いうわさが立つことが死ぬより怖いという人はけっこういる。精神分析医によると、悪い噂が立つのが怖いというのは、仲間はずれにされることに対する恐怖から来ている。つまり、一人だけ孤立してしまう。一人だけみんなから後ろ指を差される。ばかにされる、村八分にされる、そういったことが怖いのだ。多くの場合、人と違ったことをするのを恐れることのような気持ちが、問題解決のための新しい道を見つけるのをむずかしくする。

 

 

自分の心と向き合う時間を確保しなければ、永久に開拓できない道がある。

 

ビル・ゲイツもアル・ゴアもガンジーもみんな内向型だった

『PRESIDENT』、2015.1.12号にはこうある。

ビル・ゲイツもアル・ゴアもガンジーもみんな内向型だった

 

(省略)あらゆる物事に対し、自分の意見を表明するのが当然のアメリカ、意見を表明したい場合のみ、その機械が与えられる日本。初等教育からそうなのだから、かの国で雄弁で行動的、人々の先頭に立つ外向型人間がもてはやされるようになるのも当然だ。ところが、そんなアメリカで、まるで対極の書籍が売れている。現代が『Quiet』、邦題は『内向型人間の時代』。

 

アメリカでミリオンセラーになり、日本でも2013年に発売。14年に入り続々と関連の書籍が出版され、テレビでも特集が組まれている。著者はスーザン・ケイン。自身も、内向型人間であり、外向型を理想とするアメリカ社会での生きづらさを抱え、ウォール街で働く弁護士からライターに転身したという女性だ。

 

学者や芸術家に内向型が多いといわれれば違和感はない。たとえば科学者のアインシュタイン、音楽家のショパン、小説家のプルースト、映画監督のスピルバーグなどだ。もちろん、ビジネスや政治の世界でも内向型のリーダーは多く存在する。マイクロソフトの共同創業者ビル・ゲイツ、同グーグルのラリー・ペイジ、政治家アル・ゴア、インド独立の父ガンジーなどをケインは例として挙げる。

 

では、どんな人が内向型なのだろうか。同書では思慮深くて理性的、真面目で謙虚、孤独を求める『熟考の人』を内向型、意気軒昂で明るく、社交的で目立ちたがり屋の『行動の人』を外向型と定義する。

 

違いは生まれつきの遺伝なのか、育った環境によるものなのか。ケインはその問いに対する答えをハーバード大学の発達心理学者、ジェローム・ケーガン教授の研究に求める。ケーガンは、生後4か月の乳児に様々な刺激を与え、反応を観察する実験を行った。録音した音声を聞かせたり、色鮮やかなモビールを見せたりしたのだ。結果、全体に2割は元気よく泣き、手足をばたつかせた。4割は静かに落ち着き、残り4割はその中間の反応を示した。

 

乳児

 

ケーガンいわく、物静かな内向型になるのは、手足を元気よく動かした『高反応』グループであり、落ち着いていた『低反応』グループは外交型になると。実際、その乳児たちを2歳、4歳、11歳の時点で研究室に呼び、観察したところ、ケーガンの予測どおりだった。ケインは書く。

『外向型は『社交型』で他人を思いやり、内向型は他人と触れ合うのを好まない『人間嫌い』だという説がある。しかし、ケーガンの研究では乳児は人間に対して反応しているのではない。高反応な赤ん坊は人間嫌いではなく、単に刺激に敏感なのだ。

 

内向的な人間は、『道に迷った人』ではない。むしろその逆で、『道を見極めんとする人』だ。

 

内省こそすべてと考えるセネカの発想

数々の偉人の人生を研究する、上智大学名誉教授、渡部昇一の著書、『賢人は人生を教えてくれる』にはこうある。

内省こそすべてと考えるセネカの発想

 

セネカはネゴティウム(瞑想をする以外の時間)を否定し、オティウム(瞑想をする時間)に生きることを説きました。それゆえ、次のような発想が出て来ることになります。あらゆる雑務から遠く離れて人生を送っている人々には、その人生が長くないはずがあろうか。雑務をしない人は人生が長いとセネカはいうのです。そういう人は誰からも時間を奪われないで済むわけですから、すべての時間を丸々自分のものとして使えるというわけです。

 

その人生はいかに小さくとも十分に満ち足りており、従って、いつ最後の日が訪れようとも、賢者はためらうことなく、確乎とした歩みをもって死に向かって進むことになろう。自分を省みつつ歩む人生は充実したものとなるがゆえに、死を恐れるようなことがなくなるといっています。そういう人こそがセネカのいう賢者なのです。

