『ヒト』を最適化しよう。

『人間が戦うべき相手は外にはいない。『内』にいるのだ。』(2ページ目)

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 『生きる』ということの本当の意味

この黄金律も、『『生きる』ということの本当の意味とは。』 同様、

 

 

と併せて考えれば見えて来る事実である。

 

例えば、企業や芸能人が、自分と似たジャンルにいる企業やタレントに対し、『かぶっているから』という理由で、つまりシェア争いの理由で、それらをライバル視することがあるだろう。それを突き詰めて考えればわかるはずだが、その発想からすると、自分とは無縁であればあるほどライバルではない、ということになるわけだ。だとしたらもう答えは出ている。人間がこの世で闘うべき相手はこの世でたった一人だ。

 

強制収容所にいた人々

ナチスの強制収容所に収監され、人間の想像を絶する3年間を過ごしたドイツの心理学者、ヴィクトール・E・フランクルの著書、『夜と霧』にはこうある。

収容所生活最後の日々の極度の精神的緊張からの道、この神経戦から心の平和へともどる道は、けっして平たんではなかった。(省略)まず考慮すべきは、つぎの点だ。長いこと空恐ろしいほどの精神的な抑圧のもとにあった人間、つまりは強制収容所に入れられていた人間は、当然のことながら、解放されたあとも、いやむしろまさに突然抑圧から解放されたために、ある種の精神的な危険に脅かされるのだ。

 

(中略)とくに、未成熟な人間が、この心理学的な段階で、あいかわらず権力や暴力といった枠組みにとらわれた心的態度を見せることがしばしば観察された。そういう人々は、今や解放された者として、今度は自分が力と自由を意のままに、とことんためらいもなく行使していいのだとはき違えるのだ。

 

彼らの精神状態は極めて同情に値するものであり、何人たりともぞんざいに扱ってはならない。だが、そんな中でも人間は、『凛とする』行動と、『特権の乱用』にひた走る人間とに分かれる。

 

汝自身を知れ

ハーバード大学大学院にて心理学の博士号を取得した、ダニエル・ゴールマンの著書、『EQ こころの知能指数』にはこうある。

汝自身を知れ

 

日本の古い話だ。血気にはやるサムライが禅僧に、地獄とは何か極楽とは何か、と問う。しかし禅僧はサムライの問いを一笑に付す。

『この無骨者が。お前なんぞに関わる暇は持たぬ。』

 

体面を傷つけられサムライは激怒し、刀を抜いて大声をあげた。

『無礼な!切り捨ててくれる!』

 

『それを地獄と申す。』

 

禅僧は静かに答えた。怒りに狂った自分の心をズバリ突かれて我にかえったサムライは、刀を鞘におさめ、禅僧に向かって一礼した。禅僧はふたたび口を開いた。

 

『それを極楽と申す。』

 

『あいつを殺してやりたい』と思う心

また本にはこうもある。

具体的に言えば、『あいつを殺してやりたい』と思うほど激怒している心境は自我観察が欠如している状態、同じように激怒しながらも、『あ、自分は怒っている』と内省的に意識している心境が自我観察がおこなわれている状態だ。脳の神経機能から見れば、この心的状態の転換は大脳新皮質の回路が常道を活発にモニターしていることを示す徴候と思われる。これは情動をコントロールする第一のステップだ。このように自己の情動を認識する能力は、情動に関わるあらゆる知性の基礎となる。

 

これに関しては、以下の事実と併せて考えるべきである。

 

聖性と魔性

聖書における『ヘブライ人の手紙』には『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。

『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』

 

つまり人間には『聖性(せいせい)と魔性(ませい)』の両面がある。

 

 

その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。

 

 

更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、 イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。

 

『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。

 

この考え方、この説明なら、クリスチャンであることを両親から強要され、一度親ごと宗教を呪い殺そうとした無宗教者の私であっても、完全に理解することが出来る。人間がこの世で闘うべき相手はこの世でたった一人だ。最大の敵は外ではなく、自分の内にいるのだ。

 

自分に打ち勝つ

松下幸之助から『経営の神』の異名を受け付いだ現代の経営の神、稲盛和夫の著書、『心を高める、経営を伸ばす』にはこうある。

自分に打ち勝つ

 

(省略)私は、この克己心も含めて、その人の能力を考えなければならないと思っています。言い換えれば、自分に負けて、安逸をむさぼり、努力できないということは、その人の能力の低さを表していると思うのです。

