『ヒト』を最適化しよう。

2020年鑑賞映画(IQ.)8

2002作品

目次

2020年

 

七年目の浮気

マリリン・モンローが地下鉄の通気口に立ち、白いスカートがふわりと浮き上がるシーンがあるのがこの映画だと知り、いつかは観るべきだと取っておいた。だから記念すべき2000本目の鑑賞映画にこれを観た。実際には、別に観たい映画は大体見てしまっているので、どれかを選ぶならということで、歴史あるこの映画を選んだまでだ。マリリンモンローに対しても思い入れはない。もう70年も前の50年代に活躍した女性だ。

 

更に、そのシーンは一瞬で、対してハレンチでもなく、あっけないものだった。だが、この大観衆の前での撮影風景を見て、野球選手だった夫のジョー・ディマジオが激怒し、二週間後に離婚が発表されたという。彼は彼女をとても愛していたので、嫉妬からのことだろう。『マリリンとアインシュタイン』などと一緒にこの映画を観たい。

 

この映画の内容自体は1955年の映画ということもあって特に斬新なものはないが、クスッと笑えるシーンもいくつかあり、まあまあの見応えだった。だがやはり時代には敵わない。今の若者にこの映画の良さを聞いてもさっぱりわからないだろう。

 

 

ヘルプ ~心がつなぐストーリー

1960年代前半。この時代はまさに黒人たちの時代と言ってもいいだろう。1955年12月1日にアラバマ州モンゴメリーで起きた「モンゴメリー・バス・ボイコット」を皮切りに、彼らの権利を主張する公民権運動が始まる。その指導者の代表者と言えば、

 

  1. メドガー・エバース
  2. マルコム・X
  3. マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)

 

だ。後の二人は有名だが、アメリカではメドガーエヴァースも有名。テレビで常に黒人の代表者として真理を主張し続けてきたことが、記録に残っている。1963年に起きた公民権運動家メドガー・エヴァーズ射殺事件。それは、当時を生きるアメリカ人にとってはあまりにも大きな事件だった。今回の映画でも彼の死のシーンが、そしてゴースト・オブ・ミシシッピーではまさに彼の遺族が主人公として描かれる。

 

詳しく調べたわけではないが、映画を観たところタイトルの『ヘルプ』は、現地で言う『お手伝いさん』であり主役の彼女たちを意味する。そして同時に、当時を生きた黒人たちの心の叫びが、ここに関係しているのではないだろうか。彼らは本当は現状から脱したい。だが、今まであまりにも淡々と現実を突き付けられすぎて、半ば真実を主張することを諦めてしまっている。

 

そんな中、一人の白人ライターが現れる。彼女も家にヘルパーがいた家庭で育った。だが彼女の場合は、その女性のことを実の母親のように慕っていた。つまり差別意識はないのだ。むしろ並々ならない愛情を持っている。では、その女性はどこまでできるか。彼女たちの心の叫びを、どこまで汲み取り、どこまでこの荒れ果てた時代のアメリカに、風を巻き起こせるか。

 

 

女性、ペンで戦う、黒人

タイタンズを忘れない

 

公民権法施行の後も人種差別が渦巻く1971年。その公民権運動指導者の代表者と言えば、

 

  1. メドガー・エバース
  2. マルコム・X
  3. マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)

 

だ。後の二人は有名だが、アメリカではメドガーエヴァースも有名。テレビで常に黒人の代表者として真理を主張し続けてきたことが、記録に残っている。1963年に起きた公民権運動家メドガー・エヴァーズ射殺事件。それは、当時を生きるアメリカ人にとってはあまりにも大きな事件だった。『ヘルプ ~心がつなぐストーリー』でも彼の死のシーンが、そしてゴースト・オブ・ミシシッピーではまさに彼の遺族が主人公として描かれる。

 

彼だけじゃなく、上の3人は全員暗殺された。そのすべてが映画化されている。だから公民権運動によって黒人の権利が通った後でも、すぐに彼らアメリカ人に根付いた差別意識は消えることはないのだ。その後、教育改革によりヴァージニア州に白人黒人混合の高校が生まれる。では、そんな時代の白人と黒人の高校生とは一体どのような人間関係を作っていくのだろうか。

 

スポーツという一つの同じ目標が、彼らに与える影響とは何か。

 

フットボール、黒人、実話

ブリグズビー・ベア

最初は子供だましのぬいぐるみ系か、ted方面の二番煎じにも似た印象があり、距離を置いていた。だが、これが『観るべき映画』としてリストインされていたので、何かしらの見応えがある可能性は捨てきれなかった。結果、やはり中々見応えがある映画だった。かなり複雑な環境だが、100分しかない短編的な映画の中で、それをきちんと説明しきれているから、視聴者はそれに追いつくことができる。

 

それができるのは恐らく監督と脚本を務める彼らが中学時代から短編映画を作っていたという経歴があるからだろう。物語を短くまとめ、かつストーリーを盛り込むためには徹底的に無駄を省き、かつ詰め込むだけではなくメリハリの効いた流れを用意しなければならない。それがあればまるである種の小さな遊園地のジェットコースターのように、『案外楽しかったね!』という感想を与えることができるわけだ。

 

馬鹿馬鹿しい物語を信じ、あまりにも現実離れした現実で『常識』を抱えた人々から冷ややかな目で見られるも、それを超越した純粋さで奇跡を起こしていく。それは、彼の周りに起こる奇跡ということだけではない。なぜかその異常な現実が、正当化されるのだ。

 

熊(ted、ぷー、パーティで)映画を作る(エドウッド)ルーム(監禁

クイズ・ショウ

1950年代に実在したNBCの人気テレビ番組『21(トウェンティワン)』をめぐるスキャンダルを映画化。を、ロバート・レッドフォードが監督して映画化。まあ登場人物が賢いのなんの。何でも知ってるクイズ王に、ピューリッツァー賞詩人の父を持つ博学の大学講師ハーバード大学を首席で卒業する捜査官。彼らのやり取りを見ているだけで何とも言えない爽快感がある。

 

映画を観て知識で置いてかれることはあまりなく、『キュリー夫人』や『インターステラー』、『いまを生きる』など、高度な専門知識が飛び交う作品か、インテリ系の作品のいくつかにそれがあるくらいだ。そう考えると、この類まれな天才たちの頭脳戦は三谷幸喜が『古畑任三郎』のモデルとして使ったこともうなづける話である。この映画ではそこまで頭脳戦に軸を置いていないためスリリングさはないが、古畑の場合はもろに『頭脳VS頭脳』を見ることができるから、エンタメとしてもとても見応えがある。

 

頭脳戦(ハーバードトップ、)巨大組織、ロバート、天才

セント・オブ・ウーマン/夢の香り

軍人時代の怪我で視力を失った男をアルパチーノが演じる。彼は視力こそないが、直感は鋭く、自信に満ち溢れているように見えた。だが、彼は『盲目』だった。その意味はもちろん、映画で観て確認したいことだ。彼と一緒に行動するのは少年だ。普通の高校生。そりゃあ悩みも抱えている。誰もが皆そうだ。だから男は彼の為に人生の先輩として教えられることがたくさんある。少年にとっては一時的なアルバイトのつもりの付き合いだったが、次第に彼が人生の師に値する何かを持っていると感じるようになる。

 

だが言ったように彼は盲目だ。一体どういうことなのか。先行きが見えないで不安でいるのは、途中まで少年の方だと思い込んでいた。言葉は、火と同じである。人を暖めもするし、火傷を負わせることもできる。目が見えない彼にとっての言葉とは、健常者のそれよりも遥かに深く心に突き刺さり、そして逆にその闇を照らしてくれる火の暖かさは、誰よりもしみじみと実感することができる。

 

 

少年が彼にできることはなにか。男が少年にできることはなにか。偶然出会った二人の男たちが、本音で向き合い、支え合い、在るべき人間の姿を確信する。

 

病気、人生の師、二人旅

『マリリンとアインシュタイン』

アインシュタイン、マリリン・モンロー、野球選手のジョー・ディマジオ、赤狩りのマッカーシー等とおぼしき人物たちがホテルの一室に集って繰り広げるドラマ。ディマジオはマリリンモンローの夫だ。亡くなる数日前に友人に語った最期の言葉は、「死んだら、マリリンのところへいける」だったという。

 

 

マッカーシーというのは『グッドナイト&グッドラック』にも登場する当時の政治家のキーマンだ。アインシュタインはマリリンモンローと親交があったとされるが、wikipediaにはない。だが、彼のドキュメンタリー映画にも近い『アインシュタイン:天才脳の行方と秘密』にはそのことについて触れているシーンがある。また、『七年目の浮気』のシーンで、地下鉄の通気口から吹き上げる風にモンローのスカートがめくれ上がり、太ももと下着が露わになる有名なシーンでがあるが、その撮影に居合わせたディマジオと大喧嘩をしたモンローが「心理的虐待」を受けたとして離婚訴訟を起こし、結婚後わずか274日で離婚している。

 

  1. アインシュタイン:天才脳の行方と秘密
  2. グッドナイト&グッドラック
  3. 七年目の浮気

 

この3つと合わせて観ることで、この映画の意味が見えてくるだろう。また、ところどころに日本の原爆シーンのようなものが映るが、ディマジオとマリリンが新婚旅行をしたのが日本だったこと、また、アインシュタインの知識が原爆に利用され、それを泣きながら日本で謝罪したことがあるアインシュタインの歴史と照らし合わせて考えたい。

 

偉人、併せて

『戦火の馬』

元が児童小説ということもあり、角度が少し普通の戦争とは違う。馬が主人公という、斬新な発想である。だが、戦争は戦争で、描かれる第一次世界大戦の塹壕戦や、凄惨な戦場の姿などは他の映画と全く同じだ。今回の場合、そこに馬を介入させることで、(たしかに馬も戦争の犠牲者であり、彼らとしては共に戦った戦友だ)という意識が芽生えることになる。

 

また、目線を人間から馬に変えることで、『人間が勝手に始めた愚かな行い』を客観視することができ、例えばこれを読んでいる、観ている人が児童であった場合、戦争という人間が勝手に引き起こした不自然な行動が、大自然の摂理の中で一生懸命生き抜こうとする一頭の馬との対比により、より馬鹿馬鹿しい行動であるように見え、反戦意識を煽ることに成功する。

 

第一次、様々な戦争

『インサイダー』

アメリカのタバコ産業の不正を告発したCBSのプロデューサーと大手タバコ会社の副社長によるタバコ産業の不正告発を描いた社会派ドラマ。このCBSの人気ドキュメンタリー番組『60 Minutes』というのは中々切り込むことが有名で、他にも『ニュースの真相』など、この番組を軸にした映画が存在している。その場合、ブッシュ大統領の不正について切り込む内容だった。