 

主体的に生きるために自分を耕す時間を持つ

また、本にはこうもある。

主体的に生きるために自分を耕す時間を持つ

 

自分を耕すというのは非常に重要なことです。英語では『セルフカルチャー(self-culture)』あるいは、『セルフインプルーブメント(self-improvement)』。日本語でいえば『人間学を修める』ということになるでしょう。人間学を修めれば、セネカが挙げているようなつまらない仕事も、すべて視点が変わってくる可能性があります。忙しくても、主体性を保つ生き方ができるようになると思うのです。そして、自己を耕す方法は何も瞑想だけではないということを知るべきででしょう。日常生活の中にあっても、それに専心することによって自己を耕すチャンスはいくらでも生まれて来るのです。

 

自分の魂に問いかけよ

同じく、渡部昇一の著書、『エマソン 運命を味方にする人生論』にはこうある。

何ものにもすがることなく今を生きる

 

『強靭な知性の持ち主ですら、もしも神がダヴィデとかエレミアだとかパウロとか、どこの誰だかわからない人の言葉づかいを口にしてくれなければ、神の言葉を直接聞くだけの勇気がまだない始末だ』

 

すごい言葉です。『ダヴィデがこういった』『エレミアの予言はこうだった『『パウロがこういった』というものの集積が『聖書』になっているわけですが、そんな会ったこともないような人の言葉をどうしてあがめているのか、それより自分の魂に問いかけて、神自身の言葉を直接聞けばいいじゃないか、とエマーソンは説いているのです。

 

世界の賢人は、『内省をせよ』と言う。意味がないなら、価値がないなら、なぜそのようにして彼らは口を揃えるのだろうか。彼らは『とち狂った見る目のない馬鹿』なのか?本当にそうか?

 

縦の努力

早稲田大学を経て、情報会社・出版社の役員を歴任した岬龍一郎の著書、『言志四録』にはこうある。

自分の心を深く掘り下げることは、たとえていえば縦の努力であり、博く書物を読むのは横の修行である。たての努力は深く自己を反省して悟ることができるが、横の努力は薄っぺらになりがちで、なかなか自分のものとはならない。

 

この『縦の努力』という言葉はなかなか面白い。『縦と横』の両面の努力が必要なのである。

 

内面性を深めていった死を待つ女性

ナチスの強制収容所に収監され、人間の想像を絶する3年間を過ごしたドイツの心理学者、ヴィクトール・E・フランクルの著書、『夜と霧』にはこうある。

たとえば、強制収容所で亡くなった若い女性のこんな物語を。これは、わたし自身が経験した物語だ。単純でごく短いのに、完成した詩のような趣があり、わたしは心をゆさぶられずにはいられない。この若い女性は、自分が数日のうちに死ぬことを悟っていた。なのに、じつに晴れやかだった。

『運命に感謝しています。だって、わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの』

 

彼女はこのとおりにわたしに言った。

『以前、なに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神がどうこうなんて、まじめに考えたことがありませんでした』

 

その彼女が、最期の数日、内面性をどんどん深めていったのだ。

『あの木が、ひとりぼっちのわたしの、たったひとりのお友達なんです』

 

彼女はそう言って、病棟の窓を指さした。外ではマロニエの木が、いままさに花の盛りを迎えていた。板敷の病床の高さにかがむと、病床の小さな窓からは、花房をふたつつけた緑の枝が見えた。

『あの木とよくおしゃべりをするんです』

 

わたしは当惑した。彼女の言葉をどう解釈したらいいのか、わからなかった。譫妄状態で、ときどき幻覚におちいるのだろうか。それでわたしは、木もなにかいうんですか、とたずねた。そうだという。ではなんと?それにたいして、彼女はこう答えたのだ。

『木はこういうんです。わたしはここにいるよ、わたしは、ここに、いるよ、わたしは命、永遠の命だって…』

 

 

彼女の気持ちをきっとわかる日が来る。それは恵まれた人生を送る人なら、死ぬ直前だ。

 

『書く』というプロセスを大切にする

ハーバード大学で学士号を取り、スタンフォード大学で博士号を取得したソニア・リュボミアスキーの著書、『幸せがずっと続く12の行動習慣』にはこうある。

『書く』というプロセスを大切にする

 

