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人の期待に応えることを意識し過ぎるとうつになる

いつも人の顔色ばかりうかがっているから、疲れてしまう。このままじゃうつ病になるかな?

人の期待に応えることを意識し過ぎるとうつになります。自分らしい人生を生きましょう。

先生

自分の人生を貫くのは大変かもしれないけどね!だけど、それがどうしたってことだね!どうせ死ぬんだ!たった一度の人生を生きているんだ!一緒に考えていこう!
更に詳しく知りたい人は、以下の記事を見るっす!

ハニワくん

責任というのは重いものである

人の期待に応えることを意識し過ぎるとうつになる。

 

真面目で完璧主義がうつになる。だが、完璧な人間など最初からいない

 

と併せて考えていきたい。

 

 

真面目で完璧主義な人ほど人の期待に応えようと思うわけだ。人に対して常に気を配り、それは相手の受け取り次第で『有難い事』にも『おせっかい』にもなるわけだが、しかし、本人は目の前で間違いなく(こうした方が良い)ことが浮かぶからこそ、それを遂行しただけで、知っているのに知らないふりをしてやり過ごすよりは、自分も気持ちがいいし、相手の為になるから、それをやる。

 

しかしそういう人は、人生を生きていると常に気を張っていなければならず、休憩を取ることを意識的に行わなければ、神経がすり減り、心身が疲弊し、いつか倒れてしまうかもしれない。

 

 

先生

人のことを気にかけると、それだけで通常よりも遥かに負荷がかかるからね!いわゆる責任者というのは、大人もそうだけど、その責任を負っている。だから、幼稚園児なんからが無邪気に遊んでいるときも、常に安全面やスケジュールなんかを意識する必要がある!
責任者は大変っす!

ハニワくん

この章のまとめ
  • 人のことを気にかけると、それだけで通常よりも遥かに負荷がかかる。

操り人形ではない。意志を持った人間なんだ

私は中学生の頃、英語のテストで99.5点を取った。そのテストを親に見せると、

 

じゃあ、なんで100点を取れなかったか、考えなきゃねえ。

 

と言った。その時の私の目には、両親が二人でこちらをヘラヘラと見て、ほくそ笑んでいる様に見えた。

 

いつまで経っても、何をしてもお前は我々の要求を充たすことはない、愚かで未熟な人間なんだよ

 

そう言っているように見えた。そして続けてこう言った。

 

バスケ(部活)なんかやってる時間はもうないんじゃないか。

 

私の大好きなバスケットボールの活動も、彼らによっては『無駄な時間』だというのだ。実は私はその時はまだ、両親が強要し続けるキリスト教系の日曜学校へ行くことを、完全に拒否はしていなかった。

 

なぜなら、それをすると親と対立することになるからだ。親を悲しませることになるからだ。親が望むことをしてあげたい。子供ながらにわずかでもそう思っていたことは、間違いのない事実だった。

 

 

しかし、私はクリスチャンではなかった。そしてそれから20年経った今でも違うし、これからも一生違う。仏教徒でもムスリムでもないし、ヒンズー教徒でもないのだ。私は親へ、配慮していた。育ててもらっているという負い目も、純粋な愛情もあった。しかし、それをいいことに両親は私に対する一方的な強要や、要求をやめることはなかった。

 

私がその99.5点の話を、20年経っても覚えているということは、私の中でよほど強烈な印象だったのだろう。

 

一体お前らは、いつになったら俺を認めるんだ。まさか、クリスチャンになるまで、こうした嫌がらせは続くのか。これからもこいつらを喜ばせる為、納得させるためにバスケをやめたり、好きなことを諦めたり、意志を捻じ曲げたりして、生きていかなければならないのか。だとしたら俺は、『操り人形』だ。俺は、操り人形ではない。人間だ。

 

 

私は期待に応えたかった。だから我慢して配慮をしてきた。しかし、それをいいことにやりたい放題にやるのが人間というものだ。下手に出れば調子に乗り、力をちらつかせれば臆病になる。人間というものは、そういうものなのだ。

 

私は、うつにはならなかった。だが確かにあの頃、私の心にあったのはどんよりとした曇り空だった。私は、うつではなく、不良になった。それが私が取った、自己防衛だった。

 

先生

母の名誉のために言っておくと、あれからずいぶん時間が経って、もう宗教を強要することはなくなったよ!もっとも、僕(著者)が死ぬ気で意志を貫き通して、自己主張をしてきたからというのが大きいんだけどね!
親のために宗教をやるか、自分の意志を貫くか。先生は大変な葛藤をしてきたっすね!

ハニワくん

この章のまとめ
  • 子供は、親が望むことをしてあげたいと密かに思っている。