 

今回の場合はたばこ大手と簡単に言うが、実際にはその経済力は莫大で、そのCBSごと買い占めることができてしまうレベルの規模だ。つまり、もしそのテレビ局の、単なるプロデューサーレベルの人間がワーワー騒いだところで、上の圧力で番組ごと消すことも可能になってしまうのである。これは、組織の人間になったのなら仕方がない現実だ。それが嫌なら自分でやるべきだった。だが、それよりも手っ取り早く結果を出したり活躍したいということで、『既に存在して脈を張った組織』に入社したのだ。その時から、その自由と代償に失ったものがあったのである。

 

だが、だからといって泣き寝入りするべきなのか。いつだって人間は、巨大な権力には抗うことはできないのか。多勢に無勢。物理的に考えても、100は1よりも多く、火に水をかければ火は消える。そういうこの世界の『決して逆らえない力関係』に、信念のジャーナリストが挑む。

 

実話、巨大組織、豪華共演、本当にあった(クマリン、発がん性、アンモニア、ニコチン吸収)、その情報を(スノーデン)、ジャーナリスト

素晴らしきかな、人生

名作『素晴らしき哉、人生』と比べて、評価の低い映画だ。興行的にはウィル・スミス主演作品としては最低の記録となった作品になったようだが、それもそのはず、時間が90分と短いし、本腰感がない。本当に力を入れたものじゃなければ人々の気持ちを動かすことはできないのだ。例えば『インターステラー』は、まだ私が別にクリストファーノーランを何となくとしか評価してなく、宇宙もどうでもいいと思っていたし、マシューマコノヒーに対しても(誰やねんこいつ、何か I’m coming backの言い方も腹立つな・・)と思っていたほどだ。

 

だが、そういう私を圧倒させた。それがこの映画の実力である。ブラックホールを初めて可視化することに成功したこともさることながら、入念にシナリオを練りこみ、細部まで計算されて作りこんでいることがよくわかった。とんでもない映画に出会ってしまったと感じたものである。

 

それに比べ、これはその『素晴らしき哉、人生』との関連性もよくわからないし、時間は短い。主人公が誰かも明確ではない。大物が多いが、大物が多すぎて誰にフォーカスすればいいか分からないし、90分という時間ならたった一人に集中した方が感情移入する時間を稼げたはずだ。

 

だが、駄作というわけでもないだろう。彼と同じような状況にある人からすれば、彼の気持ちはよくわかるだろうし、得られるものがあるのではないだろうか。

 

子供の死

『ショウタイム

エディ・マーフィ、ロバート・デ・ニーロが共演する豪華な刑事バディ映画。現在、もうこの刑事バディのシナリオは通用しなくなっているようだ。飽きられているのか、ここ10年以上映画館でそのようなシナリオのものを見ない。『バッドボーイズ』があるかどうかというレベルだ。かつて、リーサルウェポンやビバリーヒルズコップ、ポリスアカデミーなど警察ものの映画や、刑事コロンボとか、マイアミバイスとか、その手の作品は多々あった。

 

日本でもドラマで刑事貴族、あぶない刑事などいくつもあり、さんざんやり尽くしたのでやはり飽きられてしまったのかもしれない。この映画もその延長線上にある2002年の映画だ。破天荒な刑事が暴れ回って、異質コンビ同士で反発しあうも最後には窮地を共に乗り越え、戦友になり、ジョークを言って終わる、というセオリー通りの展開である。だが、俳優が豪華なので画が持つというわけだ。

 

豪華共演、刑事バディ(リーサル、バッドボーイズ

『ライフ

国際宇宙ステーション(ISS)搭乗のクルー6名は無人火星探査機ピルグリムの回収に成功。探査機が持ち帰った土をISS内で分析したところ、生きた微生物が含まれていることを確認。つまり、人類は初の『地球外生命体』と出会ったのだ。・・だが、どうも様子がおかしい。なにかが変だ・・。

 

これは、『ゼログラビティ』と合わせて観たい、『宇宙での出来事その2』である。

 

宇宙、火星(オデッセイ、アトラス(宇宙での出来事(ゼログラビティ

『戦場からのラブレター

原作はヴェラ・ブリテンの自叙伝『Testament of Youth』。第一次世界大戦があった1914年。仲が良かった弟や意中の人は、徴兵され、前線へ送られた。ヴェラも大学を辞めて、救急看護奉仕隊に志願し、ロンドン、フランス、マルタ島で任務に当たることになった。あの時代、戦争が正当化されていた。『西部戦線異状なし』では同じ第一次世界大戦の様子が描かれるが、行く前の青年たちの目はギラギラしていてこの世のものとは思えない異様な気配を漂わせている。

 

もちろんそれは演出である。あの時代にあった狂気的な空気と、実際の戦争の凄惨さのギャップを強調するために、コントラストを演出したのだ。あの時代、といっても私が知るわけじゃないが、戦争があった時代は、皆それが使命であり光栄なことだと誤解していた。しかし実際には違うのだ。戦争というのは真理から外れた虚無の上にある判断ミスなのである。

 

実話、女性、教訓、命の重み、戦場医者(イングリッシュ)、戦中の女性(レジェンドオブフォール

『それでも、やっぱりパパが好き

双極性障害のため失業を繰り返し、いつしか家族のやっかい者になってしまった父親を描く。脚本家マイア・フォーブスが自身の父親と家族をモデルに執筆した脚本を、自ら初メガホンをとって完成させた。基本、このように病気を負ってしまった人は厄介者になるのが相場だ。私の周りにも精神が正常とは言えない人が大勢いる。皆なにかしらの精神病ではないだろうか。まずキリスト教の7つの大罪である

 

  1. 傲慢
  2. 強欲
  3. 嫉妬
  4. 怠惰
  5. 憤怒
  6. 色欲
  7. 暴食

 

そしてブッダの言う罪である『執着』だが、これに支配されているようでは『精神が正常』とは言えない。それにもかかわらず自分が正常だと思っているならそれこそが『精神異常』の証拠だ。依存症は、自分のことを依存症だと認めないのが特徴である。

 

そこまで考えた時、確かに障害(ハードル)はある。だが、人生は元々ハードルだらけだ。それがあって当たり前で、それがない人生を幸せな人生と呼ぶのではなく、それとどう向き合ってきたかということを後で考えた時、振り返って後悔が内容な人生を幸せな人生というのである。

 

病気、複雑な家庭

閉ざされた森

これは中々面白い。よく考えると、私はサスペンスが好きらしい。何が起こるか分からず、真犯人が明らかでなく、どうなってしまうのかが気になる。連蔵ドラマは『LOST』と『プリズンブレイク』を見たが、その2つもサスペンスだった。先が分からないし、意外な展開になるからこそ続きが気になり、集中力が続くし、あの時は次の回を借りる行為だけでもワクワクしていたものだった。

 

ジョン・トラボルタの飄々とした演技と、その演技経験も演出の中の一つに組み込まれている。悪役もキーマン役も務めてきた彼だから、一体どっちに転ぶか最後まで全く分からない。

 

森の秘密(追憶の森、ヴィレッジ)、犯人は誰

アルフレード アルフレード

結婚と離婚をめぐる悲喜劇をイタリア語で描くが、あまり日本人ウケするかどうかは分からないような内容だ。ウディ・アレンのような展開である。海外の人はこういう展開をコメディだと受け止め、はははと笑うかもしれないが、真面目に観てしまう私なんかからすれば、真面目なのかコメディなのかわからない半端な作品は『中途半端』だとしか感じない。

 

ライアーライアー

嘘をつくことが仕事であるという常識に支配された弁護士が、その常識の範囲外で生きる息子の純粋な願いによって『本来の人間の常識』を思い出す、あるいは思い知る教訓映画である。よく、子供の頃純粋だった気持ちが大人になって汚れてなくなってしまう、という類の言葉を聞くことがあるはずだが、それは具体的にはどういうことなのか、ということを教えてくれる映画だ。

 

実は、詐欺師のポテンシャルを持った人間も、その闇を隠して表層を騙せば、この世界では出世もできるし、得られる報酬もある。だが、『では彼は成功者になれるのだろうか』という疑問を持った時、真理が出す答えは即答として、『なれない』わけである。それは一体なぜか。表層に好きなものを揃えられる権利を持っているのに、成功者ではない。この映画を通してそれを理解できるなら、まだ間に合う。

 

教訓、変な裁判、笑う、YESマン(真実はいい、YESはいい)、マスク、良いパパ

記者たち 衝撃と畏怖の真実

イラク開戦をめぐる「大量破壊兵器」捏造問題を実話を元に描く。アメリカはイラクに『大量破壊兵器がある』と断定してイラク戦争を勃発。それがどういうことかというのは『華氏911』を観るのがいいだろう。原題の「衝撃と畏怖」は米軍の作戦名から採られている。映画ではブッシュ元大統領を始め、その副大統領の『バイス』で主人公となったディック・チェイニーその他多くの政治家たちのテレビでの発言が引用され、その背後で新聞記者たちがどのように考え行動していたのかを描き出している。

 

とにかくアメリカは60年代のベトナム戦争においても『トンキン湾事件』で捏造し、ベトナム戦争に介入。911の後にも強引な拷問をして問題視された。そもそも911の原因はこうだ。

 

1.アメリカがユダヤ教の肩入れをして、パレスチナ(エルサレム)の地をアラブ人から奪った因縁があった。

2.アメリカ人の9割がキリスト教徒で、『イスラム教VSキリスト教』という宗教対立の構造があった。

3.湾岸戦争で『サウジアラビア』という地域を戦場にしたこと、アメリカ軍がここに駐屯したことがイスラム教への冒涜だと解釈された。

 

最も直接的なのは3番の湾岸戦争(1990年頃)での振る舞いだ。ベトナム戦争、湾岸戦争、911後の拷問、イラク戦争。彼らは常に一線を超えるような行動を取り続けていた。それが『前始末だ』という考え方もある。当人たちはそういう主張だろう。わあわあガヤで叫ぶのは簡単だが、国家の立場が転落したら自分たちが守り続けているその『自由な主張』など虚無に消える。勝者だからこそ、主張する余裕があるのだ。彼らはイギリス・フランスが第二次世界大戦で世界トップの座から転落して以来この世界のトップに君臨するが、同時に、米ソ冷戦もさることながら、常にその地位の死守の責務を負うことになった。

 

敗戦国や植民地の悲惨な現状を知っているだろうか。奴隷として売られる人間や、迫害される先住民の心情がわかるだろうか。彼らは常に『勝者』でいつづけることでそのアイデンティティ(身分証明)を果たし、維持してきた。その椅子の死守は恐怖にも似た執着でもあり、帝王学的な知性の上に成り立つ『カウンターインテリジェンス』でもある。