(省略)心理学の世界では、『トラウマとなる過去の出来事に関して心の奥底にある感情を書けば多くの恩恵がもたらされる』という結果が次々と出ています。対象グループに比べて、試練やトラウマなど心の奥にある思いや感情を掘り下げながら書き留めて3日間を過ごした人々は、その後、以前よりも病院へ行く回数が減り、免疫システムが向上した、という結果が示され、落ち込むことや苦悩することも減ったと報告されています。さらに、学業や仕事の成績が上がり、失業していた人も、その後の就職率が高くなったのです。このような影響は様々な人に現れました。健康な人も病気の人も、若者も老人も、貧しい人も裕福な人も、そしてヨーロッパや東アジア、北アメリカに住む人にも同じ結果が出たのです。

 

(中略)『書く』というプロセスにおける重要なメカニズムの助けによって、人はトラウマを理解し、受け入れられるようになり、意味を理解できるようになるからです。

 

このような行為は当然、孤独の状態でなければ期待する結果は生み出せない。覚えておきたいのはとにかく、孤独の状態でなければできないことがある、ということなのだ。

 

なぜ、瞑想をするべきなのか?

本にはこうもある。

なぜ、瞑想をするべきなのか?

 

『瞑想をすることがいかに重要か』ということが、研究室や実地調査によってかなり調べられていると知り、正直、私は驚きました。人が幸せになるうえでポジティブな感情をもつために瞑想がさまざまな効果を与えることが、おびただしい数の研究から明らかになっています。瞑想は生理機能にも、ストレスにも、認識能力にも、身体の健康にもポジティブな影響を与え、自己実現や道徳的な成熟にも効果をもたらしているのです。

 

(中略)さらに同じ研究において、瞑想した人々は、体内に注射されたインフルエンザに強い免疫反応を示し、右脳と左脳への影響が非対称になればなるほど、免疫反応がいっそう強くなりました。驚いたことに、瞑想を短期間しか行わない場合でも、脳を活性化し、免疫システムにも影響が出るのです。

 

瞑想

 

東洋の宗教(ヒンズー教、仏教、道教)で明確に存在しているのは、『瞑想による精神性の向上』だ。例えば、スティーブ・ジョブズもやった禅の瞑想、ブッダ(釈迦)がやったヴィパッサナー瞑想もそうだ。

 

『本来空寂(ほんらいくうじゃく)』

『PRESIDENT』、2016.4.4号にはこうある。

禅の金言36

『本来空寂(ほんらいくうじゃく)』

 

人は誰しも一人で生まれ、一人で死んでいく孤独なもの。孤独だから考えが深まり、他人に優しくなれるのです。優しさを求める前に、相手に優しく接してみましょう。

 

『白雲抱幽石(はくうんゆうせきをいだく)』

同じく同書にはこうもある。

禅の金言36

『白雲抱幽石(はくうんゆうせきをいだく)』

 

唐代の僧、寒山が世間との関わりを絶ち、一人静かに隠遁生活をした風情を表現したものです。時には一人で過ごす機会をつくり、自分自身を見つめる時間を持つことも大切です。

 

このように、仏教の宗派の一つである禅宗の教えでも、孤独な状況をつくることの重要性を説いている。

 

神の様な超自然的な存在の介入を一切必要としない道

『ソクラテス・イエス・ブッダ 三賢人の言葉、そして生涯』にはこうある。

ブッダは、弟子たちが悟りを経験するには、自分の歩んだ道に従うことで十分だと考えていた。この道とはそもそもブッダが考案したものではない。それは、『遠い昔に人々が踏破した非常に古い道(相応部経典12,65)』であり、これまでのブッダがかつて教えたものであるのに、その後すっかり忘れ去られてしまっていた。神の様な超自然的な存在の介入を一切必要としない道である。

 

では、その『古い道』というのはどういう道のことだと思うだろうか。その道こそは、『自分の心と向き合うこと』なのだ。何しろ、人間の知性の頂である『四聖』、つまり、

 

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

 

と向き合って見出した、彼らの共通点は、『真理を説いたこと』と、『自分の心と向き合うこと』だったのである。

 

『PRESIDENT』等を読んでいればわかることだが、日本のトップをひた走る経営者たちは、往々にして朝や夜、ウォーキングや瞑想等、さまざまな形で『自分の心と向き合う』時間を30分ほど確保している。これは偶然ではない。そこに真理があるから、『1+1=2』という答えに皆が必ず辿り着くように、自分の人生を真剣に考えている人間であればあるほど、そこから目を逸らすことが出来なくなってくるのだ。

 

人は死ぬ。そこから目を逸らすことが出来るだろうか。いや、できない。

命は尊い。そこから目を逸らすことが出来るだろうか。いや、できない。

 

同じことだ。自分の心と向き合わなければ見つけられない、この世の答えがある。

 

 

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