 

自分に克つ。これが出来ない人間は、永久に『強い人間』の称号など手に入れることなど出来ない。

 

武士道

新渡戸稲造の著書、『武士道』は、実にそうそうたる人物と照らし合わせ、その道について追及していて、奥深い。キリストアリストテレスソクラテスプラトン孔子孟子ニーチェエマーソンデカルト織田信長徳川家康豊臣秀吉、枚挙に暇がない。本にはこうある。

『武士道においては不平不満を並べ立てない不屈の勇気を訓練することが行われていた。そして他方では、礼の教訓があった。それは自己の悲しみ、苦しみを外面に表して他人の湯快や平穏をかき乱すことがないように求めていた。』

 

本当に強く、高潔な人間とは、常に自分自身と闘っているのである。

 

私が最も効果的と思う『心の修養法』

同じく、新渡戸稲造の著書、『自分をもっと深く掘れ!』にはこうある。

私が最も効果的と思う『心の修養法』

 

日ごろの心がけで、大概のことにも心を激さないように修養を積むことはでき得るものであると、私は信ずる。

『怒りは敵と思え』

 

家康公も言っている。もし毎朝起きる前に、常に『今日は断じて怒気を起こすまい』と心掛けるなら、きざしかけた怒気も、これを抑えることができる。このように毎日怒らないように心掛けると、おのずから怒気を未然に抑制することになり、たとえ怒気が起こっても、ただちにこれを抑えることができる。英国のことわざに、

『一オンスの予防薬は一ポンドの服薬に値す』

 

とある。平生から怒気抑制に心掛けていれば、比較的容易に効果をあげることができる。ギリシャの哲学者デモクリトスは、精神の最良の状態はそれを平坦に保つことなりと教えた。心を平らに維持するのは、平和持久の基である。

 

毎日が自分との闘いだ。

 

怒りを表さない

儒教、仏教、道教を深く学び、足りない部分を補って創り上げた、洪自誠(こうじせい)の著書であり、川上哲治田中角栄五島慶太吉川栄治ら昭和の巨人たちの座右の書である、『中国古典の知恵に学ぶ 菜根譚』にはこうある。

怒りを表さない

 

誰かにだまされたと気づいても、気づかぬふりをしているまた、他人が自分のことを馬鹿にしたり見下した態度をとったりしても、顔色ひとつ変えず平然としている。こうした態度の人としての度量の大きさが表れるし、かえってその効果は大きい。

 

人目につかないところでこそ過ちを犯さない

また本にはこうもある。

人目につかないところでこそ過ちを犯さない

 

肝臓が病気になってしまうと目が見えなくなり、腎臓が病気になると、耳が聞こえなくなるとされる。このように、病気というのは人の目につかない体の内部で発症し、やがてその症状が表に出て来るものだ。同様に、誰も見ていないからといって、人として誤った言動をすると、やがてはそれが露見し、批判にさらされることになる。だから、人目につかない所でこそ、過ちを犯さないように心掛けなければならない。

 

小さなことにも手を抜かない

さらにこうある。

小さなことにも手を抜かない

 

本当に立派な人物とはどのような人物か。

 

1.小さなことにも手を抜かない。

2.人が見ていようがいまいが、悪いことをしない。

3.失意のどん底でも投げやりにならない。

 

この三つが守れる人のことだ。

 

この世で最も闘いがいがあり、闘うだけの価値があるのは、自分との闘いなのだ。

 

上位20%の人は、ライバルが一人しかいない

SBIモーゲージ取締役執行役員常務、横山信治の著書、『上位20%に入れる人だけが一生成功する』にはこうある。

上位20%の人は、ライバルが一人しかいない(その他の人は他人と比較して落ち込む)

 

上位20%の人は、自らの結果を他人と比較して一喜一憂することがありません。他人と比べると、できない自分に落ち込むか、変な優越感を持つだけで、どちらも好ましくありません。ですから絶対に他人と比較しないでください。他人と自分ではバックグラウンドが違います。努力を始めた時期も環境も違う他人と比べても仕方がありません。では、誰と比べればいいのでしょうか?この世の中で、環境も遺伝子もまったく同じライバルが一人だけ存在します。それは『過去の自分』です。

 

人間が戦うべき相手は外にはいない。『内』にいるのだ。

 

 

 

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