『平賀源内の言葉』を自分のものにしよう!

平賀源内とは(画像

日本発明家。生誕1728年。「良薬は口に苦く、出る杭は打たれる習ひ」、という名言がある平賀源内(1728年-1780年1月24日)は、様々な肩書きを持つ人物です。地質学や蘭学者、医者のほか、俳人や発明家としても知られています。有名な発明品はエレキテルで、土曜の丑の日を考案したとされる説もあります。1728年に香川県で生まれ、13歳の頃には本草学などを学び、1748年の父の死後には藩の蔵番になっています。

 

その後長崎でオランダ語や医学を学び、藩の仕事を辞めて大阪や京都へと渡りました。そして1756年頃より江戸で様々なことを勉強しながら物産会などを開き、杉田玄白や中川淳庵らと出会っています。しかし、1779年に大名屋敷の修理計画書が盗まれたと勘違いして棟梁二人を殺傷し、投獄されてしまいました。そして、獄中で破傷風により帰らぬ人となったのです。

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