『寺山修司の言葉』を自分のものにしよう!

寺山修司とは

日本劇作家。寺山修司は1935年12月10日生まれ、そして1983年5月4日に没した日本の歌人で劇作家です。さらには俳人や詩人として、そして演出家や映画監督として、他にも小説家、作詞家、脚本家、随筆家、評論家、俳優、写真家として多岐に渡る活動を行い、さまざまな作品を世の中に残しています。また、後年は競馬に傾倒し、馬主になるほどにのめり込んだことでも知られています。新聞や雑誌を度々賑わす時代の寵児として活躍しました。

 

晩年の競馬コラムなどが印象深いという方も多く存在していますが、その本質は文化人としてのさまざまな活動にあります。婦人の九條今日子や俳優の美輪明宏などとも組み、劇団天井桟敷を立ち上げ興行を起こそうとした際には、身体が弱く自身の言葉を評価されることを待つことができなかったという思いを美輪氏が感じ取ったというエピソードも存在しています。創作のバイタリティの根源が、自身の活動の限界を感じ取っていたから、という受け取り方もできます。

 

そのような寺山修司の名言としては『わたしの存在そのものが質問なのだ。その答えを知りたくて生きてるんだ』というものがあります。これは存在し続ける以上は創作を辞めることができない、存在自体が創作なのだという意志の現れと捉えることができます。そのような寺山は肝硬変をきっかけに入院し、腹膜炎を併発した後敗血症で没することになりました。47年という短い生涯でしたが、その言葉の数々は作品として多く世の中に残されています。

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