 

カウンターインテリジェンス
問題を未然に防ぐこと。例えば空港でテロリストを確保できればテロを未然に防げる。

 

アメリカは悪か、善か。それともこの世界は最初から混沌(グレイ)なのか。

 

 

事実、911(バイスはとくに)、ペンは、会社(ワシントンポスト、NYタイム、ナイトリッダー)、大統領の陰謀(のせいだと出てくる)、正しいか(マネーショート)

レイヤー・ケーキ

名もなき麻薬ディーラーのXXXXをダニエルクレイグが演じる。その彼の名前が謎ということもそうだが、よくあるクライムムービーと比べても、中々飽きずに最後まで観れる痛快な映画だ。ほどよく色々なエッセンスが含まれているからそう感じるのだろう。ちなみに私はこの映画で初めて『レイヤー』の意味が『断層』だと知った。絵を描くツールにレイヤーというのは常にあったが、意味が分からないので無視していた。

 

だが、これが断層と知っていたらもっと早く使いこなしていただろう。要は、1断層目は、ミッキーマウスで、2断層目はミッキーの上着、3断層目は帽子と、断層を分けて絵を描くことで、後でそのレイヤー(断層)だけを赤にするとか、青にするとか、移動させるとか、そういうカスタマイズができるわけだ。それがレイヤーという意味である。

 

では、この映画でいうレイヤーとはどういうことだろうか。

 

アウトロー

『A GHOST STORY ア・ゴーストストーリー』

不慮の死を遂げた男がシーツを被った幽霊となって、遺された妻や世の移り変わりを見守り続ける姿を描くが、意見が分かれる映画となるだろう。私が映画に求める要素はゲームから得られるものではない。これを映画なので、映画ならではの何かを得たいのである。その意味で、非現実的であるこのストーリー自体からは何も得られない。これなら、ゴーストバスターズの方がいい。最初からないことが前提としているかのように、冗談交じりに遊ぶならいいが、このようにシリアスにされると『このようなゴーストがいるのではないか』というオカルト的な話になってしまうのでつまらない。

 

だが、それはさておき、中で繰り広げられる人々の会話には気になるものがあった。あるわけのわからない『痛いおっさん』的な立場の人間が、(イキって意味不明なことを言ってる)という具合に見ることもできる中、かなり核心を突いた話をしているのである。これは、私がよくする考え方で、完璧主義者ならではの発想だ。

 

完璧主義者というのは性格的な問題であり、例えば10あるシリーズで、1,2まで観たらそのすべてを観ないと気が済まない。また、部屋を綺麗にするときは最低でも目に見えるところは納得いくまでピカピカにし、それである種の多幸感を覚えるが、子供がいた場合、どうせその子供がすぐ部屋を散らかすので(だったら掃除をしなくてもいいや)と考える節がある。これは私自身がそうであり、権威ある生物学者がこれを口にしていたので間違いはなさそうだ。

 

その私は、まずこのサイトにあるように人間の勉強をするなら、そのトップに君臨する儒教の始祖『孔子』、キリスト教の礎『イエス・キリスト』、仏教の開祖『釈迦』、古代ギリシャの哲学者『ソクラテス』の、四聖の教えに目を向けるべきだと考え、偉人を学ぶ前に何よりも先に彼らの言葉に目を向けた。そして、ニーチェが言うように『永劫回帰』のような考え方にたどり着く。

 

ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒

 

地獄

[永劫回帰]

 

ニーチェは、この世はこういう無限ループなのだ、という過程をする。もし、前世や来世等の発想があると、人はどうしてもその『もう一つの可能性』に未来を託し、あるいは希望を抱いてしまう。それが結果として現実逃避を生み出し、『今この瞬間』の否定につながる。

 

きっと来世ではもっとやれるはずだ!

 

しかし、もし永劫回帰という考え方があれば、今この瞬間、あるがままを受け入れるしかない。今この瞬間の、この自分以外にはあり得ない。『もう一つの可能性』などない。

 

だとしたら、今この瞬間、これが自分の人生なんだ!

 

と現実を直視し、今を全力で生きるようになる。ニーチェはそのようにして、その永劫回帰であったとしても、その事実を憂うのではなく前向きに受け入れ、既存の価値に囚われずに新しい価値を生み出す人間を意味する、『超人』であれと説いた。ニーチェが『この世に神は存在せず、人間だけが存在しているのだ』ということを強く主張したのは、こういう背景があるからなのだ。

 

映画に出てくる『痛いおっさん』は、まるでこのあたりの事実を知っているかのように、なかなか核心を突いた話をする。『だから、何をやっても意味がないんだ』という考え方は完璧主義者のそれであり、『数十億年後に地球が消滅し、いずれは宇宙も消滅する』という極端な終点に目を向け、その現実に半ばあきれるように、今の人生での向上を否定する考え方は、ここで挙げた偉人『まであと一歩』というところまで、彼が掘った証拠だ。

 

彼に妙に説得力があり、しかし同時に『痛いおっさん』にも見えたあの不思議な感覚は、その周りにいた連中のレベルがそう高いものではなさそうだ、という環境の影響もさることながら、あと一歩掘るのが足りない、というよくある人間の凡ミスだ。ニーチェはこうも言った。

 

『半可通(はんかつう)』というのは、私のような人間のことだ。意味は、いい加減な知識しかないのに、何もかもを知ったような口ぶりで話す人間のことである。私は常に口調を『なのだ』口調にして、さも事実を理解しているかのように振る舞っている。従って私は半可通になる。そして、ここで言うならこの彼も半可通ということになる。

 

彼は恐らくあの後の人生で、偉人たる結果を捻出しないだろう。彼は半可通のままの自分が好きなように見える。だが光景としてとても不思議なのが、それを聞いているゴーストの姿と、彼の身に起きるその後の現象である。普通、あのような痛いおっさんがあのような会で、あのようなキャラクターが集まる場所で話し出した場合、誰かが茶々を入れて話は最後までたどり着かない。だが、この映画では誰も彼に口を挟まない。ここに違和感がある。

 

この映画の目的として、『ゴーストが何かを見つければ終わり』なのだということが何となくわかるが、我々もゴーストも、そこにいる人達には何も影響させることができず、ただ一方的にそれを観てそこからヒントを得て、自分で答えを見つけなければならない。ゴーストはお皿を割ったりするポルターガイスト的な行動を取ることはできるが、それは別にそこにいる人達にポジティブな影響を与えることができない『ゴーストの一時的な混乱』だ。また思い出の地に他人が入り込むのを防ぐことくらいはできる。

 

そのおっさんしかり、シーンはいくつかの時代に急にワープする。あれは本人に『時間、死』という人間に通用する常識が通じないことを意味する演出にも見えるし、また、『実際には長時間そこにいるが、映画の都合上、重要なヒントがある場面や、重要なシーンに飛んだ』だけの可能性もある。それはまとめてみればわかる。どのシーンもすべて彼にとって重要なシーンだ。たまたまワープした時代のすべてに重要なヒントがあるというのはつじつまが合わない。

 

とにかく、あの半可通のおっさんは半可通ではあるが、ゴーストはそんな彼がおしゃべりをするあの時代のあのシーンに、『重要な何か』が隠されていると感じたように見える。だから我々もあのシーンを見なければならなかったし、ゴーストも黙ってそれを見ていたように見える。だがそれだと、あの半可通の言うように『どうせ宇宙は消滅するんだから、何を築いてもすべて無駄になる』という虚無主義(ニヒリズム)の発想になる。ニーチェをニヒリストと『勘違いして』言う人間がいるように、あと一歩掘らないと、そこまでの解釈どまりとなる。本当はその先にブッダらも辿り着いた天上天下唯我独尊という境地がある。

 

天上天下唯我独尊
『この世に自分という存在は、たった一人しかいない。唯一無二の人生を、悔いなく生きるべし』という意味。

 

だが彼はそこまでたどり着いていなかったので、『どうせ無駄なのさ』で話が終わってしまうわけだ。これでは、ゴーストもますます自分の存在意義を見失ってしまう。

 

この映画の他人の感想を見たが、そこにはこの映画にはハイデッガーの哲学が関係しているとあった。私もこのサイトで一通り勉強しているから、その中にはもちろんハイデッガーのそれもある。それが下記の記事だ。

 

ハイデッガーが『死を直視する』ことで得られる境地を主張した | IQ. (a-inquiry.com)

 

ハイデッガーは簡単に言うと、『死を直視して受け入れれば、有限の人生を理解し、人生を有意義に使うようになれると主張した人』だ。

 

[マルティン・ハイデッガー]

詳しくは記事に書いたが、

 

 

ハイデッガーがこう言うように、人間は時間の流れの中にあり、過去や未来に影響されている。過去の先祖が皇族だったら皇族の子として生まれるし、貧乏だったら貧乏の幼少期を送ることになる。そうやって時間の流れの中にいて、過去や未来に影響される。そして、未来に可能性を夢見て、現在を生きるわけだ。それをハイデッガーは『実存的生き方』と呼んだ。

 

だが、思い描いた未来を勝ち取れるかどうかはわからない。そう簡単なことでもない。ハイデッガーは、主体性を埋没させ、その他大勢の一人のような生き方をするならば、人は『頽落(たいらく。くずれ落ちること。新たな存在の意味を見出せず、同じことをし、同じところにとどまってしまうということ。)』すると言った。ハイデッガーの場合、ゴーストの話などしていないから直接的なことは触れないが、まず死を直視することで有限の人生を受け入れ、

 

よおし、ならせめて悔いなく、有意義な人生にしよう!

