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Mr.3『たとえ それが”人の加勢”による賜物であっても勝利とは嬉しいものだ』

私には以前、パトロン(出資者、株主のようなもの)に近い存在がいて、もちろん決してパトロンそのものではなく、どっちかというと支援者に近い人間だったが、(私は自分の上に誰かを置きたくない為)気に入られさえすれば、私や私の会社、事業に(それももちろん共同事業に限るが)お金を出す人間がいた。それも別に、一人とは限らず、自分がプライドを捨て拝金者になり、手段を選ばず持ち前のネアカ的な性格で、それらの存在に気に入られる選択肢を取ってさえいれば、私は大勢の人と、多額の金額を動かすビジネスを行っていたかもしれない。

 

もちろん、ビジネスの倫理的内容は、問わずに。だが、私はどうしても自分が、”そいつら”と、同類だと思うことはできなかった。いや、”思ってはいけない”と心底が叫んでいたのだ。私の周りにいる人間には、

 

『もったいない。』

『お金を出してもらった方が得だった。』

『自分ならそうした。』

 

などという言葉が飛び交い、中には、もちろん冗談交じりだが、対象者が女性の場合、性的関係を持つことも一つの手段だと言う人間もいた。このブログは別に誰かに見せる為に書いているわけじゃなく、自分自身の内省の為に書いているものだから書きたい事を書いているが、それでも、見苦しい私のこの文章を熱心に見てくれている人には感謝する。あなたにはわかるだろう。私がそうまでして生きながらえるぐらいなら、死を選ぶということが。拝金的な人生を通して私は、そうした”周りの一切の意見”から、 “自分の心の声”だけに従うようになるのに、時間はかからなかった。

 

『よかったじゃないカネ…!!永い決闘に決着がついたのだたとえ それが”人の加勢”による賜物であっても勝利とは嬉しいものだ…!!!違うカネ?』

 

今私には支援者すらいない。自分の誇りを決して曲げずに、闘ってきた結果である。だがそれは逆に、『悪い虫』一匹たりとも、いないということだ。今私が人生を費やしている仕事は、私の周り、全ての人が諦めた事業だ。支援者もなく、悪友たちも突き離して、病人の社員一人の面倒を見ながら、たった一人で難易度の高いこの仕事が抱える問題をクリアし、確立させることは、決して”楽”な選択肢ではない。

 

だが、”楽”をした延長線上に、私が望む人生が無いことだけは、明確だったのだ。まずはここから数えて5年。そして最低でも一心不乱に10年は戦い続け、弾み車を回し、チリを積もらせ、気がついたらある程度の山になっている。それこそが、企業の、人生の在るべく姿だと確信する。権力や財力になど屈しない。屈して手に入れた金で、食べるメシなど美味くないのだ。私はたった一度の人生を生きているのだ。自分の人生は、自分で創り上げる。

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。