『ヒト』を最適化しよう。

『人間が転落するタイミングは決まっている。『得意時代』だ。』(2ページ目)

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災難は忘れた時にやってくる

SBIモーゲージ取締役執行役員常務、横山信治の著書、『上位20%に入れる人だけが一生成功する』にはこうある。

上位20%の人は、逆境にあわてない(その他の人は順境に油断する)

 

(省略)実はこの順境の時に危険がひそんでいます。『災難は忘れた時にやってくる』という諺があるように、順境の時はつい油断するのでミスが生まれます。私の部下でも、好成績を挙げたり、重要なプロジェクトを成功させたあと、大きな落とし穴に出くわしている人が非常に多いのです。

 

自分の思い通りにことが運ぶと、人は必ず調子に乗る。それを押さえることが出来るかどうかが、全ての人間に問われている試練だ。『得意時代』というのは、何も『何かが上手くいって得意げになっている時』のことだけを指すのではない。

 

人間はその長所が仇となって身を滅ぼす

『『中国古典』の教え』の『管史』にはこうある。

『人間はその長所が仇となって身を滅ぼす。』(人の自ら失うや、その長ずる所のものを以ってなり。)

 

日本の諺にも、『策士、策に溺れる』とか『上手の手から水が漏れる』とあるが、同じようなものかもしれない。われら普通の人間は、それほど目立つ特技を持っているわけではない。だが、人間であるかぎり、誰でもその人なりの長所と短所を持っていて、短所を補い、長所を伸ばすことが期待されている。そしてさまざまな人間関係のなかでもまれながら、経験を重ねることによって円熟の境地へと近づいていく。これがまっとうな人生である。

 

ここで気を付けたいのは、われら凡人についてもやはり長所が仇になる場合があるということだ。たとえば心の優しい人である。心がやさしいのは素晴らしい長所である。だが、やさしいために、人から物を頼まれたりすると断り切れない。その結果、共倒れということにもなりかねないのである。また、頭の切れる人がいる。これもまたすぐれた長所なのだが、これで足をすべらす人も多いのである。長所にもそういう落とし穴が待っていることを心得ておきたい。

 

この様にして、元々優れた能力を持っている人間とて、『得意時代』にあることになるわけである。

 

『成功は常に苦辛(心)の日に在り、敗事は多く得意の時に因る(よる)』

安岡正篤の著書、『論語の活学』にはこうある。

人間というものは、苦難の中から成功するのであるが、いざ成功すると、容易に頽廃(たいはい…崩れる)・墜落して、やがて滅亡する。これはいつの時代でも同じことでありまして、人間は性懲りもなくこれを繰り返してきておるわけであります。

 

『成功は常に苦辛(心)の日に在り、敗事は多く得意の時に因る(よる)』

 

とは誰もが知っておる名高い格言ですが、実際その通りであります。この句は昔からよく聯(れん)などに書いてありますが、苦辛の辛は心という字を書いたものもある。これはその人の好みでどちらでもよいが、苦はにがいものであるから、辛と合わせた方が面白い。

 

とにかく人間というものは、苦辛惨澹(くしんさんたん…大変な苦労)して初めて成功するが、せっかく成功するというと、ゆるみが生じ、やがて驕りが出て来る。驕りが出て来ると、必ず猜疑嫉妬、他を嫉み疑うようになる。それまでお互いに助け合い信じあってきたものが、今度は一転して不和になり、相争うようになる。今、流行の言葉で言うと、覇権闘争をやるようになる。その結果治安・秩序が乱れ、その乱れに内外から乗ぜられて、破滅衰亡する。

 

 

成功、そして得意になっている得意時代は、それに溺れて転落することが無いよう、並々ならぬ慎重さを意識することを絶対に忘れてはならない。

 

君子の条件

本にはこうもある。

君子の条件

 

(省略)人間も木と同じことですね。少し財産だの、地位だの、名誉だの、というようなものが出来て社会的存在が聞こえてくると、懐の蒸れといっしょでいい気になって、真理を聞かなくなる、道を学ばなくなる。つまり風通しや日当たりが悪くなるわけです。よく言われることですが、『名士というものは名士になるまでが名士であって、名士になるにしがたって、迷子(めいし)になる』などと申しますが、本当にそうですね。

 

(中略)したがって人間はやはり、真理を学び、道を行ずることがどうしても必要であります。これを忘れると駄目になる。スターリンの悲劇的な最期を見ればよくわかる。毛沢東またしかりで、正に型のごとき過程でああいう結末に至っておる。彼らは初めのうちは確かに英邁であった。ところが権力を握るようになるにしたがって、次第に墜落・頽廃の道を盲進し、ついには晩節を誤って、ああいうことになってしまったのである。

 