 

として奮起して立ちあがり、人生に主体性を持ち、この人生を意義のある、つまり有意義なものにすることができると主張している。この『頽落』だが、『新たな存在の意味を見出せず、同じことをし、同じところにとどまってしまう』というこの言葉、よく考えるとゴーストの立場に似ていないだろうか。そう考えると、彼は人、いやゴーストとして頽落してしまっている。つまり地縛霊だ。

 

地縛霊
自分が死んだことを受け入れられなかったり、自分が死んだことを理解できなかったりして、死亡した時にいた土地や建物などから離れずにいるとされる霊のこと

 

頽落する人間。地縛霊化するゴースト。まことに、人間というものは生きていても死んでいても、いつまで経っても自分の人生を主体的に生きることはできない生き物である。ゲーテは言った。

 

彼は生前、偉人たちのように達観していただろうか。それともゲーテ、あるいはニーチェの言うように、半可通かつ凡人的な人生を送っていだろうか。こう考えた時、私はこの映画が単純に『ゴーストが目的を達成して(答えを見つけて)成仏した』話ではなく、あの半可通のおっさんを含めたすべての『生存する人間』に対しても啓蒙する、人生に対する哲学の話のように見える。

 

つまり、ニーチェやハイデッガーやゲーテやブッダら偉人の説いた『天上天下唯我独尊』の境地を教えているのだ。もしそうなのであれば、ゴーストだけが救われる、という規模の小さな話ではなく、ここに登場した元妻のルーニーマーラや痛いおっさんも含めたすべての登場人物と、鑑賞者すべてに対する教訓的な話になる。

 

うーむ、あと1万文字くらいかかりそうだからこの辺にしておこう。

 

教訓

『クレイマー、クレイマー』

タイトルの意味は彼らの名前だ。「クレイマー(原告)対クレイマー(被告)の裁判」意味で同じ名前の人が争っている裁判、つまり離婚裁判を題材にした物語ということになる。公開当時のアメリカは1979年で、アメリカ国内において離婚・親権問題が社会問題となっていた為、高い評価を得た作品となった。アメリカでは日本の想像以上に裁判が多いため、アメリカ映画には裁判ものの映画がたくさんあるという印象だ。

 

『人種のるつぼ』と言われるほど多民族が終結する移民国家でありながら、人種、LGBT、女性など、すべての人が平等に扱われているとは言えず、『自由』の名のもとに自分で立ち向かってアメリカンドリームを掴まなければならない。それがアメリカの特徴である。だから国民皆保険もなく、自己破産の原因No.1は医療費の未払いである。

 

それは『ジョンQ』などの映画で切実な問題として理解することができるが、しかし裏を返せば、銃や麻薬の使用を認めるほどの『自由』を主張していることは、その代償として払うべきものがあるということなのである。銃乱射事件が起きても、ドラッグで親が死んでも、麻薬や銃はなくならない。医療費未払いで破産者が出ても、使者が出ても、それが理由でガチガチに決められた国にはならない。それが『自由』を求めて作られた自由の国、アメリカ合衆国だ。

 

多くの裁判映画を観てきたが、そうすると『堅苦しい裁判』という表層の根底に、人々の『個人的な人生の権利の主張』というテーマが存在することが見えるようになる。元々大体の裁判の理由がそれを軸にするわけではあるが、『主張の国』アメリカでは日本のように『自己を押し殺し、人の為に尽くすことに喜びを見出す犠牲心たる愛』よりも『自己主張』を重きとする風潮があるわけだ。

 

エドマンド・バークは言った。

 

『東日本大震災』の時、被災者に物資はなく、違うところでも『買占め問題』が浮上したが、店が襲撃されるほどではなかった。その後、その『誇り高き民族』である日本人に対し、世界の人々が称賛。以下の動画は、スティービー・ワンダーが震災後の日本人に向けて送ったメッセージだ。

 

 

日本語訳も動画の概要欄にある。一部を紹介しよう。

日本の力と忍耐強さは、地震と津波の影響を乗り越えるということを私は信じています。本当に、日本人の方々の勇-気と品位には心を打たれます。今、世界中の人々が、祈りと希望、そして、夢を日本の方々に託しています。最も礼儀正しく、美しい-国の方々へ。 私は、あなた方と共にいます。あなた方を愛しているから。

 

こういうとき、人々が利己的になり、暴動が起こるのが世界の相場だ。しかし現代を生きる日本人はなかなかこういう恥ずかしい行動を取らない。北野武は震災に対する対応で世界中から日本が称賛されている中、空き巣に入った日本人のニュースを受け、

 

と生放送のニュースで言った。しかし、それに対する苦情は思ったよりなかった。むしろ、『よく言った』という声が多かったのだ。ヘミングウェイは言った。

 

これが先ほど言った『自己を押し殺し、人の為に尽くすことに喜びを見出す犠牲心たる愛』の正体だ。別に日本を過大評価などしない。だが、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、儒教等の世界宗教の根幹にある教えの共通源から見出した真理には、『博愛』はあっても『エゴ寄りの自己主張の重要性』を説いたものはない。よって、神仏混交の地、この日本で独特に培われた武士道精神の一部に、偶然にも世界に誇る精神的な武器があったと言っていいのである。

 

アメリカは自由であり、しかしそれと同時に不自由である。このあたりの事情を踏まえてこの映画を観れば、『クレイマーたち』が取る行動の一部始終にある人間の心情が、浮き彫りになって見えてくるだろう。

 

 

 

裁判、親権、

レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い

戦争を経験したアンソニーホプキンズが演じる男は、先住民を救えなかったことに腹が立っていた。アメリカ人というのはイギリスからやってきた人間だ。ローマ帝国の国教がキリスト教になり、それが世界に普及していき、この世界でキリスト教が圧倒的なシェアを広げるに至った。そしてそれが後に1000年間続いた『暗黒時代』と言われるキリスト教一強の時代を生み出し、カトリック教会の腐敗が起き、それに逆らってドイツのルター等が宗教改革を起こす。

 

そしてキリスト教はカトリックに反発するようにルター派(プロテスタント)やカルヴィン派などに分派。その後もたくさん派閥ができるが、基本的にそれらはカトリック(大筋のキリスト教)に逆らうようにして起きたのだ。そのカルバンは、ジュネーブを神聖な国にしようとし、より厳格な規制を考えた。歌も大声も、踊りも酒も禁止。それができない人間は汚れているとして、異端扱いした。つまり、カトリックがキリスト教の名前を汚した越権行為をしていたため、彼らのような、

 

浄化するべきだ!もっと神聖であるべきだ!

 

とよりシビアな態度を求めるような人間を出してしまったわけだ。しかし度が過ぎた極端なカルバンによって追い込まれたピューリタン、つまり『普通の心を持った清教徒(プロテスタント。カトリックではない者)』は、居場所がなくなり、アメリカ大陸に新天地を求めた。そして北アメリカ大陸に移入したということなのである。彼らは貧しく、渡航費はなかったが、移民先の大農場で労働することを条件に、アメリカに移ったのである。そうしてできたのが『アメリカ合衆国』だ。彼らは英語を喋るだろう。彼らの大元はイギリス人なのである。

 

では、そのアメリカ大陸で元々暮らしていたインディアン(先住民)はどうしたのだろうか。彼らはコロンブスがそこをインドと間違えてからインディオ(スペイン語)と呼ばれるようになり、その上、土地を開拓してエリアを拡大しようとするアメリカ人に迫害されながら追いやられていった。映画『ラストサムライ』でも冒頭で同じような事実に葛藤するトムクルーズ演じる男の姿を見ることができる。

 

MEMO
当時、「文明程度の劣った植民地に近代文明を伝えることが先進諸国の責務である」といった思想の元に現地住民への一方的な支配や文化の押しつけ、現地資源の開発などが正当化された。この思想はイギリスでは「白人の責務」、フランスでは「文明化の使命」、アメリカでは「マニフェスト・デスティニー」(明白な天命)などと呼ばれていた。

 

だが、その『明白な天命』という考え方は真理と照らし合わせて考えた時、どう映るだろうか。黒人も、先住民も、白人たちの支配下につくべきで、人間には元々優劣があるという差別的な発想をする人間は、傍から見てどう見えるだろうか。

 

『これがこの映画の序章として押さえるべきポイント』だ。まず、冒頭の段階でアンソニーホプキンズというこの物語に登場する息子たちの父親を務める人間の思想が、そういう排他的で公明正大な観点から逸れ、エゴに支配されたおぞましい人間の現実に嫌気がさすような、そういう芯を持ったものだということが重要なポイントだ。この要素があるからこそ、彼の下で育つ子供たちはその思想を受け継ぎ、大自然と友人であるインディアンと共に平等に、あるがままに生きようと模索するような人間になっていく。

 

後は物語を直接見たい。彼らが一体どのような人生を生き、そしてどう死んでいくのか。この映画は人間が積み重ねてきた歴史のように奥が深く、大自然のように壮大で、別れ際には長年奇跡的に行動を共にすることができた獰猛な熊の友人と別れるような、そういう感慨を覚えることになるだろう。

 

大自然(リバーランズ・スルー・イット)女性を巡り(遥かなる大地へ、第一次、戦争の兄弟(北欧の、ブラザーフッド)神を呪ってやる(弟殺)、待つ女(コールド、イエロー)確執、禁酒法、絆、哀愁

『スナッチ

15年ぶりに観たのでほとんど初見だったが、ブラピだけじゃなくジェイソンステイサムに、ベニチオ・デル・トロも出ていて、中々豪華な作品だったようだ。更に一番印象的だったのが、きっと大勢の人が見逃すであろう冒頭のシーンだ。私も実際に見逃していた人間の一人だ。『RAS(ラス)』である。『RAS(網様体賦活系)』とは、脳内にあるフィルターの事である。難しくもなんともない。必要な情報とそうでないものを見分け、不要な情報を遮断するフィルターがあるというだけの話だ。

 

例えば人がテレビを買いたいと本気で思っている時期、テレビやネットのCMがよく目につくようになる。その情報を本当に欲しいと願っているからだ。だがそうではない時期、我々はその情報をRASによってスルーし、違う情報に目を配らせるようになる。このRASのおかげで我々はこの世界に膨大に広がる情報を精査し、それらに支配されないように自らを守っているのである。

 

そのRASの影響でもある。だがここでさらっと行われる『聖書翻訳ミス』についての会話は、私にとっては中々興味深い話だ。9.11を経て、宗教についての疑問を爆発させた、『利己的な遺伝子』で有名なリチャード・ドーキンスの著書『神は妄想である』にはこうある。

『イブン・ワラクは、一人のイスラム教殉職者につき72人の処女を与えるという有名な約束において、『処女』は『水晶のように透明な白い干しぶどう』が誤訳されたものであると、愉快そうに主張している。 いまや、このことがもっとひろく知られてさえいれば、自爆テロの犠牲者となったどれだけ多くの罪なき犠牲者を救うことができていたことだろうか?』

 

実はある時代のある地域の人々は、命の源でもある水とは縁が希薄だった。まず見るべきなのはこの画像である。山梨県笛吹川フルーツ公園に行ったときに見たものだ。私はこれを見たとき、兼ねてから気になっていたある歴史的事実のことを思い出した。点と点が結び付き、線になったのだ。

 

 

アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)は『砂漠の宗教』と呼ばれていた。砂漠が当たり前の環境だった当時の彼らにとって、『ぶどう』は水に匹敵するほど貴重な存在だった。もしこれが本当に『翻訳ミス』ならば大変なことである。更に、『処女』と『翻訳ミス』についてあまりにも重大な話がもう一つある。『神は妄想である』にはこうある。

A・N・ウィルソンはそのイエス伝において、ヨセフがそもそも大工であったという定説に疑問を投げかけている。ギリシャ語の『tekton』は実際に大工を意味するが、これはアラム語の『naggar』という単語を翻訳したもので、こちらは職人や学者を意味することがあった。これは聖書を悩ませるいくつかの構造的誤訳のうちの一つである。 もっとも有名な誤訳は、イザヤ書が、乙女をさすヘブライ語『almah』を、処女を意味するギリシャ語『parthenos』に変えてしまったことである。簡単におかしてしまうまちがいだがこの一人の翻訳者の誤りが大きく膨らんで、イエスの母親が処女だったというまるっきり馬鹿げた伝説を生むことになるのだ!

