『吉田松陰の言葉』を自分のものにしよう!

吉田松陰とは(画像

日本思想家。吉田松陰は1830年文政13年8月4日、長州藩の下士・杉百合之助の次男として生まれました。幼名は寅之助、叔父である吉田大助に養子入りしたのちに大次郎と改めます。大助が死亡して家督を継ぐと玉木文之進が開いた松下村塾で兵学を学び始めました。松下村塾での厳しい教えを受け、成長した吉田松陰は明倫館の独立師範に就任。嘉永3年には見聞を広めるために九州、江戸へ遊学の旅に出ます。

 

嘉永5年には宮部鼎蔵と東北旅行の計画を立てますが、なかなか通行手形が発行されず、しびれを切らした松陰は友との出発の約束を果たすために長州藩を脱藩。重罪であった脱藩を行った松陰は江戸に戻ると士籍を剥奪され、世禄を没収されてしまいます。嘉永7年、マシュー・ペリーが日米和親条約締結のために再来航の際、金子重之助と密航の計画を立てますが失敗に終わり、長州藩の野山獄に投獄。獄中で松陰は「孟子」を囚人達のために講義をします。

 

出獄した松陰はかつて玉木文之進が開いた松下村塾を引き継ぐ形で自宅に開塾。久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、高杉晋作らを教育しました。安政5年、日米修好通商条約締結に激怒した松陰は討幕を表明、間部詮勝の暗殺を目論みますが弟子である高杉晋作や木戸孝允らの反対に遭い計画は頓挫して、幕府に捕らえられ再び野山獄に幽閉されます。

 

安政6年10月27日、安政の大獄により江戸へ送られ、取り調べを受けたのち斬首刑に処され、吉田松陰は30歳でこの世を去りました。

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