得意時代と失意時代

また、渋沢栄一は名著『論語と算盤』で『得意時代と失意時代』という概念について書いている。

およそ人の禍は、多くは得意時代に萌すもので、得意の時は誰しも調子に乗るという傾向があるから、禍害はこの欠陥に食い入るのである。ならば、得意の時だからといって気をゆるさず、失意の時だからとて落胆せず、平常心を保つことを意識することが重要である。

 

例えどんな人間だろうと同じだ。70億人全ての人間にこの黄金律は通用するのである。

 

無事なときには心を引き締め、有事の際にはゆとりを持つ

儒教、仏教、道教を深く学び、足りない部分を補って創り上げた、洪自誠(こうじせい)の著書であり、川上哲治田中角栄五島慶太吉川栄治ら昭和の巨人たちの座右の書である、『中国古典の知恵に学ぶ 菜根譚』にはこうある。

無事なときには心を引き締め、有事の際にはゆとりを持つ

 

物事がうまくいって無事なときほど、決して気持ちをゆるめることなく、有事に備えておかなければならない。また、何かが起こって忙しいときほど、気持ちにゆとりをもって対処するように心掛けなければならない。

 

傲慢不遜に陥る人間の視野は狭くなる。

 

順調にいっているときほど、マイナスの兆しに要注意

実に50の職業経験と、世界40か国の旅を経験した有川真由美の著書、『遠回りがいちばん遠くまで行ける』にはこうある。

順調にいっているときほど、マイナスの兆しに要注意

 

人は、調子のいい時は心が明るく、ゆるくなり、調子の悪いときは心が暗く、委縮してしまうものです。

 

私は、かつていろいろなトライ&エラーを繰り返し、いい波に乗れたと思えば波間に落っこちる…ということを繰り返していたことから、反対に、うまくいっているときほど『ちょっと気を付けよう』と緊張感をもち、うまくいかないときほど『これからよくなっていくのが楽しみ!』と、ゆるく考える心のクセがついたようです。いいことばかりは続かないし、悪い事ばかりも続かないことがわかっているからです。そんな心のクセがついたためか、心理的にも、現実的にも、割合、安定した状態を保てるようになりました。

 

(中略)じつは、うまくいってないときの状態(結果)は、うまくいっているときにまいた種(原因)であることが多いのです。つまり、いい状態のとき、どう考え、どう動いたかが、つぎの展開を作り出していきます。

 

うまくいっている時ほど、自分の身の振り方を注意深く再確認する必要がある。

 

満は損を招き、謙は益を受く

2006年に『ニューズウィーク』誌日本版にて『世界が尊敬する日本人100人』に選出された、曹洞宗徳雄山建功寺住職、増野俊明の著書、『心配事の9割は起こらない』にはこうある。

『潔い人』になる

 

これは禅語ではありませんが、『書経』に『満は損を招き、謙は益を受く(まんはそんんをまねき、けんはえきをうく)』という言葉があります。つまり、傲慢で尊大な人は損を招き寄せることになり、謙虚な人は利益を受けることになる、という意味です。自分の立場や地位に固執することなく、時機到来と見たら、潔く譲り渡すことの大切さをいったものでしょう。(省略)立場でも地位でも、『守らなければ…』と考えれば勘がるほど、余計な心配の種をまくことになって、心の安定を失っていくのです。

 

『増上慢(ぞうじょうまん)』

また、本にはこうもある。

前向きに受け止める

 

仏教では『増上慢(ぞうじょうまん)』といいますが、未熟であることをわすれて、さも悟りを得たかのように誇る、という心の状態になりかねないのです。これが人生に悪い循環をつくります。

 

(中略)不世出の大横綱といわれた双葉山関は69連勝という大記録を残していますが、70勝目を狙った勝負で、安藝ノ海関に敗れたあと、師と仰いでいた安岡正篤さんに宛ててこんな言葉を打電した、と伝わっています。

 

『いまだ木鶏(もっけい)たりえず』

 

木鶏とは、木彫りの鶏にことです。軍鶏どうしを闘わせる『闘鶏』で最強なのは、なにがあっても心を動じることなく、泰然自若としている木鶏であるとした、荘子の言葉を用いたものですが、70勝目の勝負で心が動いた自分は、いまだその域に達していない、と自戒を込めて師にこの言葉を伝えたのでしょう。

 

もっけい

 

自戒し、自制し、内省することをやめた瞬間に、腐敗は始まっている。

 

初心忘るべからず

数々の偉人の人生を研究する、上智大学名誉教授、渡部昇一の著書、『エマソン 運命を味方にする人生論』にはこうある。

初心忘るべからず

 

ある有名な経済評論家がこんなことをいっています。

『経済的に成功した社長が本を書いたら、その会社の株は売りなさい。なんとなれば、大体、その人は奢っているからだ』

 

