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“いじられる”のはおいしくない。

人から『いじられる』ということを、『おいしい』と捉える概念が浸透している。私の旧友にも、そう考えている人間が多かった。だが、その考えは根本的に間違った考えだということを知らなければならない。それを知らないままだと、本当に『おいしく』はなれない。

 

『いじられる』というのは、そもそも芸能界から出てきた話である。芸人などが、司会者などにいじられて、持ち前の能力を発揮し、あるいは目立つことで、画面に映る時間が長くなる。長くなればなるほど、多くの人に見てもらえるので、広告効果になり、ファンが増える。また、視聴者には業界人もいるわけで、業界人がいれば、ビジネスチャンスが増える可能性が高くなるということだ。

 

芸人

 

もしそのいじられが、『おなじみ』になってくると、それは『お家芸』になり、それだけで仕事が増える。そして、そのくだりが盛り上がれば盛り上がるほど、視聴者にもそれは伝わり、視聴率が上がる。そのくだりの瞬間視聴率が高いものなら、それは関係者から『視聴率を持っている芸人』として重宝され、引っ張りだこになる。そして、利益を生む

 

例えば、この記事を書いている現在において最新の一発屋、楽しんごは、HGや小島よしお同様、奇想天外に恥を笑いに変えて、知名度をグンと上げたが、例え芸人としては一発屋で終わったとしても、一時の番組出演料だけで億単位のギャラを稼ぎだすことが可能なのである。HGこと、ハードゲイは、全盛期で2億円稼いだというから、そこで有頂天にならずに、次の展開を考えられれば、勝ちである。

金

 

楽しんごは、自身が経営する接骨院、マッサージ店の予約が数年先まで埋まっているという。通常のスタッフがやる場合は4000円弱のところ、楽しんごが施術する場合は、10000円を超えるため、実に『おいしい』。芸人の仕事がなくなっても、彼次第で彼はやっていけるのだ。

 

そして、単発的なもので何といっても一番『おいしい』のは、CMだ。CMのギャラは、1000万円を超す。例えば一流の俳優であれば、7000万円を超えることもある。上戸彩はCMの女王、13本のCMをこなしているというが、一本低く見積もって3000万円で計算しても、CMだけで4億円を稼いでいるのである。

 

CM

 

子役の芦田愛菜は、実に齢7歳にしてそれに次ぐ12本のCM女王。『学校の勉強はどうした』というそれに嫉妬する大人の声があるようだが、『将来稼いで生活をこなしていくために勉強するんだから、もう愛菜ちゃんは勉強する必要なんかないだろ。』、『稼げるうちに稼いで、後で勉強すればいいだろ』という冷静な声もあるようだ。

 

追記

2017年2月:この記事からおよそ5年後、芦田愛菜は偏差値70を超える首都圏では最難関校の超名門私立中に合格。知人によれば、同校以外にも、東大合格者を多数輩出するトップレベルの中学などにも複数合格しているという。

 

芸人とて、たとえ一般では人から見下されそうな容姿だとしても、いじられて人気が出れば、CMの依頼がくることもあるのだ。それが、『いじられるのが、おいしい』ということのルーツである。

 

芸人は、番組を盛り上げることが最大の仕事。いじられることに命がけなのだ。だが、一般人は、いじられたところで芸人ほどの『おいしい発展』にはつながらない。むしろ、一般人の場合、『いじられる』というのは、主体的か反応的かで言ったら、反応的である。

 

当然、『いじる』側が主体的である。一般人が『いじられる』のを待っているというのは、異常である。居酒屋の飲み会の場で一時的に目立つことが『おいしい』と思っているのであれば、成功は諦めた方がいい。『チャンスは待っていても来ない。自分で掴むものだ。』という名言があるが、まさしく彼らは、芸人でもないのにそのチャンスを待ってしまっているのだ。

 

太陽と月を考えるのだ。

 

太陽月

 

月は、太陽があるから光って見える。太陽の光を反射しているのだ。太陽が無ければ、我々は月の形すら確認できない。

 

半ば月の輝きを評価する周りがいるからいけない。月の輝きをその本人の手柄だと思うのは見識がない証拠だ。芸人、出川、上島は、いじられれば客の大笑いを掴むことに成功するが、一人では『つまらない』とまでは言わないが、番組をこなすことはできない。

 

よーく目を凝らして番組を観ればわかることだ。それが見抜けない人間は、上にはいけないと言っていいだろう。私の周りの人間関係でも、その定義は当てはまっている。私の周りでも、虚像に酔いしれ、刹那的に生きる人間は、皆大した結果は出していない。だが、そんな中にも『その違い』がわかる、洞察力の優れた人物が何人かいた。そのうちの2人は今、20代で2人とも30人以上を抱えた企業の、創業者として、成功を導いた。

 

よく考えてみたらいい。芸能界といえど、『いじられる』人間より、『いじる』人間の方が、圧倒的に高い報酬を得ているということを。

 

いじられ芸人の批判をしているのではない。彼らでなければできないエンターテインメントがある。だが、彼らいじられ芸人が『心底で思っている本音』とは、とても切実なものなのである。太陽ありきの月でいるのは、もうやめた方がいい。今日から『いじられ待ち』はやめて、自らが太陽になり、ガンガンいじっていこう。それが、人生を主体的に生きるということだ。