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孔子『同じことを言っているのに、ある人の意見は聞き、ある人の意見は聞かないというのはどういう了見だ。』


孔子の言葉


儒教の始祖 孔子(画像

 

私は数年前、『年商20億円』という数字の売り上げを上げる会社の社長にこう言った。倫理の問題さえ考えなければ、俗に言う『成功者』に値する人間だ。

 

『浮浪者と成功者が同じことを言っていたとしても、言っている言葉の意味は同じ。 だから僕は差別しないで意見をちゃんと聞きます。』

 

すると相手は言った。

『でも成功者っていうのは努力したから。ホームレスと同じではないと思うよ。』

 

一体どちらが芯を捉えているだろうか。一見するとどちらも正しいように見えて、どちらも間違っているようにも見える。だが、今回の孔子のこの言葉で、完全に決着がついたようだ。『人の言葉を軽信してはいけない』といった孔子は、同時にこう言った。

『誰が言った言葉であっても、正論には耳を傾けよ。』(衛霊公第十五-二十三)

 

一見すると『浮浪者』は、ゴミ山をあさり、異臭を放ち、 義務を放棄し、人として認められない人間のことを想像するかもしれないが、そうじゃない人も当てはまるのだ。

 

そして一見すると『成功者』は、この世の支配者で、言うこと成すこと何もかも正しいように思えるが、そうじゃない人も当てはまるのだ。

 

そもそも、『ろくでなし』なら立派な意見など言えるはずもないし、『人格者』なら浮浪者と意見が同じだったとしても文句など言わない。だからその社長が『気にしたこと』は思慮浅いのだ。

 

では、『1+1=2』と言ったらどうだろうか?浮浪者が『1+1=2』と言った。地位ある者が『1+1=2』と言った。これは意味が違うのか?少し考えればわかることだ。

 

だが、人は『言葉』ではなく、『人』を見る。『ハロー効果』 とは、相手に何らかの条件が積み重なると、相手が輝いて見え、実際以上の評価をしてしまう『錯覚』のことである。人をハロー効果でしか判断しない人間は、 自分も人と、ハロー効果に頼った人間関係しか築けない。

 

『その社長』も(今でもはもう『社長』ですらない可能性が高いが)、『そういう人間』だった。人としてとても軽薄だった。だが、『年商』は多かった。そして人はそういう人物を『成功者』などと持ち上げ、そういう人物の軽薄さに更に拍車がかかり、悪循環の図式が加速してしまう。

 

私が『成功者』という言葉が嫌いなのは、『成功者』と言った瞬間に『敗北者』が生まれ、劣悪な環境を強いられている途上国の人間の存在をないがしろにしてしまうこと、そして、実は俗に言う『成功者』とは、こういう軽薄な人間でも、なれる事実があるからだ。

 

彼らは金に支配され、ハロー効果に依存する、哀れな人間なのかもしれないのだ。『プロフェッショナル・マネジャー』の巻末に、ご存じユニクロこと、ファーストリテイリング社長、柳井正がこう書いている。

 

---------------▼

 

『根拠のない自信に満ち溢れたエゴチストほど、異業種交流会に積極的に参加しないといけないと主張し、いくつもの交流会にかけもちで参加する。成功したベンチャー企業の経営者は、なぜか業界団体に集い、人脈を広げると称して、夜の会合やパーティに好んで出席する人が少なくない。だが、異業種交流会も、お客様や社外の人間と接することの少ない内側の仕事をしている人にとっては、ときには必要だと思うが、 やりすぎても効果は無いだろう。

人脈といっても、その人が自分を信頼していくれるという状況にならない限り、 人脈があるとはいえない。人脈をつくるには、自分の本業に専念することで信頼してもらうしかない。本業で結果を出せば、全然知らない人でも、訪ねれば会ってくれるし、どんな質問にも答えてくれるものだ。

 

エゴチズムの真の害悪は、抑制されない個人的虚栄心が高進すると、その本人が自分自身の為にこしらえた賛辞を信じ込むようになる。そして自分自身と虚栄心の中にのめり込んで、他人の感情への感受性を失ってしまう。常識も客観性も失われる。そして意思決定の過程を脅かす厄介者となる。』

 

---------------▲

 

『成功者』に固執する人間にも理由がある。例えば、貧困によって劣悪な人生を強いられたのだ。(人生は平等じゃない)彼らの心に渦巻いた負の心は、決して彼らだけの責任ではない。だが、『固執』とは、『頑迷』、そして『執着』と同じく、正しくない感情だ。

 

ブッダは、罪の定義を『執着』とした。孔子は、罪の定義を『利己』だとした。頑迷さを捨て、利己を捨て、人生を公正に考えることが出来る人間になりたいものだ。

 

 

参照:衆これを悪むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す。

(衛霊公第十五-二十八)

 

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、オーナーが独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

著者:一瀬雄治 (Yuji Ichise)

 

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