 

‥つまり、

 

  1. ムスリムの自爆
  2. 処女から生まれたイエス

 

これは『翻訳ミス』から生まれた可能性が高いのである。 こういうことは『あり得る』。あり得るかあり得ないかで言えばあり得るのだ。 イギリスの哲学者、ラッセルは言った。

 

この事実がまさかスナッチの冒頭で触れているとは想像していなかった。9割がキリスト教徒であるアメリカでは珍しい話だ。

 

アウトロー

『不屈の男 アンブロークン

アメリカのオリンピック代表選手ルイス・“ルイ”・ザンペリーニをが第二次世界大戦宙に日本軍に囚われたときのことを描く。ザンペリーニは第二次世界大戦中に搭乗していた爆撃機が墜落し、いかだで47日間漂流した後に複数の捕虜収容所へと送られた。そこで展開されるのは他にもいくつか映画がある『英国人捕虜と日本軍』の関係だ。

 

  1. 戦場のメリークリスマス
  2. 戦場に架ける橋
  3. レイルウェイ
  4. 太陽の帝国

 

など日本軍がイギリス軍人を捕虜にする話は他にもいくつもあるが、この映画で監督のアンジェリーナジョリーが『残酷な日本人』と指摘し、中国の抗日運動を煽るとして批判を食らったが、観たところこれのなにが問題なのかと疑問を持つだけだった。単純にいい映画だ。これくらいのことはしたはずだろうし、日本はこの映画のどこを公開されたら困るのかがわからなかったわけだ。

 

だが今調べてみると、映画にはなっていないが原作の部分で、

「何千人もの捕虜が、死ぬまで叩くか焼くか刺すか棍棒で殴るかされたり、撃ち殺されたり、斬首されたり、医学実験の過程で殺されたり、儀式的 (ritual) なカニバリズム行為で生きたまま食べられたりした」

 

という記載があることが分かった。この記述は九州大学生体解剖事件小笠原事件に基づいているようだ。このリンクはwikipediaに飛ぶので詳細はそこで確認したい。「生きたまま」食べられたという点は誤りだが、死んだ後に食べたという事実が書いてある。確かに、それをやったとなると『得体の知れない小民族』という恐怖も手伝って、そう表現せざるを得ないだろう。

 

ただそれもちょっとした偶然で変わる感想ではある。この映画で彼は漂流した時、律義にも友人の遺体を海に流すが、違う映画、例えばあのメルヴィル『白鯨』のモデルとなる話を描く『白鯨との闘い』では、遭難して生き延びる為に『さらっと』遺体を食べて生き永らえるシーンがある。もちろんそれは現場での表現で、後になるとその行為を悔い続けるのだが、窮地ではそういうこともありえるだろう。もちろん正当化ではない。これはハーバードで最も人気がある講義『これからの正義の話をしよう』にも登場する議題なのである。

 

だが、『ラストエンペラー』では日本人が人体実験をしたり、生きたまま人を埋めたり、死体で菌を操り、細菌やウイルスなどを利用した生物兵器を作ろうという動きを見ることができる。だがそれもそこだけをピックアップするのは間違いで、遥か昔の戦争においてもそのようなことはあったのだ。単純にwikipediaから抜粋してみよう。

 

  1. 古代ギリシアでは、アテナイ軍がヘレボルスという有害な植物をキルハの水源に投入し、住民は激しい下痢をおこし、アテナイ軍は侵略することができた。
  2. 東ローマ帝国は城壁都市に昆虫爆弾を使い、トンネルに蜂を放って敵を撃退したり、サソリを入れた爆弾を投げつけたりした。
  3. 西暦1000年から1300年には、蜂の巣の投下が行われた。
  4. 1348年にはジェノバの港街カッファでモンゴル軍が生物兵器として病気の患者の死骸を投下し、ペストを広めた。
  5. 1710年、エストニアのタリン(レヴァル)でペストが広められた。
  6. 1763年6月、ポンティアック(オブワンディヤグ)の叛乱で天然痘に汚染された毛布やハンカチが配布され、ジェフリー・アマースト少将は「忌まわしい人種を絶滅させる」と述べた。また、アメリカ独立革命で天然痘が繰り返し発生したが、これも細菌戦としておこなわれたという。

 

生物兵器というのは日本がやらなくても他の誰かがやった可能性がある手段の一つだ。もちろんそれも含めて全部正統化はできない。私からすれば、誤訳による間違いを世界にさらすのは当然批判の対象だが、実際にそういう事件があったのなら公開するべきだと判断する。我々はそれが他国のことならそう考えるはずだ。自国のことだと隠蔽したくなるなど、言語道断の人間のクズである。

 

中々論争を巻き起こしある意味有名になった映画で評価も低くつけられているが、それはこれらの事情を正確に処理できていない人間の感情的な暴走だろう。正確な評価ではない。我々は『こういうこと』が起こることは前提で生きなければならない。間違いなら正して次に進めばいいだけだ。いきなり一発目で完全にはできない。

 

実話、アンジー、遭難(パシフィック、白鯨、キャストアウェイ)、日本、イギリス、

レプリカズ

事故で家族を失った天才科学者が、クローンや意識の転移によって家族の複製(レプリカ)を作ろうとする。この手の作品はいくつも作っておいていいだろう。そう遠くない未来でこのようなことが起きる可能性が十分あり得る。クローン、AI、レプリカ、様々なケースを想像し、そのイメージトレーニングをするのだ。もし自分の家族が死んでしまって、その家族を生き返らせることができるかもしれない場合、我々はそれを遂行していいのだろうか。それとも。

 

ペッセメ 禁断の実験(トランセンデンス、アップグレード、クリミナル 2人の記憶を持つ男

『ザ・フォーリナー 復讐者』

ジャッキーチェンのかつての活躍ありきのような作品だ。これが世界的ヒット作になるということはない。観ても観なくてもどちらでもいいのではないだろうか。

 

復讐

ミッドナイト・ガイズ

この映画の評価が低いようだが、アル・パチーノ、クリストファー・ウォーケンといった人物の『かつての大活躍』を知らないからではないだろうか。彼らの全盛期があってこその、この作品のように見える。そう考えた時、そこに残るのは哀愁だ。もう二度と戻れない若き日の全盛期のあの頃。そういう逃れられない人間の宿命がこの映画の空気とリンクしたとき、この映画は真価を発揮する。

 

アルパチーノは今回「私が好きな役というのは人生のサバイバーなんだ。重荷を背負いながら生きている人物だ。私はそういう人たちに称賛を送る」と言っているようだ。彼もまた私の言うように、命がいつ終わるか分からない張り詰めたこの『人生』というサバイバルを、この映画の中に見ていたようだ。

 

 

ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章

この作品の評価があまり高くなく、タイトルに「第一章」と冠している理由は原作の第4部の長さが2時間の尺では収まらないことがあり、第一章は1本で楽しめるようにしたいが、客の応援次第で第4部をすべてやっていきたいからだったそうで、続編がなさそうな気配があるが、私は第4部を観ていないので、全然普通に楽しめた。私は第3部で止めているのだ。いずれ全部観るつもりなのである。

 

そんなジョジョ好きの私からしても別に文句はなかった。細部が違うのかもしれないが、あまり変なところは見受けられない。ただ、たしかに山崎賢人では上品すぎるため、もっとワイルドさが似合う人間の方が良さそうではある。ルックスもそろえるなら日本人なら小栗旬やその辺りになるだろうか。

 

 

溺れるナイフ

ジョージ朝倉による日本の少女漫画を映画化。インパクトのあるキャラクターと、存在感のある二人のキャストが主演を演じる為、画力はある。展開的にはもっとエグってもいいだろう。そうすれば伝説の作品になる可能性がある。

 

 

『何者』

第148回直木三十五賞受賞作の朝井リョウの小説を映画化。SNSが完全に蔓延した2010年以降の人生を生きる人達に突き刺さるありふれた日常を切り取る。私は以前このサイトで、ワンピースの名言を内省した時に、こういう記事を書いている。

 

そこに書いたのはこうだ。

 

目の前で子供がトラックに轢かれそうになったのを見た時、『強者』は、自分の支配下の人間に助けさせて、手柄だけ取る。『臆病者』は、見て見ぬふりをして、”生きながらえる”。そして『勇者』は、自分の命を顧みず、自分の命を使い切ろうとする。あなたは一体この人生で、『何者』になりたいのか。

 

byシェークスピア

 

だから色々とこの言葉には興味があった。さて、今回の作品と一体どういう繋がりがあるだろうか。

 

 

キセキ -あの日のソビト-

GReeeeNの楽曲「キセキ」の誕生までの実話がもとになっている。彼らの話は、例えばオレンジレンジやモンゴル800のように、今やってもあまりもうニーズはないだろう。時の人である。ラップバトルが少し前に流行し、R指定などが出てきて、その少し後に伝説のラッパー、ブッダブランドが活動を再開させたが、彼らほどのヒットはしていない。

 

ただ、この曲にエネルギーを貰った人は大勢いるので、その裏話が見られて嬉しい人は大勢いるだろう。

 

実話、音楽

『NANA、NANA2』

矢沢あいによる漫画を映画化したもの。中島美嘉歌や、伊藤由奈の歌が有名になったので一度は見ておきたいと思っていた。中島美嘉が歌った主題歌「GLAMOROUS SKY」は原作者の矢沢あいが作詞、L’Arc〜en〜Ciel の hyde がメンバー初の楽曲提供による作曲・プロデュースが話題になり、オリコン週間チャートで2週連続1位を記録、2005年度年間ランキングでもトップ10入りする大ヒット。伊藤由奈が歌った挿入歌「ENDLESS STORY」も初登場2位で、長期にわたってロングヒット。2人は年末の歌番組に相次いで出演し、共に『NHK紅白歌合戦』へも出場したという。

 

女性目線の恋愛ものには、バンドをやっている男性が出てくることが多い気がするが、それはただの時代だろうか。ギターが弾けるだけで格好いいという時代があった。ビジュアル系も、ロックも、バンドブームも色々あった。だがとにかく、この2人の歌声は本物なので、音楽を聴くだけでも観る価値はある。

 

『スワロウテイル』

CHARAのあのYEN TOWN BANDの曲が好きだったので、いつかは観て見たいと思っていた。実際には共感しきれない世界観が広がり、大した映画ではなかったが、人生のやるべきことリストが一つ減って嬉しい。だが、この曲がヒットした時に見た人たちは良いと思ったのだから、当時の人たちへの敬意も忘れないようにしたい。

