偉人たちの言葉に潜む『黄金律』を見抜け
運営者
考察
『人間本位』という言葉がある。自分本位というのは聞いたことがある人が多いはずだ。自分のことを中心に考えて、常に自分が基準でなければならないという考え方。簡単に言えば『子供』である。『大人』の対極にいる人間は、往々にしてこの自分本位に当てはまる。では、『人間本位』とはどういう意味だろうか。それは、人間のことを中心に考えて、常に人間が基準でなければならないという考え方だ。例えば、
(まず人間は第一に助からなければならない)
などと考える発想である。
(その次に犬や馬を)
などと考えるのである。そして、(あの虫は害虫であり)という発想もそれだ。あるいは、(あの樹木は一つくらい切り落としてもいいだろう)というのもそう。これらのすべては『人間本位』の考え方であり、発想であり、思想だ。
ということは、『神』はどうだろうか。『神』を、動物や昆虫、草木や花は知っているだろうか。その概念を、理解しているだろうか。
『彼らには理解できず、我々人間だけが理解できるからこそ、人間は優秀であり、神の傑作であり、選ばれしリーダーであり、その神に最も近い人間が、神の代わりに地球を管理し、采配するのだ。』
ということなのだろうか。つまり、
神⇒人間⇒そのほかの森羅万象
という順番がついているのだろうか。あるいはその発想自体が『人間本位』なのだろうか。『神』の存在自体も、『人間本位』が生んだ空想なのだろうか。一つだけ言えるのは、自画自賛する人間のことは、あまり信頼できそうにないということであり、それはここにも当てはまりそうだ。
※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。
こうして名言と向き合って一つずつ内省したその数『8000』。では、なぜ「1万」ではないのか──それは、内省の後半になるにつれ、『同じ的を射る言葉』が増えてきたからです。そして私はその浮かび上がった真理を、『38の黄金知』としてまとめました。
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