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ハグワーロ・D・サウロ『笑ったらええでよ!苦しい時は笑ったらええ』

『人生は、自分の思い通りにはいかないんだよ。』私は何度、親にそう言われてきたかわからない。その度に私は、”違和感”を覚えていた。親の想いといえば、こうだろう。『思い通りにいくと思ってうぬぼれて、それで試練に直面した時に食らうあの衝撃、あのストレス、自分は耐えられなかった。自分は思い上がっていた。この子達には、同じショックを与えたくない。』

 

これももちろん、愛があるからのことである。それは、わかっている。だが、その背景にあった、『クリスチャンとしての信仰』が、少し”真理”を、ねじ曲げていた。それが、違和感の正体だった。『思い通りにならないから、主(イエス・キリスト)に委ねなさい。困った時はいつでも、祈りなさい。』それで、救われる。(私や、私の周りの大勢の人は、それで救われた。)そういうメタ・メッセージが、常にあった。

 

私はこれを生きている限り言い続けるが、『宗教』とは、それを求めている人には『救い』だが、一切求めていない人、あるいは、『他の宗教』を持つ人にそれを執拗に勧めるのは、『嫌がらせ』、ときには、『虐待』にすらなり得る。親は、何故こう言えなかったのか。『人生は自分の思い通りにいかないことがほとんどだけどね、でもそれは逆に、思いがけない良いことも起こる、ってことだからね。何かあるたびに、上を向きすぎる必要も、下を向きすぎる必要もないってことだね。前だけ向いて、生きていけばいいんだ。』

 

あの国民的アニメ、『ドラえもん』で、珍しく夕暮れの教室で落ち込んで、自分の将来に悲観的になっているのび太を見て、担任の教師は、いつになく優しい口調で、言った。

『野比、人間はなんで、目が前についているか知ってるかい?それはね、前を向いて生きていくためなんだよ。』

 

 

『おめぇチビのくせに色々苦しそうだで笑ったらええでよ!苦しい時は笑ったらええ』

『苦しいのに笑ったらバカみたい……』

『んな事ねぇよー デレシシ』

『デレシ!!』

 

この矛盾だらけで、理不尽な、混沌とした儚い人生。それを、『儚い』と考えるか、『尊い』と考えるか。その選択肢は、全ての生命に与えられている。そしてこういう話の締めくくりのとき、いつでも引き合いに出すつもりの言葉が、これだ。

 

『刑務所の鉄格子の間から、二人の男が外を見た。一人は泥を眺め、一人は星を眺めた。』

 

 

Vアニメ「ワンピース」15周年記念!15の名場面で綴る感涙PV

※画像は以下の参考文献から引用しています。

 

一言

この記事は2009年に書いたものです。とても未熟な時期に書いたものなので、いずれまた修正いたします。またこの記事は運営者のワンピースに対するリスペクトの想いから書いていますが、もしこの画像の著作権が問題になる場合は、画像をすぐに削除いたします。