 

 

『ヒミズ』

『行け!稲中卓球部』で有名な古谷実による日本の漫画の映画化。出演した染谷将太と二階堂ふみは第68回ヴェネツィア国際映画祭にて新人賞にあたるマルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞したこともあって、いつかは観ようと思いこのタイミングで。私は稲中卓球部から彼の作品はヤングジャンプだかマガジンだかで見てきて、どれも好きだった。それに彼らの演技も迫力がある。したがって、中々見応えのある映画となっているだろう。

 

彼は危なっかしい人間心理や人間関係を描写するのが得意なので、観ている側として飽きない。稲中卓球部が面白かったのは、彼の中にあるそういう要素が作品の細部に盛り込まれることがあったからなのかもしれない。

 

『ビリギャル』

学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』を映画化したもの。その存在感とインパクトから存在は知っていたが、邦画を観る習慣がないのでこれまで観てこなかった。内容としては、なかなか見応えのあるものだった。やはり慶応大学に行くだけのことはあって、節々にこの女性の賢さがにじみ出ている。ただ、家庭環境やその他の環境の影響で自信を無くしてしまっただけなのだ。

 

ここで考えたいのが母親の存在である。父と母、このどちらが彼女の理想の親だったのか、それは難問である。一見するとどう考えたって母親だ。だが、彼女が甘やかしたからこそ道を逸れた。だが、彼女と母の絆は深く、それがあるからこそ彼女は頑張れた。一方、父親のような人間がいるとそれが反面教師となっていい人間が育つケースがある。『育児放棄』はしないが、『教育放棄』をする親は多く、その多くが無意識のうちである。

 

私の親もそうだし、私の部下の親もそうだ。『育児放棄』はしないが、『教育放棄』をする親である。この問題は容易ではない。

 

教訓、女性

『悪の教典』

気になっていて一度は見るべきだと思っていたのでこのタイミングで。なかなか斬新でいい。別にみる必要はないが、こういう角度の作品があってもいいのではないだろうか。ただ、やはり映画館で観るべき映画ではなかったのでよかった。

 

 

『3月のライオン 前編、後編』

羽海野チカによる日本の漫画作品を映画化したもの。将棋を題材としていて、棋士の先崎学が監修を務めている。『ちはやふる』同様、日本独特の文化である将棋は、光を当てて守るべき遺産に等しい。

 

文科系セット(チェス、これ、ちはやふる、バクマン)

ちはやふる -上の句-、-下の句-、-結び-

3部作となっている。百人一首、かるたというマイナーな世界に光を当てて、日本が守るべき文化に貢献した、素晴らしい作品だ。『名探偵コナン から紅の恋歌 』では本作と同じく百人一首を主題にしていて、その公開を記念して本作とのコラボレーションが行われた。

 

バクマン。

まずは私が描いたイラストの一つを見ていただこう。

 

 

どうだろうか。なかなかだろう。こういうイラストを数百枚描いている私だから言えるのだが、漫画を描くのは簡単ではない。私のは模写だ。モデルがあってそれを書き写しているだけにすぎない。複写ではない。それは上からなぞるだけのものだ。模写も簡単ではない。そう簡単にはここまでは描けない。だが、これよりも遥かに難しいのが、漫画を描くということである。

 

これはもう才能だろう。才能と簡単に言うが、その中には『その人が生きた環境』も影響する。時代、年齢、性格、家族構成、宗教、生活態度、幼少期、親からの教育、親の性格、経済状況、こういった無数の要素が絡み合い、『天才』を生み出す。ここでは、『ドラゴンボール』や『ワンピース』を超える作品を作ろうと、作画、原作で二つに分かれ、二人がかりで漫画家に挑む物語が展開される。

 

私はイラストをもう1000枚以上描いているから言う権利はあるだろう。ここにも出てくる通り、漫画家として生計を立てられる確率は10万人に1人、つまり0.001%。これは弁護士らのそれよりも遥かに低い可能性である。我々は漫画家を、甘く見ている。

 

教訓

蟹工船

小林多喜二の小説を映画化。プロレタリア文学の代表作とされ、国際的評価も高く、この小説はいくつかの言語に翻訳されて出版されているという。確かに私も感慨を受けた人間の一人だ。小林多喜二の好きな言葉があって、

 

それがこれなのだが、だからということもあり、この映画は真剣に観たいと兼ねてから考えていた。すると、やはり中々教訓性の高い映画だった。『プロレタリア』と言えばマルクスだ。キーワードは以下の通り。

 

  • ブルジョワジー(資本家)
  • プロレタリアート(労働者)

 

先に小難しく書くが、マルクスは、『資金奴隷たる労働者は団結し、暴力革命によって資本家階級を打倒し、労働者(プロレタリアート)独裁社会に移行していくのが歴史の必然だ』と考えた。社会は常にそうして革命を起こしてきたから、当時支配していた『資本主義社会』から、もうそろそろ違う社会に変わると考えた。それが『社会主義社会』である。

 

 

簡単に言うと、マルクスは労働者(プロレタリアート)として強いられている人がいて、それを雇う人(ブルジョワジー)がいて、まるで後者が前者の支配者で、その格差は埋められないのだというまかり通っているが、実際にはそうではないと、主張した。今回、この話を押さえておくだけで随分印象が違うだろう。

 

ここで終わらせてもいいが、上級者はここからが本番だ。更に考えたいのはニーチェの言うルサンチマンである。ニーチェは、『ルサンチマン(弱者の強者への嫉み)』の感情のせいで、人間が唯一無二の人生を台無しにすることを嘆いた。キリスト教もそうした人間のルサンチマンから始まったのだと。

 

自分の上に裕福な人や権力者がいて、自分たちにはこの人間関係、主従関係をどうすることもできない。だが、その人たちの上に、神がいると考えれば救いが見出せる。神がいれば必ずこの不公平な世の中を、公正に判断してくれるからだ。

 

 

そういうルサンチマンたる感情からこの世にキリスト教が生まれ、イエスを『主』として崇めるようになったのだと。このあたりの人の心の動きを押さえることで、この世界にどのようにして宗教が生まれ、そしてそれが根深く蔓延していったのかということが見えてくるようになる。

 

この世で『莫大な力』を得るためにはどうすればいい? 『人間の最初の宗教』はどんなものだった?

 

支配する者 来世もまた権力を維持したいと願う
支配される者 来世は今よりも良い境遇であるように願う

 

つまり、『キリスト教=奴隷の宗教』と解釈し、

 

ニーチェ

もうそんなものは必要ない!

 

と主張したのだ。ここで言う『弱者』は=強いられている者。貧困、圧政、外国の軍事介入、他宗教の傲慢、どんな理由かは知らないが、そうして追い込まれた人々らが『来世』なり『神』なりといった『現在の自分や人生ではないなにか』に夢を見るようになってしまい、それを盲信するが故に独自的な方向へと逸れる。そしてそうして見誤る人間たちの集合体だからこそそれを真理(正しい道)に戻そうとする『本当の意味での救世主』がおらず、逸れるだけ道を逸れてしまうのだ。

 

だが、それもニーチェの言う考え方に耳を傾ければ違う解決策が見えてくる。ニーチェは『ニヒリズム(虚無主義)』だと言われていて暗いイメージを連想させてしまいがちだが、実際はそうではない。ニーチェは、

『世界には君以外には歩むことのできない唯一の道がある。』

 

と言い、

『しかしその道がどこに行くのかを問うてはならない。ひたすら歩め。』

 

とも言っているが、 このようにして『唯一無二の命の尊さ』を強く主張した。この事実から考えればわかるように、彼はブッダの言う、

 

ブッダ

 

天上天下唯我独尊

 

の言葉の意味を理解していることになる。この言葉の真の意味は、『私以上に偉い人間はこの世に存在しない』という、釈迦の思いあがった軽率な発言ではない。

『この世に自分という存在は、たった一人しかいない。唯一無二の人生を、悔いなく生きるべし』

 

という意味なのだ。このような事実を理解している人間が、『未来に対して暗く、絶望的な人』であるわけがない。彼が『神は死んだ』と言い、『=虚無があるだけ』と言ったのは先ほども言ったように、奴隷と主人の人間関係が当たり前だったときの『呪縛』から、いい加減解放されるべきだと言いたかったのである。それは、彼が想定した、『永劫回帰』という考え方を見てもわかることである。ニーチェは、

 

ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒

 

地獄

[永劫回帰]

 

というループを無限に繰り返す考え方を提言する。もし、前世や来世等の発想があると、人はどうしてもその『もう一つの可能性』に未来を託し、あるいは希望を抱いてしまう。それが結果として現実逃避を生み出し、『今この瞬間』の否定につながる。

 

きっと来世ではもっとやれるはずだ!

 

しかし、もし永劫回帰という考え方があれば、今この瞬間、あるがままを受け入れるしかない。今この瞬間の、この自分以外にはあり得ない。『もう一つの可能性』などない。

 

だとしたら、今この瞬間、これが自分の人生なんだ!

