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ルフィ『あいつらを許すな…決闘を汚す奴は男じゃねぇ!』

以前私は、友人のチームとボウリングで勝負する機会があった。私は和気あいあいと、ただの遊びだと思ってそれに臨んだのだが、相手の雰囲気はいささか違っていた。『なんとかして勝ってみせ、優劣を決めたい』あるいは、『うちのチームを負かしたい』という、勝負のモードになっていたのだ。好スコアを出す度にこちらに聞こえるように、多少嫌味っぽく自分達の結束力を見せびらかすようなやり方に、我々は、いや、私は少し幻滅してしまった。

 

(そういうやり方でやる必要あるかね…)

 

うちのチームのリーダーは私だから、私が意気消沈すれば、他のチームメイトにも影響が出る。その日はそれに傷ついて、パフォーマンスを乱してしまい、負けた。案の定あちらは、こちらを負かした優越感に浸っていた。普段大人しくしていて、私に主導権を譲っている連中なのに、こちらを『負かしたい』と思っていたとは思わなかったが、まあ、”男”だ。それが、”男”だろう。

 

だがそうとわかれば話は別だ。私は相手がいい気分のうちに次のゲームの日にちを決めた。他に、ビリヤードという選択肢もあったのだが、相手がこう言ったのだ。

『いや、ビリヤードはな。やっぱボウリングの方がいいよね。』

 

よほど今回で自信をつけてしまったらしい。そして、こちらを負かしたいらしい。だが私はどちらでも関係なかった。 “そのやり方”でくるなら、こっちも”そのやり方”でいくだけだ。私はゲームまでの間、チームとその心構えについてミーティングをした。なぜ、負けたのか?相手が、どういう手段を取ってきたのか?それに対しこちらは、どう出ればいいのか?

 

答えは、『ホームとアウェイのからくり』にあった。人は、アウェイと感じたとき、能力が激減する。例えば何もない床に足をつまずき、飲み物をこぼしたりすることもある。自分のホームでは、あり得ないことだ。そしてその状況が、『ホームかアウェイか』を決めるのは、『主体性』である。『主体的』の対義語は、『反応的』だが、『反応的』な人とは、常にその状況や人に、反応しているだけの人である。それはまるでカメレオンのように、その時その場所に合わせた色に自分を変化させお咎めをなくそうとする人間である。

 

それに比べて『主体的』な人とは、『赤』と決めたらその色を何が何でも貫き通し、自分の色を見失わない人間のことである。例えばサッカーの試合でもホームとアウェイがあるが、アウェイの最大のデメリットといえばやはり、相手チームの現地の雰囲気にのまれてしまうことなのだ。人間が最高のパフォーマンスをするのに必要なのは、『アウェイのホーム化』である。私はそのメンタル面を重点的にミーティングし、試合に臨んだ。

 

相手が前回したのと同じように、実に表面では漂々としてみせて、油断をさせた。そして、徹底してその場の『ホーム化』をしてみせた。普段主導権を握れるほどの私だ。それに本気になることは造作もない。みるみるうちにその場の雰囲気は、我々が主導権を握った。そして完全に、我々が『ホーム』、相手が『アウェイ』と化した時、今度は我々が好スコアの連続を叩きだし、相手がペースを乱し、勝利を手にした。そしてあれだけ自信をつけていた相手チームは、最後にこう言ったのだ。

『…今度はビリヤードがいいっすね!』

 

勝負をするなら、最初からそう言わないとダメだ。相手が油断している時や、本気じゃない相手を打ち負かすのは、フェアじゃないだろう。そんなやり方で勝ったと思ってしまう自分を戒めるべきだ。

 

『決闘を汚す奴は男じゃねェ!!!!』

 

勝負に小細工などしてはならない。正々堂々と、同じ条件で、厳かに行うべきなのだ。それが本当の”男”というものだ。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。