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『漫画キャラクター』の歴史

漫画の歴史

例えば日本の場合、古くから考えれば、がこの世に登場するより100年ほど前の平安時代、つまり800年頃、現代の漫画の起源になるような絵画巻物がありましたが、現在の漫画のイメージとは多少様相が異なります。ただ、映画の歴史を見ても分かるように、そういう所から少しずつ固まっていくものですから、過去の芸術は間違いなく基礎となっているのです。

1000年以上の時間が経ち、時は1920年代。1929年にはベルギーで『タンタンの冒険』が登場。フランス・ベルギー圏で漫画は『バンド・デシネ』と呼ばれます。後にこれは、日本の『漫画』、アメリカの『アメコミ』と並び、世界3大コミック産業と言われるようになります。これらはすべて『漫画』という意味です。


世界3大コミック産業
  • バンド・デシネ
  • アメリカン・コミックス
  • MANGA(漫画)


1930年代。アメリカでは『アメリカンコミックス』のゴールデン・エイジ(黄金時代)がありました。『スーパーマン(1938年)』や『バットマン(1939年)』です。前述した記事にも書いたように、この時代のアメリカンエンターテインメントは、アメコミだけじゃなく『アニメーション』や『映画』も黄金時代と数えられています。

アメコミの歴史

日本はどうでしょうか。実は街頭の紙芝居で好評だった永松健夫の『黄金バット(1930年)』は『日本初のスーパーヒーロー』として紹介され、あのアメコミの元祖ヒーローであるスーパーマンよりも8年も前に誕生した世界最古のスーパーヒーローでした。そして1931年には田河水泡(たがわすいほう)の『のらくろ』が連載され、社会現象を巻き起こします。

戦前、戦後に刊行されていた雑誌『少年俱楽部』に掲載されていた『のらくろ』は、アメリカのアニメ『フィリックス・ザ・キャット(1919年)』の黒猫フィリックスにヒントを得て生み出されたといいます。ウォルト・ディズニーによるディズニーアニメもこの頃から動き始め、漫画とアニメの両輪が確実に回り始めます。

アニメーションの台頭

長谷川町子
長谷川町子

田河水泡の弟子になりたい!

1940年代。その田河の弟子となったのが、家でそう独り言を言っていたという『サザエさん(1946年)』で有名な長谷川町子。戦中は漫画は不謹慎とされましたが、少しずつその地位を確立させていきます。この頃から、『ゲゲゲの鬼太郎(1965年)』の水木しげるや、『鉄腕アトム(1952年)』の手塚治虫などが活躍し始めます。田河水泡はこれらの重要人物にも大きな影響を与えました。

このように、絵画や紙芝居や4コマ漫画等、漫画の形態はいくつかありましたが、その中で手塚治虫は『新宝島(1947年)』で現在の漫画の基礎であるように見える『ストーリー漫画』の形態を確立しました。『ドラえもん(1969年)』の藤子不二雄、『おそ松くん(1962年)』の赤塚不二夫、『サイボーグ009(1964年)』の石ノ森章太郎、『あしたのジョー(1968年)』のちばてつや等に大きな影響を与え、その中には宮崎駿もいました。

日本漫画黎明期の重要人物

手塚治虫を尊敬していた人物には『Dr.スランプ(1980年)』、『ドラゴンボール(1984年)』の鳥山明、『AKIRA(1982年)』の大友克洋もいました。彼らの作品は漫画界に衝撃を与え、しばしば漫画界は『彼ら以前、彼ら以降』と言われることになります。鳥山明の訃報の際に関係者から流れた公式の情報では、アラレちゃんを読んだ手塚治虫が、

手塚治虫
手塚治虫

もう誰も僕の漫画なんて読んでくれないんだ・・

と嘆いていたようですよ。そしてその鳥山明が亡くなった時、

尾田栄一郎
尾田栄一郎

僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。

とコメントした尾田栄一郎が『ワンピース(1997年)』でギネス記録を、そして同じく鳥山チルドレンである岸本斉史が『NARUTO -ナルト-(1999年)』で世界に日本漫画の実力を知らしめました。

さてこれから漫画の世界はどういう展開を見せてくれるでしょうか。ここでは、私たちを楽しませてくれたその様々な漫画作品の個性豊かなキャラクターたちのイラストを描き、それを通して時系列で世界の漫画・アニメーション作品を紹介します。


1930年代

1940年代

1950年代

1960年代

1970年代

1980年代

1990年代

2000年代

2010年代

2020年代

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