 

と現実を直視し、今を全力で生きるようになる。ニーチェはそのようにして、その永劫回帰であったとしても、その事実を憂うのではなく前向きに受け入れ、既存の価値に囚われずに新しい価値を生み出す人間を意味する、『超人』であれと説いた。ニーチェが『この世に神は存在せず、人間だけが存在しているのだ』ということを強く主張したのは、こういう背景があるからなのだ。

 

彼ら蟹工船に乗った人々は、映画の冒頭からいきなり絶体絶命的な窮地を挫折し、人生を諦めようとする。だが、それでいいのか。我々は一体なんなんだ。道具なのか。支配される為に生きてきたのか。こういうことを考えさせられる、曲ん製の高い映画なのである。

 

 

実話、名作、教訓

僕は明日昨日のきみとデートする

最初は私の嫌いなキュンキュン展開のクソムービーかと思って眉間にしわを寄せていたが、実はなかなか深い映画だと気づいた。それは『テネット』の存在のおかげである。

 

  1. テネット
  2. 僕は明日昨日のきみとデートする
  3. ベンジャミンバトン

 

このあたりを一緒に見たい。

 

不思議な時間

カノジョは嘘を愛しすぎてる

女子高生と恋愛をしてキスをしている時点でかなり危険な映画だ。佐藤健だから許せているところがあるが、実際に佐藤健が女子高生とそうなったら、ルーキーズのあの俳優や山下智久のことがある中で、えこひいきをすることはできない。それが気になってしまう。だが、そういう細かいことを気にしないなら女子高生受けしそうなキュンキュンムービーである。

 

『火花』

花火ではないという理由が、映画にもwikipediaにもない。他を探せば書いてあるかもしれないが探してないし探さない。自分の感想を言おう。彼らはまるで、花火である。花火のように目立ちたがり屋で、人の前に出てどーんと騒いで、時には華やかに振舞って見せ、皆の目をくぎ付けにする。人はエネルギーがあるところに集まる。虫もそうだ。電灯に群がる。祭り、スポーツ、オリンピック、ワールドカップ。『にわか』も含め、人はエネルギーに集まる。

 

だが、それを言うなら芸人だけではない。人間の人生は皆花火だ。大花火のように大きく散って、広漠とした夜空に消えていく。だが、その中でより人の注目を集めるのは誰だ。打ち上げられる花火は、大きく、華やかであればあるほど観る人の目をくぎ付けにし、中には人に見られないまま散っていく花火もある。なにがいいということではない。花火のように咲いて、散っていきたい人間たちの話だ。

 

だが『火花』である。そこにこの物語の鍵があり、哀愁がある。

 

 

いぬやしき

宇宙人の手によって機械の身体となった初老の男性と高校生の活躍や苦悩が描かれる。人間がふと『力』を持った時、それに支配される人と、支配する人とに分かれる。では、それはどうやって決まるのだろう。環境が決めるのだろうか。元々人間には、人を殺す能力が備えられているが、人は安易に人を殺さない。その理由は、それがいけないことだと植え付けられているからだ。

 

だが、『あまりにも卓越した力を手にした場合』はどうだろうか。人はまだその状態になったときのマニュアルを用意していない。だからみんなで決めた一切のルールを超越した存在になったと考えてしまう。『神』が分かりやすい言葉だろう。

 

だが、人間が神になることはできるだろうか。そもそも神って?人の形をして長いひげで、杖を持っている?いや違う。神とは真理であり、真理から逸れた人間は、キリストだろうがブッダだろうが、神になることはできない。

 

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話

全身の筋力が徐々に衰えていく進行性筋ジストロフィーという難病を抱え、北海道札幌市に在住していた男性の鹿野靖明(しかの やすあき、1959年 – 2002年)がモデルの実話である。もし彼がもっと悲観的で、無難で、当たり障りない生活態度をする人だったら、映画化されていないだろう。彼のような破天荒な人間だからこそ映画化されるのである。

 

難病を抱えている人は大勢いて、その看病に苦しむ人も大勢いる。彼らを通して難病とそれに向き合う周囲の人の心労を理解する人が一人でも増えたら、この映画の価値はある。

 

実話、病気

マイル22

監督はピーター・バーグ、主演はマーク・ウォールバーグで、そのタッグは「ローン・サバイバー」、「バーニング・オーシャン」、「パトリオットデイ」に続いてこれで4本目だが、批評家たちが酷評している通り、これが一番の駄作と言えるだろう。何よりそれらは実話であり、これは違う。だから緊迫感と臨場感が圧倒的に違うので、観ても観なくてもどちらでもいいということになってしまうだろう。

 

 

ブラッド・スローン

原題の(Shot Caller)は刑務所でのスラングで、「リーダー」を意味する。これはそこまで有名な俳優が出ておらず、下品なアウトローたちの低俗な無駄話かと思いきや、なかなか興味深い最後を迎える。ぜひ、最後まで諦めずに観てみよう。きっと、

 

やるやん・・

 

という感想が思い浮かぶだろう。

 

コードネーム U.N.C.L.E.(アンクル)』

1960年代にアメリカや日本で放映されたテレビドラマ『0011ナポレオン・ソロ』のリメイク映画。西ドイツや東ドイツ、イタリアを舞台に、時代背景を当時のままに再現し、当時の服装や音楽などがふんだんに出てくる。東西冷戦の最中における米ソの関係は常に緊迫したものである。そんな彼らが手を組んだらどうなるか。そのシナリオはさすがリメイクされるだけあって秀逸である。

 

イギリスの名優ヒューグラント、『テネット』で一躍有名になったエリザベスデベッキが脇を固め、デビッドベッカムがカメオ出演するサービスつき。

 

スパイ

『その女諜報員 アレックス』

ロシア人で、007にも出演経験のある英語が喋れる名女優オルガ・キュリレンコが『実力をつけるための映画』のようなものだろう。映画というのは確実にヒットを狙う映画と、それ以外の目的で作られる映画とある。この場合は前者ではないだろうが、彼女の幅広い演技力を見せつける為にはいい。こういう映画を関係者が観て次の大作に繋がるわけだ。

 

キャラクターが完璧ではなく、凡ミスをするあたりが腹が立つが、あえてそうしているかもしれない。完璧にするとジェイソンステイサムのように高いフィジカルが求められるし、晩年のスティーブンセガールのように映像で誤魔化しながら撮影するしかない。前者のようなスキルはないし、後者のような真似はクオリティを下げるだけだ。セガールの映画は面白いが、誤魔化された映像を見たいと思う人はいない。

 

 

女ファイト(トミュリス

『エントラップメント』

1999年ならではの映画で、2000年問題(西暦(グレゴリオ暦)2000年になるとコンピュータが誤作動する可能性があるとされた年問題)を背景にした美術泥棒と保険会社調査員の駆け引きを描いたクライムムービーである。とにかくその誤作動から得ようとする金額の規模がすごい。ちゃんと調べてはいないが、もしかしたらこれ以上の金額を盗もうとした映画は他にないんじゃないかという印象だ。

 

2000年問題、そして今はもう引退したショーンコネリーと、全盛期のキャサリンゼタジョーンズという懐かしのキャストということもあり、何だか哀愁の残る貴重な作品だ。

 

ザ・レポート

ブッシュ政権下でのCIAによる拷問と、次のオバマ政権下でのその調査を描く。911以降、臨戦態勢になって手段を択ばずに『前始末』に躍起になるのは分かるが、罪もない人間を逮捕したり、盗聴したり、行き過ぎた拷問をしたりと、アメリカはかなり荒れた手段を取り続けていた。ダニエル・J・ジョーンズはダイアン・ファインスタイン上院議員によってCIAの汚点を暴くために、600万ページを超える文書を調査し始める。

 

これは映画『ゼロダークサーティ』や『グアンタナモ』と一緒に観た方がいいだろう。そうすることでよりこの話の奥行きが理解できるようになる。それら全ては実話とされていることだから尚のことすごい。更に『バイス』ではブッシュ時代の黒幕ディック・チェイニー副大統領をクリスチャンベールが演じているが、それも併せて観たいところだ。

 

アメリカは、ケネディが63年に暗殺されてから、弟のロバートも暗殺。ニクソン大統領の時にはベトナム戦争が問題視され、『ペンタゴンペーパーズ』が、ウォーターゲート事件が起き、『大統領の陰謀』や『ザ・シークレットマン』が。同時期に活躍したFBIの創始者フーバーを描いた『J・エドガー』もそうだが、『華氏911』、『華氏119』等、絶えず要人たちの問題が映画化されてきている。

 

『スノーデン』もそうだ。このあたりは全てまとめて観るのがいいだろう。すべてが繋がっている。

 

必要悪(ミュンヘン、マーシャルロー)スノーデン(彼と同じと出てくるが、彼は裏切り者扱いで、正しい方法で告発)、ペンで戦う

『マーキュリーライジング』

アメリカ国家安全保障局NSA)は、アメリカ国防総省の情報機関で、重大な任務に「核戦争に備えること」がある。基本的な仕事は通信・情報問題の管理や『暗号関係』にあり、1917年にハーバート・オズボーン・ヤードリーの設立した暗号解読組織「ブラック・チェンバー」(MI-8)にさかのぼる。その後NSAの前身組織が、太平洋戦争開戦時に大日本帝国の外交秘密「パープル暗号」を解読し、山本五十六搭乗機撃墜やミッドウェー海戦の勝利などに貢献する。

 

また、あのスノーデンだが、彼が告発した内容はこのNSAによる国際的監視網(PRISM)の実在についてである。それまで陰謀論やフィクションで語られてきたことだったが、それが現実だったのである。

 

その世界の運命を決めるほどの重要な情報を管理する組織が、『絶対に解読不可能な暗号』を半ば遊び感覚で公表。だが、それを自閉症の少年が解いてしまった。自閉症やサヴァン症候群といった病気を負った人たちは、『全体的な能力の低下』と引き換えに『一定の能力のずば抜けた向上』が見られるケースが多々ある。兼ねてから『能力の顕在化』に興味がある私は長年この話に触れてきたのだが、無責任で何の確証もない話だが、この現象が『ダムの堰止め』に似ているように見える。

 

水流(水が出る放出口)がたくさんあるダムで、一つを除いてすべての堰を止める。すると、その一つの放出口に水が集中して放出される

 

というイメージだ。これは適当なイメージなので無視していいが、妙に無関係ではないイメージのような気がするのである。それはさておき、そんな子供がいたらどうするだろうか。解読されたということは暗号システム開発プロジェクトの失敗を意味するため、出世を目指す関係者が、それを隠蔽しようと暗殺を目論むのである。

 

果たして、ブルースウィルス演じるFBIのベテラン捜査官は、この奇妙な事件を解決できるだろうか。そして、難しい病気を負い、意思疎通すらままならない少年のことを、無事に守れるだろうか。

 

絆、暗号と天才(サマーウォーズ、エニグマ)、国家機密(マーシャルロー、デンジャラスラン、スノーデン、シークレットマン)

『イエスタデイ』

ビートルズの曲に興味はなく、この俳優も知らないので劇場では観なかったが、観るとしたら音楽を最大限に楽しめる劇場がいいなとは思っていた。いざ観るとなかなか面白い。この俳優の気になるところをガンガン突っ込んでいく人が現れるので、それがこの映画に欠損しているところを埋めることに成功している。

 

今でも十分楽しい映画なのだが、もしこの映画をもう少し前の時代にやっていたなら、更に爆発的なヒットが見込めただろう。

 

笑える、音楽、歌いたい(スーパーノヴァ

『スーパーノヴァ 孤独な少女』

wikipediaにもなく、上映時間が短く、見たことがない俳優ということで、B級を覚悟して鑑賞。確かに、B級独特の『役に飲まれている俳優』がいて、その役をもっと上手に演じ切ってくれればいいと思うシーンはあるが、現代を生きる10代の女性の切実な悩みを描いていて、存在価値はありそうだ。アメリカということもあり、LGBTやドラッグ、パーティといった問題が出てくるが、それが日本人からすれば『ほどよい危険な経験』になっていて、観る人からすればなかなか壮絶なものになっている。

 

何と言っても音楽が良い。『歌』が一つのキーワードなのだが、ぜひそれがどんなシーンでどういう風に登場するか見てみたい。

 

