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カテゴリー『里仁』

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、オーナーが独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

 

 

『人の心を思いやるときに、小細工は必要ない。』

 

第四-四:子曰わく、まことに仁に志せば、悪まるることなし。

この『小細工』をしていたのが、弟子の子夏だった。子夏は、ちまちまとした計算をして、人間関係を考えた。しかし孔子は、『思いやりには、計算はいらない』と言ったのだ。

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『親は大事にするのだ。たとえ憎くても、親子はそれを上回る愛で結ばれている。』

 

第四-二十一:子曰わく、父母の年は知らざるべからざるなり。

まず言っておきたいのは、子を棄てた人間についてだ。そういう親の下に生まれた子供も大勢いる。彼らは親を愛しているだろうか。彼らの親は彼らを愛しているだろうか。

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『正論を言ったのに邪論と捉える人間を目の当たりにした場合?粉みじんも気にする必要はない。』

 

第四-二十五:子曰わく、徳は孤ならず。必ずとなりあり。

もう簡単に考えればいいのだ。『1+1=2』と言った。だが、その場にいる100人全員が、『いや、4が常識でしょ』と言った。彼らは、『1人と1人が力を合わせれば、3倍にも4倍にもなる』というような、よく聞く精神論的な話を介入させているのではなく、本当に『1+1=4』だと思っている。

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『物質的欲求を人生の第一目標とする者が、真のリーダーになどなれるはずがない。』

 

第四-九:子曰く、士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、いまだともに議るに足らざるなり。

往々にして第一線を走っている人間は、物質的欲求に支配されない。どちらかというとそれよりも下の人間の方が、それに支配されていることが多い。第一線を走る人間は、『後で』それを『水準に合わせて自然に利用』しているが、それ以下の人間は、『前に』それを『水準に不相応に不自然に悪用』している。

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『上を見て奮起し、下を見て戒める。それが出来る限り一生向上し続けるだろう。』

 

第四-十七:子曰く、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。

上を見て『妬む』のではない。下を見て『蔑む』のではない。上を見て『奮起』し、下を見て『戒める』のだ。それが小人と大人との差だ。

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『思慮深くあるのは当たり前だ。それよりも、まずは行動せよ。』

 

第四-二十四:子曰く、君子は言に訥にして、行いに敏ならんことを欲す。

『垂範実行(すいはんじっこう)』とは、自らが模範となって実行し、後に続く者に教えることを言う。山本五十六の、『やってみせ、いって聞かせて、させてみて、 褒めてやらねば人は動かじ』 もそうだが、

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『拝金的な人生は、小物に任せよ』

 

第四-十六:子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。

孔子(論語)の言葉で、私が好きな言葉がある。いや、もちろん、孔子が直接その言葉を言ったかどうかは別として、渋沢栄一なり、安岡正篤なりの『論語の活学』、『論語と算盤』などを通して知った言葉なのだが、

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『世間の目を気にしているようでは、世間の目を奪うことは出来ない。』

 

第四-十四:子曰く、位なきを患えず、立つゆえんを患う。己を知るなきを患えず、知らるべきをなすを求めよ。

例えば、『世間』とは、『大勢の人』を指す言葉だが、その数と言えば、およそ人間の8割ほどが当てはまる、大人数である。その大多数の人間は、まさに『人間』らしく、人目を気にしたり、場当たり的だったり、当たり障りのない人生を生きて、

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