名言を自分のものにする

広告

 

> > > 子牢

 

カテゴリー『子牢』

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、オーナーが独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

 

 

『私と同じ境遇の人はいるかね。あまりにも人と話が合わないので多趣味になったのだ。』

 

第九-七:牢曰く、子云う、吾れ試いらず、故にげいあり。

私も、悪友と毎日遊んでいる時代は、そこまで趣味は無かった。趣味というより、金と時間さえあれば何をやっても楽しかったし、イベントを探してはそれに参加して酒を飲めば、往々にしてそれで満たされていた。

>>続きを見る

 

『人生は川の流れと同じだ。我々は、大河の一滴である。』

 

第九-十七:子、川の上に在りて曰わく、逝く者はかくのごときか。昼夜を含めず。

人生に意味などあるのだろうか。意味がある。しかしこれから人と共に生きていこうとした矢先に、その人の命は奪われた。事故に、事件に、天災に、病に。せっかく生きる意味を知ったと思っていたのに、これが人生だ。

>>続きを見る

 

『躾け?虐待?そこに愛があるかどうかだ。』

 

第九-二十七:子曰く、(やぶ)れたる(おんぽう)を衣、狐貉(こ かく)を衣たる者と立ちて恥じざる者は、其れ由なるか。

躾けと虐待の差を理解できているだろうか。例えば、厳冬の季節に上半身裸で男の子が外へ突っ立っていろと言われるとする。この場合、寒さがきつい地域ではなく、比較的死なない程度の地域の気候だ。

>>続きを見る

 

『人生は川の流れと同じだ。我々は、大河の一滴である。』

 

第九-十七:子、川の上に在りて曰わく、逝く者はかくのごときか。昼夜を含めず。

人生に意味などあるのだろうか。意味がある。しかしこれから人と共に生きていこうとした矢先に、その人の命は奪われた。事故に、事件に、天災に、病に。せっかく生きる意味を知ったと思っていたのに、これが人生だ。

>>続きを見る

 

『迷い、憂い、恐れ。1+1の答えを言うときにその感情があるかどうか考えると良い。』

 

第九-三十:子曰わく、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。

1+1の答えを言うときに、迷ったり、憂いたり、恐れたりするだろうか。つまり、その答えに確信を持てないということが、あるだろうか。無いのであれば、その他の一切もその応用編だ。

>>続きを見る

 

『物事を成し遂げようと思ったら、別に自分の代だけで終わらない時もある。』

 

第九-十九:子曰わく、たとえば山を為るがごとし。いまだ一簣を成さざるも、止むは吾が止むなり。

確かに、『コンコルドの誤謬』の概念はある。だが、同じくらい、こういう金言もある。『金鉱を掘り当てることが出来るのは、最後まで掘るのを止めなかった人だ。』

>>続きを見る

 

『”力”に屈するな。力づくで何かを捻じ曲げようとする気持ちも、その範囲内だ。』

 

第九-二十六:子曰く、三軍も師を奪うべきなり。匹夫も志を奪うべからず。

こういう言葉がある。『たとえ国家が要求したとしても、良心に反することをしてはならない。』byアインシュタイン 人生を生きていると、”力”づくで物事を成し遂げようとする人間が後を絶たないことに気が付くだろう。

>>続きを見る

 

『私はぶら下がったままで誰にも食べられないニガウリでは終わらない。』

 

第九-十三:子曰く、これを沽らんかな、これを沽らんかな。我は賈を待つ者なり。

孔子に対し、謙虚で達観した仙人のような人物像を描いている人は、間違った解釈だ。孔子は、『何もしないでボーっとするくらいなら、ギャンブルをやった方がまだいい。』と言って、

>>続きを見る

 

『”先生”が”後生”に抜かれたらシャレにならんぞ。』

 

第九-二十三:子曰く、後世畏るべし。いずくんぞ来者の今に如かざるを知らんや。

先生と言う言葉は、そもそも『先に生まれた者』である。つまり後生とは、『後に生まれた者』である。先輩と後輩だ。そもそも、『先生』が生徒に何かを教えるという起源はそこからきているのだ。

>>続きを見る

 

『自分より人格的に劣った者を”友”としてはならない。』

 

第九-二十五:子曰く、忠信を主とし、己に如かざる者を友とすることなかれ。

弟子が孔子のことを書いた『論語』には、同じような言葉が10近くある。これはどういうことか。では、自分より優れた者を友としようとするのなら、相手からすれば、自分は劣った存在になり、矛盾が発生する。

>>続きを見る

 

 

広告

 

↑ PAGE TOP