10代女性(レディバード、ウォールフラワー、チェイシング、17歳の)、歌いたい(はじまりのうた)確執、孤独、

トゥルーナイト

アーサー王の配下の“円卓の騎士”の長ランスロットとアーサー王妃グィネヴィアとの恋を中心に描き、アーサー王をショーン・コネリー、ランスロットをリチャード・ギアが演じている。2004年の『キング・アーサー』ではアーサーをクライヴ・オーウェンが、ランスロットをヨアングリフィスが演じていて、彼らの間にはあまり年齢差がない設定だが、今回の場合は30歳以上年齢が離れている設定だ。

 

ロン毛のリチャード・ギアは見たことがないので違和感があるが、特にチープな演技をしている印象はない。だが、重要な歴史を切り取った映画にも関わらず、歴史映画としても映画としてもあまり高い評価を得ていないようだ。私も長い間そう思い込んでいたから観なかったが、観たら案外観れる作品だ。史実を正確に把握することはできないのかもしれないが、当時の雰囲気をイメージするためにはいいのではないだろうか。

 

イギリス、

ブレイン・ゲーム

この手の超常現象的な話は私は全く興味がなく、批評家もこの映画を低く評価し、「『ブレイン・ゲーム』は才能溢れるキャスト陣と凝った設定を売りにしているが、使い古された文句と滑稽な捻りの間でダラダラと進むストーリーという欠点の方が目立っている。」としているというが、私がそのように彼らに言って欲しい映画は他にあり、実はこの映画から得る所は案外いくつもあった。

 

この映画を、ただ超常現象を引き起こす人というオカルト的な話にまとめてしまうと抵抗があるが、そうではなく、この映画全体で訴える哲学的な倫理観だけを見ると、案外考えさせられることになるのだ。それを考えるためには『トリアージ』という医療概念を知っておく必要がある。この優先順位に従って治療する患者の優先順位を決める、『選別(トリアージ)』をするのだ。これに関しての倫理は批判的な意見が常につきまとう。

 

トリアージ

出典:トリアージ(START法)|知っておきたい臨床で使う指標[9]

しかし、では、

『一人の医者しかおらず、二人の緊急の患者を診なくてはならなくて、一人は、どう考えても治療をしても命を落とすとわかっていて、もう一人の人なら重傷だが治療をすれば何とか一命をとりとめることが出来るかもしれない』

 

というとき、このトリアージによって『選別』することは、間違いなのだろうか。これは極めて難しい判断なのだ。どちらを取っても不正解だという空気が漂っている。ぜひこの映画をそういう視点を持って観て見たい。

 

見えない戦い(シャドウゲーム、デスノート、オールユーニードイズキル、命の重み、安楽死(世界一キライ

チョコレート

邦題の「チョコレート」は、年配の白人男性と付き合う若い黒人女性の隠語を意味する。内容としてもそういう映画だ。だが、単純ではない。重要な人物が死んでしまう。女性にとってのそれは、囚人だった夫だ。男にとってのそれは、ネタバレになるからやめておこう。黒人差別が根深いこの男の父親の影響で、この男もそうなってしまっていた。だが、ある人物の影響でその考えを見つめなおそうと思うようになる。

 

アメリカ人に根付いたその差別発想を改めさせるものは一体何か。60年代などは白人を撃って『よくやった』と言われるほど、その闇は完全に彼らの心底にうずまいて晴れることはなかった。そして、そんな男がすぐに黒人女性と恋愛などできるのだろうか。

 

ボーダーライン: ソルジャーズ・デイ

2015年の映画『ボーダーライン』のスピンオフということもあって、『2』とは言えない地味な展開が繰り広げられる。やはり、1の方がエミリーブラントの華もあり、女性捜査官というハイリスクで不安げなキャスティングといい、スリルとエンタメ性は高かった。だが、メキシコ、アメリカ間にある麻薬、違法入国問題の細部は、現地をよく知る人々の方が詳しい。そういう人たちを楽しませるだけの展開があるのではないだろうか。

 

 

『英国王のスピーチの真実~ジョージ6世の素顔~』

これは、『エリザベス2世 知られざる女王の素顔』同様、ドキュメンタリー映画である。イギリスの王族の映画はいくつもあるのでまとめてみよう。

 

  1. 英国王のスピーチの真実~ジョージ6世の素顔~
  2. ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋
  3. 英国王のスピーチ
  4. エリザベス2世 知られざる女王の素顔
  5. ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出

 

こういう順番で観ていくのが一番いい。更にその間に、

 

  1. ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男
  2. マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙
  3. ダイアナ

 

を観ればより完璧だ。エドワードは『英国王のスピーチ』と今回の映画の主人公ジョージ6世の兄だ。そしてジョージ6世の娘がエリザベス2世である。

 

ドキュメンタリー映画、イギリス

めぐり逢えたら

私はあまり運命の女性と巡り合うことには興味がなく、自然に任せるタイプである。年齢が来ても結婚に焦らない。常識や周囲の目は気にしていないというか、そこに喧嘩を売るようにして生きているからだ。珍しい方である。だが、多くの女性は白馬の王子様を求めているものである。運命の人と巡り合うことを期待して生きているのだ。だから私は何度か女性に『勝手に』不機嫌になられたことがある。ハッキリとは表に出てこないが、おそらくそこにあった本音としては、

 

なんで迎えに来ないのよ!

 

というものだろう。グレース・ケリーの言葉(か役の言葉)に

 

というものがあるが、女性が私をその相手だと思い、私は一切そう思っていないことから(手を出したこともそうほのめかしたこともない)、いつまでもこちらからアプローチがなく、ただ時間が過ぎてしまうので、(あなたのために取った時間が無駄じゃない!)ということで不機嫌になったのだろう。もちろんそれが確実なことである証拠はないが、いくつか同じ例があり、シチュエーションがとても似ているので、白馬の王子様のその期待という蔓延している女性ならではのその本音と合わせて考えると、そうだったのかもしれないと推測するのである。

 

それくらい私は違う。だが実は、そう言いながらもどこかで期待しているところがある。そんな心をくすぐってくるこの恋愛ドラマは、普遍的である。

 

 

本当の相手、トムメグ(ユーガットメール

ビーン

イギリスのITVで放送された人気コメディ番組『Mr.ビーン』の劇場版作品で、舞台をアメリカのロサンゼルスに移して展開される。その次の『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?! 』ではフランスでの展開だ。つまり、すでに彼はイギリス、アメリカ、フランスという大舞台で活躍していることになる。この手の『最初から笑わせにかかる映画』を観るのはあまり好きではなく、存在を知ってから長い間彼の映画を観ることはなかった。このサイトで、ローワン・アトキンソンを偉人として扱い(500名のうちの1人)、その名言を内省しているにもかかわらずだ。

 

だが、ついに見る時が来た。やはり、面白いものは面白い。特に『神はいないよ』という発言(翻訳)があるのだが、私は個人的にその言葉を言う作品をチェックしてまとめているので、それが冗談として出てきたので吹いてしまった。

 

神はいない

フォーカス

ウィル・スミスとマーゴットロビーが共演しているということだけで価値がある作品と言えるだろう。エンタメ性も高く、展開が読めなかったり、細部のプロフェッショナルな論理と説得力は、クオリティを上げることに成功している。ただ、例えば日本の興行収入の上位が300億円近くある作品がひしめく中で、この映画は5億円である。世界規模で考えれば150億円上げていて、製作費も50億円だから莫大な利益が出ているが、この映画が上位にくることはないだろう、という映画である。

 

観てもいいし見なくてもいい。そういう映画はこれ以外にもいくつもある。これが実話なら話は別だが、そうじゃないならその程度だ。だが、それでも100億円売り上げているのならすごいことである。そこに広告費等も引くのかもしれないが、こういうある程度の作品を量産することは、金を儲ける毎日の仕事の一つとして、費用対効果の高い仕事である。

 

さて、この話を聞いてどう思っただろうか。ここに出てくる彼ら詐欺師もまた、こうして淡々と語られ、繰り広げられる現実に、人はただただ流されてしまうだけ、という盲点を突いて面白いことをしてくれる。あなたはきっと『まあまあの映画なのか』と思っただろう。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。一つだけ言えるのは、人は盲信するということだ。

 

詐欺集団(オーシャンズ、スティング)

ザ・コア

人類の終末を描いた作品はいくつもあるが、この展開は見たことがない。問題がいつも通りの『宇宙』にあるのではなく、『地球の奥深くである核』にあるというのだから、斬新である。そして確かにそれはあり得る話だ。我々は誰もこの星の核がどんなものであるかを正確に言い当てることができない。ある種の小宇宙とも言える未知のエリアで問題が起きたら、我々人間は一体どのような対処ができるだろうか。

 

無駄な要素がないのもいい。普通なら恋愛ドラマが織り込まれるがそれがないから教訓性の高いドラマに分別できるようになっている。それはもしかしたら『この世界受けしない顔の俳優の恋愛は誰も見たくない』というシビアな裏話があるのかもしれないが、もしそうだとしても、無くて良かったんじゃないかと感じることができる。それがないことで、純粋に、この世界を救うために命を懸けた人間たち全員にスポットライトが当たり、全体的な底上げによってクオリティの低下を阻止することに成功している。

 

終末、教訓、MI、命の使い方、プルトニウムの使い方

『アップグレード

よく知らない俳優だらけの映画だから、B級を覚悟して鑑賞する。だが、細部のクオリティ一つ一つは決して低くなく、むしろなかなか卓越していてリアルだ。最後のシーンもなかなかすごい。これくらい攻めていれば、数ある映画作品の中に埋もれることなく、目立つ存在となれるだろう。こういうことは、あり得るかもしれない。人が宇宙を飛び回る未来と違って、まだありえそうだ。そう考えると背筋が凍るのを無視することはできない。

 

 

AI、復讐、暴走するAI(

『明日に向かって撃て!

 

実在の銀行強盗ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドに取材した西部劇で『俺たちに明日はない』等のアメリカン・ニューシネマの代表作の一つ。そこではボニーとクライドという実在した強盗コンビが描かれるが、今回も実在した人物だ。だが時代は彼らよりも40年ほどまえの1890年の西部が舞台である。

 

当初はポール・ニューマンとスティーブ・マックイーンが折半してゴールドマンから脚本を買い取り、ニューマンはサンダンス・キッド役で出演する予定だったが、その役は当時無名だったロバートレッドフォードが演じることになった。この時代の

 

  • ポールニューマン
  • ロバートレッドフォード
  • スティーブマックイーン

 

と言えば今では皆大物俳優だ。ロバートレッドフォードの若い頃はブラッドピットそっくりで、当時で言うところのディカプリオとブラピという二人の大物が共演した作品と言えるだろう。

 

 

実話、西武、強盗、哀愁、逃亡(俺たちに明日はない