またこうもいっています。

『自分の成功したことを書いて潰れないのは、松下幸之助みたいな、例外だけだ』

 

大方の成功者は、成功に浮かれて失敗をしてしまうということでしょう。松下幸之助のような人は例外だと考えなくてはいけないというわけです。

 

人の心をとかす富貴

早稲田大学を経て、情報会社・出版社の役員を歴任した岬龍一郎の著書、『言志四録』にはこうある。

金持ちとか身分が高いとかは、たとえていえば春や夏のようなもので、人の心をとかす。貧乏や地位が低いことは、秋や冬のようなもので、人の心を引き締める。そのため富貴になるとその志を弱くし、貧しさや地位の低さはその志を強固にする。

 

『富は若者にとって災いであり、貧乏は若者にとって幸いである』。貧しい身からアメリカの大富豪となったカーネギーの『富の福音』にある言葉だ。もしカーネギーが裕福な青年時代を過ごしていたら、金持ちにはならなかったであろうとの彼自身の体験談である。

 

熊沢蕃山も『集義和書』の中で『貧は世界の福の神』といわせている。貧しく身分もないから、人は発奮して偉くなろうと努力するのだし、発奮の材料になれば、貧乏は実のところ福の神だというのだ。たしかに、春や夏の様な陽気だったら、人は努力するということを忘れていたであろう。世界の文明が、何もしないで食物が自生する南国より、厳しい北国のほうに軍配を上げていることを見ればわかる。

 

傲慢、怠慢、努力を忘れる

また本にはこうもある。

戦いの常として、最初に勝った者は、必ず傲慢な心を起こす。傲慢になると必ず怠慢になる。怠慢になると努力を忘れるので終には敗れる。反対に、初め敗れた者は『今度こそは』と発憤する。発憤する者は努力する。努力する者は最後には勝利する。ゆえに一群を率いる指導者は、一時の勝敗にとらわれることなく、よく兵の士気を奮い立たせ、義勇を鼓舞し、勝利を収めても傲慢にならず、敗れてもくじけないように努めなければならない。これが戦いの要諦である。

 

勝って奢らず、負けて腐らず。捲土重来、臥薪嘗胆の心意気。これは人生全般においてもいえることである。

 

まさに、勝って奢らず、負けて腐らずだ。

 

成功から生まれる傲慢

『ビジョナリーカンパニー③ 衰退の五段階』にはこうある。

第一段階 成功から生まれる傲慢

 

偉大な企業は成功のために現実の厳しさから隔離されうる。勢いがついているので、経営者がまずい決定を下すか、規律を失っても、企業はしばらく前進できる。第一段階がはじまるのは、人々が高慢になり、成功を続けるのは自分たちの当然の権利であるかのように考えるようになり、当初に成功をもたらしてきた真の基礎的要因を見失ったときである。

 

成功を当然視する見方(『われわれが成功を収めているのは、これこれのことをする理由と、それが通用しなくなる条件を理解しているからだ』)に置き換えられたとき、やがて衰退がはじまる可能性がきわめて高くなる。成功したときにはうんと偶然が関与板場合が多いが、運が良かった可能性を認識せず、自分たちの長所と能力を過大評価する人は、傲慢に陥っているのである。

 

傲慢な無視

本にはこうもある。

傲慢な無視

 

古代ギリシャにさかのぼると、傲慢とは過剰なプライドで英雄の没落をもたらすのだとされ、あるいは古典学者のJ・ルーファス・フィアーズの言葉を言い換えるなら、常軌を逸した尊大さであり、罪のない人に打撃を与えるものだとされている。

 

(中略)衰退の各段階をみていく旅のなかでは、さまざまな形の傲慢さにぶつかることになる。世界一になれない分野への規律なき進出という形の傲慢さにぶつかる。卓越性を維持しながら達成できる以上の成長を追求するという形の傲慢さにぶつかる。矛盾しあったやみずからの誤りを示す事実を無視して大胆で高リスクの決定を行うという形の傲慢さにぶつかる。外部からの脅威や内部の墜落のために企業が危険な状態になりうる可能性すら否定するという形の傲慢さにぶつかる。そして、とりわけ危険な形の傲慢さとして、傲慢な無視にぶつかる。

 

『盲目になる』というイメージを持つといいだろう。ちょうど、ある一定の部分が真っ暗になって完全に見えなくなってしまう現象が起きる。このある種のウイルスに人間は、自分の思い通りの展開に事が進んで油断したときに、感染する可能性が高いのである。

 

目

 

国家興亡の四十年

半藤一利の著書『昭和史』にはこうある。

国家興亡の四十年

 

(省略)それがある程度うまくいきまして、つまり植民地にならずに日本は堂々たる近代国家をつくることに成功したわけです。(中略)それは別にしても、明治の日本人たちが、とにかく一人前のしっかりした国を作ろうと頑張ったことは確かなんです。

 

その成果が表れて、明治27、28年の”眠れる獅子”といわれたアジア随一の強国清国との戦争(日清戦争)に勝ち、さらに明治37、38年(1904、1905年)、日本は当時、世界の五大強国の一つといわれていた帝政ロシアと戦争(日露戦争)をして、かろうじて勝つことができた。そして世界の国々から、アジアに日本という立派な国があることを認めてもらうことができました。つまり国を開いてから40年かかかって、日本は近代国家を完成させたということになるわけです。

 

さてここから大正、昭和になるのですが、自分たちは世界の堂々たる強国なのだ、強国の仲間に入れるのだ、と日本人はたいへんいい気になり、自惚れ、のぼせ、世界中を相手にするような戦争をはじめ、明治の父祖が一所懸命つくった国を滅ぼしてしまう結果になる、これが昭和20年(1945年)8月15日の敗戦というわけです。

 

1865年から国づくりをはじめて1905年に完成した、その国を40年後の1945年にまたまた滅ぼしてしまう。国をつくるのに40年、国を亡ぼすのに40年、語呂合わせの様ですが、そういう結果を生んだのです。

 

戦争

 

スターリンや毛沢東だけではない。日本人とて、どんな人間とて同じ。70億人全ての人間にこの黄金律は通用するのである。

 

戦力を失わせた成功体験への埋没

同じような話をする本がある。東京大学経済学部を卒業後、通産省に入り、日本万国博覧会を企画し、開催にこぎつけた立役者、堺屋太一の著書、『組織の盛衰』にはこうある。

戦力を失わせた成功体験への埋没

 

軍人共同体と化した帝国陸海軍の機能低下をもたらした原因の第一は、やはり成功体験への埋没である。日本軍の成功体験とは、日露戦争だ。この戦争で、陸軍は白兵銃剣の突撃で勝利をおさめ、旅順攻略や奉天大会戦で勝利した。海軍は日本海海戦などの艦隊決戦で圧勝した。堂々の艦列を組んだ歓待どうした砲撃と水雷で闘った末に勝利をおさめたのである。

 

日本軍はこの成功体験を忘れることができず、以後は何度失敗しても白兵銃剣に頼り艦隊決戦を求める。陸軍はノモンハンで敗北し、ガダルカナルで惨敗し、フィリピンやインパールでも大敗するが、なお白兵銃剣の発想を超えられなかった。

 

何度でも言おう。人間は一度成功すると、ある種のウイルスに感染する傾向がある。

 

ウイルス

 

最悪の病―エゴチズム

『ユニクロ』を運営するファーストリテイリング社長、柳井正が、『最高の教科書』だと評価するハロルド・ジェニーンの著書、『プロフェッショナル・マネージャー』にはこうある。

最悪の病―エゴチズム

 

過度のエゴチズムはしばしば、失敗への極端な恐怖に根ざしている。たいていの人は自分が”失敗”と見なすものに対して自分を守る能力をつけることに多大の時間を費やす。私の考えでは、たいていの人はただ失敗したくないと思うだけで、それが何を意味するかを本当には知っていない。だが、人々とその職業的生産は、失敗より成功によって”破滅”させられることが多い。人々がその職業的生産のどこかで一度ならず失敗し、それからまた立ち直って、かつて夢想もしなった大成功を収めるのを私は見てきた。

 

人は失敗から物事を学ぶのだ。成功からなにかを学ぶことはめったにない。大抵の人は、”失敗”の意味を考える以上の時間をかけて”成功”の意味を考えようとはしない。完全に正常で分別のある謙虚な人々が、それまで経験したことのない大きな権限を伴った地位についたとたんに、”狂って”しまった例を私は見てきた。そうした人々は、本当は新しい地位の出発点に立っただけなのに、ゴールインしたと錯覚してしまったのだ。

 

私もそういう人間を何人も見た。そしてかくいう私も、かつてはそういう人間だったし、気を抜けばいつだってまた自分を見失う危険性があるのだ。

 

不変の法則

経済学の巨人と言われたガルブレイスは、1636年のチューリップ狂の経験以来、 何も変わらないある法則を見極め、こう言っていた。著書『バブルの物語』にはこうある。

『個人も機関も、富の増大から得られるすばらしい満足感のとりこになる。これには自分の洞察力がすぐれているからだという幻想がつきものなのであるが、この幻想は、自分および他の人の知性は金の所有と密接に歩調をそろえて進んでいるという一般的な受け止め方によって守られている。』

 

地位、名誉、財産。それらを手に入れたときにどう対応するか。それが、その人間の器を測る、試金石となる。

 

 

 

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